【明慧日本2024年11月15日】(遼寧省=明慧記者)瀋陽市の法輪功学習者・黎淑珍さん(以下、学習者)は、9年間にわたる不当な拘禁、拷問、年金剥奪、そして中国共産党(以下、中共)の関係者による継続的な嫌がらせを受けた末、今年10月13日に亡くなった。享年77歳。
黎淑珍さん |
黎さんは工場で30年以上熱心に働き、1996年に退職した。人生前半の過労が原因で大病を患った。45歳の時、B型肝炎にかかり、それから間もなく嚢虫症に罹り、漢方薬を2年間飲んでも治らなかった。50代の頃、十二指腸胃潰瘍になり、食事も摂れなくなり、胃の痛みで心臓も悪くなり、心筋虚血や心不全を起こした。自転車に乗っているときに転倒して腰椎骨折、骨増殖症になり、歩行困難となり、数年間自転車に乗ることも、家事もできず、毎日言葉では言い表せないほどの痛みに苦しんでいた。
1996年3月1日、黎さんの人生で最も忘れられない日となった。その日から法輪功を学び、しばらくして長年苦しんでいたすべての病気が消え、黎さんは病気から解放された喜びと、内に向けて心を養う素晴らしさを体験した。そして日常生活においても真・善・忍の原則に従い、自らを律するようになった。
しかし、この幸せな生活は3年後、中共の江沢民集団が発動した前例のない残酷な弾圧によって完全に破壊された。1999年7月、中共は法輪功を中傷するデマを広め、学習者を必死に迫害した。法輪大法の恩恵を受けた黎さんは、法輪功の無実を訴えるために北京に行って事実を伝え、真・善・忍への信念を貫いたとして、様々な迫害を受けてきた。
2000年の旧正月中、黎さんは于洪区政法委610弁公室の人員らに連行され、于洪区福祉センターに5カ月以上拘禁された。帰宅してからわずか3カ月後、再び連行され、20日間以上拘束された。
2004年1月15日夜、黎さんは自宅に侵入してきた瀋陽市公安局鉄西支局の警官・劉波、李強、柳青、楊海らにより連行され、家宅捜索を受けた。鉄西国内安全保衞部門(法輪功迫害の実行機関)で、黎さんは48時間にわたり拷問された。2004年5月27日、瀋陽市鉄西区裁判所は黎さんに懲役9年の実刑判決を下し、遼寧省女子刑務所に拘禁した。刑務所の第5監獄区で、黎さんは法輪功をやめないとして、各種の体罰を加えられ、睡眠の剥奪、毎日10時間以上の重労働を強いられたことによって、歩けなくなった。また、家族との面会の権利を何度も奪われた。
2013年1月16日、ようやく9年間にわたる地獄のような監禁生活を終えた黎さんは、身内と再会したが、地元の派出所やコミュニティ、住民委員会の関係者らによる嫌がらせを受け続け、本人も家族も常に怯え、平穏な生活ができなかった。
2020年8月と9月、瀋陽市社会保障局と于洪区支局は、黎さんが9年間拘禁されていた期間中に年金を「回収」し始めた。9年間の不当な拘禁は、黎さんと家族に多くの苦しみをもたらし、今、社会保障局が黎さんの最も基本的な生計の年金を断ち切ったため、一家の生活は一挙に困難な状況に陥った。黎さんは自分たちの権利を守り、公開書簡の形で市、区の社会保障部門に提出したが、反応が全くなく、未解決のままである。
2021年末、人々に迫害の実態を知ってもらうため、黎さんは于洪区の沙嶺住宅地で資料を配布していた。しかし、政府の虚言に騙された人に通報されたため、沙嶺派出所の警官により連行され、家宅捜索を受けた。その後「保証人を立てて尋問を待つ」という条件付きで保釈されたが、半年後、沙嶺派出所の警官から電話があり「事件はまだ終わっていない、署名しなければ、検察庁に報告しなければならない」と脅かされた。
その後、黎さんは于洪区迎賓路派出所の警官およびコミュニティの関係者から、新唐人テレビの受信機を外すよう強要され「すでに検察庁に起訴した」と嫌がらせを受けた。威圧の中、黎さんは新唐人テレビの受信機を外した。以来、家を出る度に尾行され、監視されていることがわかった。
2022年、黎さんの夫は中共による迫害の中でうつと病気で亡くなった。一連の打撃を受けた黎さんは、健康状態が悪化して寝たきりになり、今年10月13日に亡くなった。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)