文/中国の子ども学習者が口述 父親が整理
【明慧日本2024年10月25日】私の名前は蓮、5歳です。幼い頃から師父の録音版の講義と大法音楽を聴いてきました。母は明慧ラジオで録音した他の若い大法弟子の修煉体験を私に聞かせ始めました。私は自分の修煉体験を分かち合い、他の子ども学習者がもっと精進して修煉するよう刺激を与えたいと思っています。
一、師父は私の知恵を開いてくださる
師父は私の知恵を開いてくださり、多くの簡体字と繁体字の認識ができるようになりました。母は私に、「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい」という漢字の読み方を教えてくれました。
母は私が隣で遊んでいる間、よく『洪吟』の詩を暗唱します。私はこれらの詩を覚えていて、時々母に暗唱します。母と私は、父が仕事から帰ってくると『洪吟』の詩を暗唱します。私は『洪吟』の詩を暗記し終え、『洪吟二』の暗唱もほぼ終えて、『洪吟三』『洪吟四』の詩を暗唱できるほか、『洪吟五』の繁体字の多くを認識できます。
『洪吟』の学習を終えた後、母が『轉法輪』の読み方を教えてくれました。最初、母は漢字を数文字ずつ読むことから始めました。私は漢字をたくさん読めるようになり、ついには文章全体を読めるようになりました。私は法を学ぶとき、足を組んで完全な結跏趺坐をします。一度、その姿勢で足がひどく痛くなったため、泣いてしまいました。母は私に頑張れるかと尋ねました。私は頬に涙を流しながら、「法の学習が終わるまで頑張れる」と答えました。さらに教えを学んでいくと、私は1時間結跏趺坐をすることができるようになったのですが、私はいつも遊びたくなってしまうので、『轉法輪』を読み終えるのに長い時間がかかりました。
母は私に、『論語』の暗唱の仕方を教え始めました。それは私にとっては難しいことでしたが、母は何度も私にそれを暗唱するのを手伝ってくれました。師父は私の知恵を開いてくださり、私はついに『論語』と『轉法輪』の目次を暗唱できるようになりました。
4歳のとき、母が私に『轉法輪』を自分で読むように言いました。漢字が全く分からず、一文字読むごとに読むのをやめていた私が、次第に1時間で短い段落を2つ、長い段落を1つ読むことができるようになりました。
母は、私が読むのが遅すぎると感じていたにもかかわらず、法を学ぶよう励ましてくれました。しばらくすると、私は一文を最後まで読むことができました。父は仕事から帰ってくると、何段落読んだのかと私に尋ね、抱きしめて励ましてくれました。
私は1時間で3~4ページ読むことができるようになり、『轉法輪』を読み終えました。以前は蓮華座で座っていると足が痛くなると文句を言っていましたが、法を学んでからは足が痛くなくなりました。私は法を学んでいるときに集中すると、文字が金色に輝いて見えます。本当に美しいです。
二、師父は私に異次元の壮大な光景を見せてくださった
母は私がまだ幼すぎると思っていたので、朝の煉功をさせるために私を起こしませんでした。しかし、私は母に「起こして欲しい」と言いました。朝、母と一緒に煉功したかったからです。翌朝、朝の煉功に参加したとき、私はたくさんの蓮の花と異次元の鳥を見ました。私は家の近くでは見たことがなかったので、その鳥について母に話しました。私が見た鳥は金色でした。
ある日、壁に師父の写真が飾ってある部屋で遊んでいたとき、私が『洪吟』の詩を暗唱していると、師父が私に微笑みかけました。なぜ私に微笑みかけてくれるのか不思議に思いました。母は、私が『洪吟』の詩を暗唱していたので、師父が私を励ましてくださっているのだと言いました。
私は夢をたくさん見ました。師父の手のひらに横たわり、とても幸せで温かい気持ちになる夢を見ました。また、とても心地よく感じる夢も見ました。目を開けると、大きな蓮の花の上に横たわっていました。師父に敬意を表したり、法を学んだり、煉功したりすると、師父はよく他の空間からたくさんの蓮の花の光景を見せてくださいます。師父が私にこれらの光景を見せてくださると、とても幸せです。
私が法を学ぶ時、師父の講義が書かれた本の漢字が大きく見えます。これは師父が私を励ましてくださっていることであり、私や私の両親に対する一種の教示でもあるのかもしれません。
三、真相を伝える資料を配布し、衆生を救う
