文/米国の大法弟子
【明慧日本2024年10月28日】 私は今13歳です。中国で生まれ、8歳の時にアメリカに来ました。神韻芸術能力評価センターが主催する中国古典舞踊のサマーキャンプに参加するのは今回で2回目です。バーベキュー、水遊び、誕生日会、その他さまざまな楽しいことなど、昨年の興味深い出来事を今でも覚えています。もちろん、ダンスや修煉も大きく進歩しました。
今年のサマーキャンプでは、先生方が私たちのためにもっと楽しい活動を準備し、ダンスのより充実した高水準のコースを提供してくれました。先生は特に、伝統的な中国舞踊の魅力を表現する方法を教えてくれました。しかし、私にとってもっと重要なのは、私自身の修煉において新たな進歩を遂げたことです。
一、内面を見つめる経験
一度、グループ煉功中に私の前にいた生徒が真剣に煉功していなかったので、私は不快で少し腹が立ちました。どうしてあの生徒はこんな態度なのだろうと思いました。
煉功を終えて落ち着いて自分を見つめてみると、あの生徒が怠けて楽に煉功していることが羨ましくて、自分は彼のようにリラックスできないことに気づきました。この考えは良くないことだと気づきました。私はこのサマーキャンプではお姉さん扱いされていました。年下の子たちがきちんと煉功していないからといって、どうして私が怠けることができるでしょうか。他の生徒の悪い行動に影響されるのではなく、私は他の生徒の模範となるべきです。
翌日、私は本当に真剣に煉功しました。いつもは騒いでいる生徒たちも真剣に煉功しているのに驚きました。私がこの心性のテストに合格したからこそ、彼らも自然に煉功が上手くなるのだと悟りました。
師父はこう説かれました。
「修煉が非常に精進しているように見える人がおり、法の勉強も煉功もしていますが、内に向かって探していません。内に向かって探していなければ、皆さん考えてください。それは常人ではありませんか? 内に向かって探す常人はいますか? そのような常人はいません」(『各地での説法十三』「二〇一五年ニューヨーク法会での説法」)
実際、多くの場合、他人の行動は自分自身を試すためのものです。他人の間違いを見たとき、私たちは彼らの間違いについて考えるだけでなく、まず自分の内面を見つめ、改善すべき点がないか考えるべきです。
二、不平は私の進歩を妨げる
同じクラスの一人と私はダンスの動きを間違えてしまい、先生に何度も指摘されましたが、私たちはそれを直すことを忘れていました。その後のリハーサルで、私たちはまた同じ間違いをしました。授業の後、先生は真剣に私たちの間違いを指摘しました。
ダンスの先生が私に話しかける時の口調がきつく感じたので、先生は偏見を持っていて不公平だと感じました。後になって、自分の内面を見つめ直してみると、強い恨みや不満を抱いていたことに気づきました。
師父はこう説かれました。
「いつも批判と指摘を受け入れず、外に向けて人を批判し、相手の意見と指摘を批判しているのであれば、それは修煉なのでしょうか? あなたはどのように修煉していますか?」(『ロサンゼルス市法会での説法』)
私は恥ずかしく思いました。先生の私に対する態度だけを重視し、それについて文句を言いましたが、先生がなぜ私を批判したのかについては考えませんでした。文句を言い、先生の言葉を真摯に受け止めなかったので、私は変わりませんでした。
三、法を学ぶときに眠くなる
法を学んでいる時、他の人が遊んだり寝たりしているのを見ると、とても眠くなり、寝たくなりました。私は心の中で葛藤しました。一方では、一日の疲れた後に昼寝をするのはいいことだと言います。他方では、法を学ぶことは重要なことなので、怠けて寝てはいけないと言います。
法を学んだ後の話し合いで、先生はある記事の中で、眠りの魔が学習者を妨害しているという話をしてくれました。私は法を学んでいるときに眠くなるのは魔の妨害によるものだと理解しました。今後法を学んでいるときに眠くなったら、主意識を目覚めさせ、すぐに妨害を取り除かなければならないと決心しました。そうすれば、魔に支配されることはないでしょう。
師父はこう説かれました。
「師:あなたの思想業力があなたをひどく妨害しているのです。あなたに本を読ませず法を学ばせないようにしています。眠くなり、寝てしまい、正念や正覚を失うようにさせています。甚だしい場合、思想業力が妨害を出現させ、あなたの頭の中に字を表します。大法を破壊する魔もこのようにすることがあります。ひいては考えの中であなたと喧嘩したり、話しかけたりして、法を学ばせないのです。これは明白ではありませんか? これは思想業力や外来の妨害が作用しているのです。それはあなたを昇華させないのです。昇華すると、それらは消滅させられてしまうからです。私は皆さんの業を滅すると言いました。それが本当に滅されたら、本当に解体してしまいます。それでは、それらは承知しますか? ですから、必死に抵抗しています。これらのものを自分だと思ってしまえば、あなたは法を得ることができません。なぜなら、法はあなたに与えるもので、それらの業力に決して与えません! ですから、それを克服し、いくら眠くても克服し抑制し根絶すべきです。この関を突破した時が、つまりそれを消滅した時です」(『オーストラリア法会での説法』)
私は法を学ぶと何故眠くなるのか本当の理由が分かりました。また眠くなったら、正念を発して、正念を強め、妨害を排除して難関を乗り越えられるように師父にお願いします。