文/米国の大法弟子
【明慧日本2024年11月7日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは! 約24年前の2000年11月15日から、サンフランシスコ・ベイエリアの法輪大法の学習者たちは中国領事館の前で迫害に抗議し始めました。
師父はこう説かれました。「わたしは、法を伝え、功を伝えるにあたって、常に社会と学習者に対して責任をもつことを念頭においてきました。ですから得られた結果も良く、社会に与えた影響もかなり良いものでした」(『轉法輪』「第一講」)
修煉者として、私は法輪大法の素晴らしさと中国共産党による法輪功への迫害の事実について人々に伝える責任があると感じ、領事館前での抗議活動に参加しました。月曜日から金曜日まで、修煉者が交代で領事館に来ました。サンフランシスコで働く修煉者の中には、昼休みに領事館に行く人もいて、私はとても感動しました。
ある学習者が私に中国領事館の前で煉功している光景の写真をくれました。大法の神聖な光が一人一人を照らしていました。この荘厳で平和な雰囲気が、私にこの使命を貫く勇気を与えてくれました。また、師父からのヒントもいただき、今日まで続けることができました。
ある日、私は歯が痛くなり、顔が腫れました。業を消していると思い、自分の問題を探り始めました。原因がわからず、顎が固くなったように感じました。原因が分かったと思ったら、顎がさらに固くなり、固まってしまいました。どうしたらいいのかわ分かりませんでした。この状況が解決しなければ、翌日どうやって領事館に行けるでしょうか? 私はよく考えてみると、歯痛と顎の関係は何だったのでしょうか? 師父は何を啓示されていたのでしょうか? 中国領事館の前で真相を伝える時間は長く、最後まで「歯を食いしばって」頑張らなければならないのでしょうか? そう思った途端、痛みは消え、腫れは急速に消え、顎が「パキッ」と開きました! 領事館の前で真相を伝え、衆生を救うことが私の使命だと悟りました!
それ以来、私はこれを修煉の一環として捉えるようになりました。中国領事館は月曜から金曜まで開いているため、私は週末に高齢者の世話をする仕事を見つけました。親戚が「週に何時間働いているのですか?」と尋ねました。私は「2日で十分です」と答えました。私は大金を稼いだわけではありませんが、師父は裕福な人でも簡単には得られないような褒美を私に与えてくださいました。私の娘たちは成績は優秀ではありませんが、2人ともアメリカの名門大学に入学し、四年間の奨学金を全額受け取りました。師父が按排してくださったのだと知っています。師父は修煉者にすべてを与えてくださったと感じています。私はただ自分を修めて、師父に従い続ければいいのです。
真相を伝えて衆生を救い済度するプロジェクトが次々と開始されるにつれ、領事館に来る時間のある学習者は少なくなっていました。残った私たちは、大法をしっかりと信じ、真相を伝えて大法を実証し、衆生を救い、迫害が終わるまでこの道をしっかりと歩まなければならないという共通の認識を持っていました。この20年間で、高齢の学習者が何人か亡くなりました。コロナ禍によるロックダウンが終わった後、残ったのは私と学習者一人だけでした。
師父は説法(訳注1)の中で何度もこのプロジェクトを肯定しておられたので、私たちは恐れませんでした。粘り強く続ける必要があると分かっていました。もう1人の修煉者はよく「師父が私たちのためにこれを準備してくださったのですから、私たちは毅然として粘り強く続けなければなりません」と言って私を励ましました。また、私たちは生涯を通じて築いてきたつながりのおかげで、うまく協力できると固く信じていました。私たちは法を学びながら、よく意見を交換しました。
(訳注1)「長年、中国領事館、真相拠点で活動を続けている学習者は本当に素晴らしいのです」(『各地での説法十五』「二〇一九年ニューヨーク法会での説法」)
