ーー法輪大法の素晴らしさを経験したある女子高校生
文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年10月23日】 私は中国本土の新しい一線都市で育ち、勉強し、そして今もそこで働いている1990年代生まれの女性です。今年で30代を迎えました。ここで、14年前の高校時代に、私が法輪大法の恩恵を受けた体験を記したいと思います。
急性盲腸炎の激痛が奇跡的に消えた体験
2010年、私は省の重点高校の理系「エリートクラス」に在籍していました。中国の教育制度の下で、生徒は進学競争のプレッシャーにさらされており、毎日山のような宿題がありました。多くの生徒が夜の11時や深夜まで勉強していたのを覚えています。期中試験や期末試験では成績がランキングされ、試験が終わるたびに、担任は成績上位者をクラスで褒め、成績が下がった生徒に厳しく注意し、個別に話をすることもありました。先生たちはしばしば、985大学や211大学などの名門校に合格する重要性を強調し、「1点でも多く取れば、それだけ多くの人を押しのけられる」と言っていました。そのため、生徒たちは大きなプレッシャーを感じていました。
2010年8月、高校1年生の夏休みの補習期間中、化学の授業中に、突然右下腹部に激痛を感じました。必死に耐えながら授業を聞いていましたが、痛みはひどく、放課後になんとか家に帰り、休むことにしました。ちょうどその時期、学校が数日間の休みになっていたので、私はその痛みを抱えたまま家に戻りました。
高校の先生たちは、1週間分の宿題を課していました。しかし、休みの数日間、私の腹痛は一向に治まらず、非常に辛い日々が続きました。夜になると激しい痛みに襲われ、ベッドの中でのたうち回るようでした。昼間は食欲が全くなく、心配した母が作ってくれたおかゆも食べられず、食べても吐き気や嘔吐がひどく、体調は悪化する一方でした。母は私の症状をとても心配し、急いでインターネットで調べたところ、急性盲腸炎の可能性が高いことがわかりました。すぐに薬局で漢方薬を購入し、それを煎じて飲ませてくれましたが、効果はなく、夜になると激痛が続き、眠ることができませんでした。
身体の激しい痛みの中で、私は法輪功を思い出しました。私の家族は1999年以前に法輪功に触れており、法輪功を修煉して病気が治る素晴らしい効果を目の当たりにしていました。周囲の叔父や叔母、祖父母たちも、法輪功を始める前は病気だらけでしたが、修煉を始めた後、長年の持病が次々と治ったのです。
しかし、1999年7月20日、中共と江沢民ならず者集団が法輪功に対する大規模なデマや中傷を展開し、弾圧が始まりました。私たちの周りの法輪功修煉者たちは、ただ法輪功の正当な権利を訴え、公正な意見を述べただけで、仕事を失い、家族はバラバラになり、命まで奪われました。私たちは非常に恐ろしくなり、法輪功の書籍や関連資料を隠し、法輪功を修煉していたことを他人に言えなくなってしまいました。
私は法輪大法の師父の写真の前で両膝をつき、「師父、どうか私を助けてください。もう耐えられません」と心の中で祈りました。すると、奇跡が本当に起こりました。お腹の痛みが瞬時に消えたのです! こうして、数日間も続いていた急性盲腸炎の痛み、眠れず、食事もできない苦しみが、手術もせず、盲腸も切除せず、法輪大法の師父のご加護によって治ったのです。
大法を学んで重度の登校拒否と抑うつを克服
私は数日間、腹痛に苦しんでいたため、一部の教科の宿題ができませんでした。学校に戻る日が近づくにつれて、とても緊張していました。登校初日の朝、数学の宿題が終わっていなかったため、提出できずにいました。私の高校の数学の先生は非常に厳格な先生であり、また、当時は中共による法輪功への激しい弾圧が続いていたため、この数日間に私が何を経験したのかを教師たちに話すことはできませんでした。
