文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年11月19日】(前文の続き)
陰惨な牢獄の中で大法を証明する
刑務所の環境は非常に悪く、受刑者たちは大法弟子をよく殴ったり罵ったりしていましたが、大法弟子は静かに耐えていました。後になって私は悟りましたが、これは邪悪な勢力を助長していることになるので、反迫害しなければならないと感じました。暗黒の刑務所では誰にも理を言う場所はありませんでしたが、家族が面会に来た時に、私は刑務所での悪行を家族に伝えました。家族はその殴った受刑者たちを裁判所に告訴し、もし裁判所が何も処理しないなら、さらに告発すると誓いました。裁判所は仕方なく、これらの受刑者たちに対処しました。しかし、受刑者たちは納得せず「ある警官が殴るように言った」と言いました。家族はその警官たちも告訴し、結果としてその警官たちも処分されました。それ以来、刑務所で大法弟子を殴る現象はなくなりました。
刑務所で法を学び、功を煉ることは本当に非常に困難でした。しかし、困難でも法を学ばなければなりません。もし本がなければどうするのか? 数人の大法弟子が『轉法輪』を暗記できることを知っていました。これらの同修たちは、暗記した部分を紙に書き留め、互いに補い合い、修正しながら進めていきました。こうして『轉法輪』という宝のような本はすべて書き写されました。各講義ごとに一冊にして、合計で9冊を書きました。このようにして、みんなで法を学ぶことができるようになったのです。これらはすべて刑務所の監視下で秘密裏に行われました。
刑務所内には至る所に監視カメラがあり、功を煉るのはさらに難しくなりました。しかし、私は邪悪な命令や指示に従うことはできませんでした。私はこの困難を突破する決意を固めました。
ある晩、みんなが休んでいるとき、私は寝台の上で煉功を始めました。まず動功を行い、功法の音楽がなかったので、数を数えながら煉りました。勤務中の監視員がそれを発見し、停止するように命令しましたが、私は聞かず、続けて煉りました。監視員は腹を立てて近づき、強引に座らせましたが、私はそのまま静功を続けました。再び監視員が私を横にさせようとしましたが、私は反抗せず、彼が去った後、再び立ち上がって続けました。最終的に監視員はどうすることもできず、私の寝台を別の場所に移し「ここは監視カメラの死角だから、ここでならやっても良い」と言いました。私は心の中で大声で叫びました。「師父、私は成功しました!」その後、私は普通に功を煉ることができるようになりました。
刑務官は私に「五書」(信仰を放棄させること)を書かせようとしたり、似たような書類にサインさせようとしましたが、私は毎回拒否しました。私は固い決意で「どんな書類も書かない! どんなサインもしない!」と心に誓いました。私は大法弟子であり、大法弟子という栄光ある称号を汚すことは絶対にできませんし、命を救ってくださった恩師に対して良心に背いてはいけません。この「絶対に書かない、絶対にサインしない」という思いは岩のように堅固で、どんな邪悪な力も私を動かすことはできませんでした。
私が出所する前の数日、刑務官は再び私を脅し、恐怖を与えました。「書かない、サインしないなら、絶対に出所できないし、刑も増えるぞ」と言われました。私は心の中で「あなたたちが言うことではない、師父が決めることだ」と思いました。外の同修たちはこのニュースを聞き、私が出所する前の1週間、私の情報を明慧ネットの中国大陸の総合コラムに掲載しました。出所の日付と具体的な時間を記載し、同修たちに正念を送るようお願いしました。ここで、私を無償で助けてくださった同修たちに感謝の意を表します。
3年の冤罪が終わったとき、私は慈悲深く偉大な師父のご加護の下、同修たちの助けを受け「師父が私に与えてくださった道を信じて歩む」という信念で、27人の三退リスト(これらの名前は私は心にしっかりと刻んでいました)を持って堂々と刑務所の門を出ました。迎えに来てくれたのは私の家族、村の役人、そして派出所の警官でした。私は無料の警察車で家に帰ることができました。
大法は私に知恵と賢さを開かせてくれた