師父は私たちが法を学ぶ時間を長くするよう望んでいると私たちは悟り、私は毎日、「三講」(約200ページ前後)の『轉法輪』を読むことに目標しました。もう1人の修煉者は、「あなたは師父が説かれた法をよく理解していますが、実践していないのです。師父は『事々対照し 做すところ到るは是れ修なり』(『洪吟』「実修」)と教えられました。師父を真剣に受け止めないのはよくないです」と言いました。私はそのことに気づいていましたが、自分のレベルが十分ではないと思っていました。ゆっくりと進み、毎日「三講」の『轉法輪』を読むことはめったにありませんでした。私はしばしば自分に失望し、なぜ精進しないのかと考えていました。
昨年、神韻の準備を始めたとき、私は病業を経験し、聴力をほとんど失いました。救急車の音は鳥のさえずりのように聞こえました。食事をした後、私は元気がありませんでした。領事館でわずか2時間過ごした後、私は震え始めました。家に帰るまで、「師父、私に力を与えてください」と絶えず唱えなければなりませんでした。その後2、3日は外出する気力もありませんでした。
もう1人の学習者は「大法弟子は死を恐れないのに、なぜ病業を恐れる必要があるのか」と言いました。私は、彼も業に苦しんでいることに気づきました。彼の足はひどく感染症にかかっていて、膿がにじみ出ていて、歩くのも困難でした。それでも、彼は毎日、真相を伝える資料を積んだカートを押して領事館に通っていました。彼は正念が強く、痛みも気にせず、死を恐れていませんでした。私は苦しんでいましたが、恐れを捨てておらず、私たちの認識には大きな違いがありました。彼は自分の正念と正行で私を強くしてくれました。師父はこの学習者の正しい行動で私の不十分さを指摘しておられるのだと分かりました。
私は法理を悟っても、それを実践しなければ、修煉はしっかりしていないと悟りました。そして、この理解を現在の病業と結び付けました。私は迫害が終わるまで領事館の前で真相を伝え続けるという当初の約束さえ果たせなかったのです。深く後悔しました。
2日後、私は回復し始めました。一気に「六講」(約400ページ前後)の『轉法輪』を勉強しました。私は今まで経験したことのない静寂の状態に入りました。私は歩き始めたばかりの子供のように感じ、一歩一歩師父が私を守り導いてくださいました。法の一文一文が佛の恩寵に満ちているのが分かりました。法を読むと、私のさまざまな執着心が指摘され、それをまるで私が背負っている重荷のように感じました。私は自分自身に尋ねました。「今後の道をしっかり歩むとはどういうことか?」。その時、私の心に「修煉は初志貫徹すれば、必ず成就する」(『各地での説法十二』「世界法輪大法デーの説法」)という法が浮かびました。よし、そうしたら、私は煉功から始めましょう。
煉功の音楽が始まり、師父の声を聞いたとき、師父が大法弟子に法を伝え、優しく導いてくださっているのを感じました。これは何と貴重なことでしょうか。この過程で遅れたり、逸脱したりしてはいけません。煉功の訣は鏡のようで、私の間違った煉功動作の背後に隠れた執着を映し出していました。
私は協調人を自宅に招き、誠実に私の不足を指摘することをお願いしました。彼女はとても親切で、法の原理についての理解を共有することで私の理解を深めるようにし、自信をつけてくれただけでなく、日常生活のアドバイスもしてくれました。彼女は私を助けたいと思っていたので、私を知らない修煉者を連れて来てくれました。すぐに、体の中で何かが溶けていくのを感じました。その後、私は煉功をすると、師父が説かれた訣より深い意味を理解しました。「…身神合一 (Shenshen Heyi)(体と心が一つになり) 動静随機 (Dongjing Suiji)(動と静は機に随い)…」(『大圓満法』「動作の図解」)。私は修煉を始めたばかりのように、つまり本来の存在の純粋な形に戻る修煉であるかのように、私は修煉について新たな認識を得ました。
私たち全員が法に浸り、修煉の道を完成することを願っています!
師父、ありがとうございます。同修の皆さん、ありがとうございます。