文/中国本土の新しい学習者
【明慧日本2024年10月31日】私は修煉して2カ月になったばかりの新しい学習者です。この2カ月の間に、私の心性も観念も根本的に変わりました。私の経験が皆さんのご家族とお子さんへの気づきとなり、ネットの危害から免れられるように願っています。
今年46歳の私は小さなカフェを経営しており、家庭が円満で、生活も裕福です。忙しくない時、私は美容やマッサージ、ネットショッピングまたはスマホいじりで時間を潰していました。しかし、こうした表面的な快適さは脆いもので、日々ネットの世界で生活していくと、あらゆる欲望に駆られ、決して満足しません。私は毎日目を開けた瞬間からスマホを見ています。どうしても仕事やお風呂で見られないときは、オーディオ小説を聞くことにしています。とにかく自分の目と耳を一瞬でも休ませることができず、常に面白さと楽しさを感じなければなりません。そうした時間が長くなるにつれて、身体の精気が消耗されてしまい、毎日常に疲労を感じて気性も良くありませんでした。
ある日、私はまた夜遅くまでネット小説を読み続けていました。その内容は奇妙で恐ろしいもので、最初は夢中になって読み、作者の才能に感心していました。どの場面も私の想像にぴったりで、こんな文章が書けたらどんなに素晴らしいかと思っているうち、気づけば午前3時になっていました。その時、突然、胸に恐ろしい感覚が押し寄せ、私は呼吸困難になり、耐えがたい恐怖に包まれました。そのとき、頭の中に「窓から飛び出そう」という考えが浮かび、魔がさしたのだと分かりました。
幸い、母は20年以上も修煉している大法弟子で、冷静にすぐ私に「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい」を念じるようにと言って、一緒に念じてくれました。その時私は、私を救えるのは大法しかないと考えていました。少しは楽になったものの、それからの日々はとても辛くて、食事が進まず、話すこともできず、子供の世話もな出来ませんでした。本(『轉法輪』)を読んだり、煉功している時だけ、一瞬の安らぎを得ることができました。その時になってはじめて、欲望に溺れることの恐ろしさに気がつきましたが、もう涙も出なくなりました。
大法を学ぶことで、私は自分の身心が欲望に占められていることを悟りました。食べ物への貪欲、男女の情欲、自己の優越感を顕示したい心理など、母に対する深い怨恨心さえあります。これらの汚れた心はネットの世界で満たされ、大きくなったため、魔に入り込む隙を与えてしまったのです。
私は母と一緒に学法し始め、絶えず内に向けて探し、良くない心をさらけ出し、どの考えが自分ではなく、観念や思想業力で構成された偽の自分なのかを見分けることを学びました。
学法と煉功を始めてから5日目のこと、師父の法身が私の目の前に現れて、私は師父の背後で巨大な法輪が回転しているのを見ました。母と私は思わず涙を流し、その場で心を込めて師父にお辞儀をしました。すると、大きな冷たい物質が私の胸から押し出される感覚がありました。これは慈悲深い師父が、私という意気地のない弟子の業を消してくださり、この試練を乗り越えるよう助けて下さったのだと分かりました。慈悲で偉大なる師父が私の命を救ってくださったのです。その感覚は人間の言葉では表現できません。
母が言うには、学法グループの何人かの同修は私が修煉し始めた経緯を聞き、涙を流したそうです。私も法を得るのは簡単なことではなく、それが師父が下さった救われるチャンスだと知っています。そして、この貴重なチャンスを大切にしたいと思っています。
法を得たばかりで、まだどう修めるべきか分からないため、私は常に母と交流し、真の自分と偽の自分を区別できるように心がけ、後天的に形成された観念や思想業力が何なのかも理解しました。今、私にとって最も重要なのは、多く法を学び、新経文や各地での説法を学ぶことです。
少しずつですが、毎日の学法と煉功、および発正念を行うことで、私は日に日に元気になり、今はほぼ回復し、心身両面の改善を遂げ、生命の意義が返本帰真であることを理解しました。特筆すべき顕著な変化もいくつかありました。
一つ目は、以前の私は睡眠中にイビキをかいていて、その音があまりにも大きいため、母が隣の部屋でもよく眠れないと言っていましたが、煉功してから全くイビキをかかなくなりました。二つ目は、以前は心臓が悪く、常に疲労感を感じていて、よく漢方医に通い、さまざまな健康食品を摂取していましたが、今は病気があるという考えを断ち切りました。法を学んでから、そのすべては業力によるもので、師父が消してくださったと分かりました。毎日早寝早起きをし、寝る前に「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!」と心を込めて念じ、朝までぐっすり眠れるようになり、雑多な夢を見ることもなくなり、体は以前よりも健康になりました。三つ目は、ほぼスマホを見なくなり、以前の小説もすべて削除し、社会のニュースにも関心がなく、空いている時間は学法し、毎日がとても充実しています。
この2カ月余りの間に、私は大法の素晴らしさを実感し、心から慈悲深い師父が私を見放されなかったことに感謝しています。修煉してからは常に自分がとても幸運だと感じています。師父は本当に慈悲深いのです。この末劫の最後の時期に大法修煉を始めることがどれほど幸運なことなのか、本当に言葉では言い表せないほどです。精進して、師父のご恩に報いたいと思います!