その日の午後、授業が終わるころ、数学の先生が私の席に来て言いました。「◯◯さん、今日はどうして数学の宿題を提出しなかったの? 正直に言ってみなさい」私は小さな声で「やっていません」と答えるしかありませんでした。すると、先生は怒りで震えながら、「じゃあ、もう一度やり直して、罰としてもう一回書き直しなさい」と言いました。その時、クラス中が笑い声に包まれ、私は周りの同級生全員に嘲笑されているように感じましたが、何も言えませんでした。
家に帰った後、私は学校に行くのが非常に怖くなり、登校できなくなってしまいました。私の高校の担任は英語の先生で、1950年代生まれのとても厳しい先生でした。彼女が私の家に家庭訪問に来て事情を聞いた時、私たちはただ「体調が悪くて、宿題ができませんでした」としか言えず、どんな病気で、どのようにして治ったのかは説明できませんでした。
担任の先生は私を教室に連れ戻して授業を受けさせましたが、その時、私はクラスメート全員が異様な目で私を見ているように感じ、宿題ができなかった最悪の生徒だと思われているようでした。次第に私は登校拒否が始まり、精神状態も非常に悪くなり、学校に行くのが怖くなりました。私の物理の先生は生活指導主任で、私の状況を知り、心配してくれました。再び担任の先生と一緒に家に家庭訪問に来て、私や両親と話をした後、心理カウンセリングを受けることを勧めてくれました。
翌日、両親は私を連れて三甲省附属の第一病院に行き、50元を払って心理カウンセリングを受けました。女性の心理カウンセラーは「どうしたの?」と聞き、私は「学校に行くのが怖いんです」と答えました。すると彼女は「このままだと、今後は精神薬を使った治療をすることになりますよ」と言いました。私はその言葉を聞いてさらに怖くなり、カウンセラーに必ず学校に行くと約束しました。
しかし、心理カウンセリングを受けた後、私の登校拒否と抑うつの症状はさらに悪化しました。学校に行くのが怖く、同級生の嘲笑が怖いという段階から、外出すること自体が怖くなり、見知らぬ人に会うことさえ恐れるようになりました。外に出ることもできず、深刻な抑うつ状態に陥っていました。
その頃、私は家に閉じこもり、床に座って膝を抱えて震えていました。私の様子を見た母は、非常に悲しみ、焦って涙を流していました。母はどうすればいいのか分からず、途方に暮れていました。そんな時、私たちはもう一度法輪功を試してみることを考えました。
母は私を連れて、1999年以前に知り合った法輪功を修煉しているおばあさんの家に行きました。おばあさんは、私に法輪功の主要な著作である『轉法輪』を手渡し、他の法輪功学習者の家にも連れて行ってくれました。そこでは、皆で座禅をし、『轉法輪』や法輪大法の師父の他の講法を読みました。法輪大法の教えが私の心を開いてくれ、どうやって嘲笑やプレッシャー、挫折に向き合うべきかを少しずつ理解し、次第に勇気と自信を持ち、強くなっていきました。
少しずつ、私の精神状態は良くなり、法輪大法の教えに従って学校に行く意欲が湧き、同級生の批判や嘲笑に正面から向き合うことができるようになりました。そして、抑うつのために欠席していた授業も少しずつ取り戻していきました。当時は高校2年生で、特に理科の授業が重要な時期で、高2の1学期に私は抑うつのために物理の磁場の部分を完全に落としてしまいました。物理は私が最も苦手な教科だったのです。
それにもかかわらず、私は毎週、学法グループに参加し、法輪功学習者たちと一緒に法輪大法の書籍を読みました。法輪大法の教えは私の知恵を開き、他の補習を受けることなく、1年半後の2012年の大学入試では、理科の科目で531点を取り、一本大学に合格しました。当時、隣の「火箭班」にも抑うつで登校拒否をしていた女の子がいて、彼女の両親はドイツの心理カウンセラーを含む様々な専門家に診てもらっていましたが、問題は解決しませんでした。
もし、大法の師父が私を守り、知恵を開いてくださらなかったならば、高2で重度の抑うつから登校拒否をしていた私は、きっと休学や退学していたでしょう。そして、一本大学に合格し、無事に卒業して仕事をするということも、到底あり得なかったに違いありません。
この文章をもって、慈悲深い法輪大法の師父の慈悲なる済度に心より感謝申し上げます。