母は私がまだ歩けないほど幼かった頃、真相を伝える資料を配るために私を抱きかかえてさまざまな地域を回っていました。私はとてもいい子で、騒いだり癇癪を起こしたりしませんでした。大きくなって自分で歩けるようになった時、私は疲れないからと自分に言い聞かせながら、アパートの階段を上っていました。私は人々が資料を捨てずに家に持ち帰ってくれることを願っていました。
ある時、私と母は門のある地区に遭遇しましたが、中に入れませんでした。母は私に、門の鉄格子を通り抜けてボタンを押して開けてもいいかと尋ねました。私は、鉄格子を通り抜けることはできたのですが、ボタンが高すぎて届かないことに気づきました。私は全力を尽くして登り、母を入れるためのボタンを押しました。母は私を抱きしめ、よくやったと言ってくれました。私は「師父が私たちのそばにいてくれるので怖くない」と言いました。私たちは真相を伝える資料を配り、衆生を救うために最善を尽くすべきだと信じているので怖くはありません。
母が仕事に出かけると、父方の祖母が私の面倒を見に来てくれました。祖母が法輪功について人々に話しに出かけている間、私はそばにいて、正念を発しながら遊んでいました。
祖母と私が外で遊んでいたとき、私より年上の男の子いたので、法輪大法の真実をその男の子に伝えるよう祖母にそっと言うと、祖母は、共産党の組織からの脱退を手伝いました。しかし、祖母はよく聞こえていなかったので、私はその男の子の名前を繰り返すのを手伝いました。私は今、年を重ねたので、母が真相を伝える資料を準備するのを手伝ったり、衆生を救い続けることができるようになりました。
四、伝統的な中国の価値観を学ぶ
母は毎日私と一緒に法を学び、父は私にピアノ、ダンス、歌を教えてくれます。両親は若い大法弟子の修煉物語を聞くだけではなく、『三字経』、『悠遊字在』などのビデオをダウンロードしてくれました。これらのビデオは、高い道徳基準を持ったより良い人間になる方法を示しています。
私は神韻の舞踊や音楽作品を観るのが好きです。父は神韻のウェブサイトでダンサーやミュージシャンのビデオを見せてくれました。特定のビデオについて質問があると、父が説明してくれて、特定のダンスの動き方を教えてくれます。
大きくなったら神韻で中国古典舞踊を踊りたいです。毎日足を伸ばしたり、開脚の練習をしたりするのが好きです。母は私が大きくなったら飛天芸術学院のダンスのオーディションに応募すると言ってくれました。アメリカまで行くのは遠いので、両親にも一緒に来てもらいたいと思っています。
五、師父は私の体を浄化してくださった
ある日、母に『轉法輪』を持ってもらって私と法を学んでいた時、頭のてっぺんから足の裏まで熱が湧き上がってくるのを感じました。母にそのことを話すと、師父が私の体を浄化してくださっているのだと言いました。
私は体が熱くなったので泣き言を言い始めました。母は私に毛布をかけ、師父の講義の音声を聞かせました。母が師父の講義を聞かせると私は泣き言を言わなくなり、眠りに落ちましたが、すぐに暑いと感じ、また母を呼びました。母は私を腕に抱き、家族で師父のビデオ講義を見始めました。私たちは午前3時まで師父の講義を見ました。
しかし、私の体はまだ熱く、毛布を蹴り飛ばし続けました。私は「お母さん、怖い」と泣き叫びました。私は周りを指差して「見て、周りが暗いよ」と言いました。父は後で私が震えていたと教えてくれました。体は熱かったのですが、足は冷たかったのです。
両親も祖母も正念を発し始めました。祖母は私と母に、一緒に師父の写真に敬意を表すように言いました。母が私をベッドに運んだとき、私はお尻が痛いと言いました。母は師父のビデオ講義を私に聞かせてくれました。私はすぐに眠りにつき、暑さを感じなくなりました。
翌日、私は気分が良くなり、とても楽になりました。また跳んだり遊んだりできるようになりました。母は私に法を得たと告げました。もし法を得ていなければ、母は私が熱くなって震えているのを見て、病院に連れて行ったでしょう。私たちは師父を信じており、師父は私をこの苦難から守ってくださいました。
結論
私は師父の保護のもと、多くの障害を乗り越えてきました。慈悲深い師父、救いに感謝いたします。私はさらに精進して、遊びたい、屋台を食べたい、頑固になりたいという執着心をなくし、大法弟子として整えていきます。
以上が私の修煉体験です。適当でないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。