家に戻った後も、警察は3日とあけずに私に嫌がらせをし、無理に「五書」を書かせたり、署名させようとしました。「署名しなければ、再び監禁し、今度はもっと長い期間にする」と脅されました。邪悪の目的は、私が修煉を放棄するように迫ることです。村の役人たちも、様々な理由で私を困らせ、金銭をゆすろうとしました。真相を伝えても、彼らは聞く耳を持ちませんでした。このような状況では修煉に集中できないと感じ、私は修煉の環境として適していないと判断しました。だからこそ、私は「行脚」することを決心しました。さすらい流離の生活は苦しいですが、邪悪な嫌がらせが少なくなり、三つのことをもっと良く行えるようになると思ったからです。
私は再び家を出て、以前住んでいた都市に戻りました。そこには家族よりもっと良い同修たちがいました。同修たちの助けを借りて、建設現場で仕事を見つけました。ある偶然の機会に、電気工事の担当者が忙しくて手が回らなくなり、私を手伝いに呼びました。その時、私は電気に関する知識を学び、電気工事の資格証を取得しました。さらに、図面の読み方も学びました。後には、専門家でも理解できない図面が私には理解できるようになったのです。自分でも信じられない思いでした。私は数年しか学校に通っておらず、文化大革命の影響で覚えた文字もほとんど忘れてしまったのに、あのびっしりとした図面が理解できるとは。これは大法から与えられた智慧であり、大法の神奇さと、大法弟子の非凡さを証明するものだと確信しています。
私は仕事を通じて、出会った縁のある人々を救うことができました。ある時、ある住宅区で回線の検査と改造を行っていた際、高齢の夫婦と出会いました。話をしてみると、彼らはどちらも退職した職員で、彼らの受け入れ能力を考慮して、真相を伝え、三退をしてもらいました。彼らは、書籍を読んで法を学び、功を煉ることを決心しました。
作業仲間たちは大法の神奇さを再び目の当たりにした
しかし、修煉の中で業力の転化や心性の向上はよくあることです。ある時、電動ノコギリを使って作業していた際、不注意でノコギリで右手の3本の指を切ってしまい、その場で血が止まらなくなりました。同僚たちは驚き、急いで私を病院に運びました。医者は一瞥(いちべつ:ちらっと見ること)して「まず1万元(約21万円)の保証金を支払ってから、入院手続きを進めます」と冷たく言いました。同僚らは「まず処置してくれ、血が止まらないんだ」と言いました。医者は「お金を払わなければ、何もできません」と答えました。同僚たちは「こんなにひどく手を怪我して、筋肉も断裂して骨も傷ついている、最悪切断しなければならないかもしれないのに、こんなひどい病院なのか?」と焦りながら言いました。別の工友(こうゆう:労働者間の呼称)は続けて言いました。「お金を求める病院さ」
彼らの会話が私に思い出させてくれました。すぐに悟りました。「そうだ、これは普通の人のための病院だ。私は大法弟子であり、超常の存在だ。どうして彼らに治療してもらう必要があるのか? 私は道を誤った」と悟った瞬間、すぐに正しい方向に戻りました。私は一緒に来た同僚たちに「帰ろう、治療しない」と言いました。1人の同僚が「こんなに出血しているのに、帰って大丈夫なのか?」と言いました。私は「大丈夫だ。私は大法を修めている、師父が守ってくれる」と言いました。住処(すみか)に戻った後、私はきれいな布で手を包みました。血は止まりましたが、痛みはひどかったです。本当に十指連心と言いますね! 見ると、3本の指はますます腫れて、紫黒い色になり、親指は麻痺していました。人差し指は曲げられず、中指は感覚がありません。手全体が熱を持っていました。ああ、見たくないし、考えたくもありません。「師がいて、法があれば、何を怖がることがあるだろうか?」(『シドニー法会での説法』)私は「難忍能忍、難行能行」(『轉法輪』)を暗誦し始めました。とにかく思い出せる法を思い出しては、学法、修功、発正念を絶え間なく続けました。少しずつ手の腫れは引き、最終的に3本の指は徐々に元通りになりました。私は再び工事現場で働き始め、同僚たちは大法の神奇を目の当たりにしました。
私の修煉の道を振り返ると、家を追われて遠くの田舎に住む親戚の家に避難し、再び都市で働き、邪悪に囚われて3年間迫害されました…。非常に難しい道のりを経験し、波乱に満ち、苦しみの連続でした。もし師父の絶え間ないご加護がなければ、この道を歩むことはできなかったでしょう。今後、修煉の道がどれほど遠く、どれほど難しくても、私は師父の道を堅固に歩み続け、私の使命を果たします。師父について法を正し、衆生を救い、前世の誓いを果たし、師父と一緒に帰家します。
私の理解は限られていますので、どうか慈悲をもって同修の方々にご指導いただければと思います。
(完)