文/中国東北の大法弟子が口述、同修が整理
【明慧日本2024年11月23日】
偉大で慈悲深い師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
法輪大法を修煉する前、私は心臓病、リウマチ、腎炎、大腿骨頭壊死、頸椎の痛み、耳の膿、鼻血がよく出るなど、数多くの病気を患っていました。頭から足まで病気だらけで、「病気の問屋」と呼ばれるほどの状態でした。法輪大法が私を救い、健康な体を与えてくれました。中共の腐敗した社会環境の中で、法輪大法は私の道徳水準を絶えず高め、私を自分勝手な人間から、他人のために尽くし見返りを求めない善良な人間へと変えてくれたのです。
身体の関を乗り越え、修煉の意志を確固たるものにする
私は重病を患っていた状態から、健康そのもので善良な人間へと変わりました。息子と娘もこの奇跡を見て、法輪大法の素晴らしさを目の当たりにしました。彼らは心の中で「法輪大法が母親に二度目の命を与えてくれたのであり、もし法輪大法を修煉していなければ、母親はすでにこの世にいなかっただろう」と理解しています。法輪功を修煉した後、私は何度か病業の関を経験しましたが、そのたびに注射も薬も使うことなく、すぐに乗り越えることができました。そのたびに、子どもたちは法輪大法の素晴らしさを再び目の当たりにしたのです。
平屋に住んでいたときのことです。一度、私の腰に「帯状疱疹の症状が現れ、症状の両端がつながる寸前でした。民間では帯状疱疹の両端がつながると命の危険があると言われています。それでも私は全く恐れず、娘や息子にも知らせませんでした。洗濯も料理も部屋の片付けも、自分のことはすべて自分で行い、普段通りに過ごしていました。その時の痛みは骨身にしみるほどで、鋼の針で刺されるような感覚でした。それでも学法や煉功を怠ることなく、自分を病人だとは思いませんでした。しかし、腰を曲げて床に置いてある鍋を持ち上げるときは、本当に耐え難い激痛が走り、歯を食いしばりながら何とか痛みに耐えて鍋を持ち上げていました。
これは、私の「師を信じ法を信じる」信念に対する試練でもありました。痛くても自分を病人だとは思わず、息子や娘に世話をさせることはしませんでした。痛みを感じながらも、自分で腰を曲げて鍋を持ち上げ、一日三食を自分で準備しました。もし他人に水や食事を運んでもらうように頼んでいたら、それは間違いだったでしょう。一つには、自分を病人と見なしてしまうことになり、もう一つには、師父と大法を信じていないことになります。さらに言えば、その時点で真の修煉や実際の修煉ができていないことを意味します。修煉の道において、表面的には人に数日間世話をしてもらうだけの小さなことに見えるかもしれません。しかし、修煉は厳粛なものです。他人に世話をさせるということは、世俗の次元にとどまってしまうことであり、その結果、修煉の道で心性を向上させることができなくなるのです。
私は痛みをこらえながら「もし法輪大法を修煉していなかったら、私はとっくにこの世にいなかっただろう。この程度の痛みや苦しみが、真に修煉する大法弟子の精進する歩みを妨げることなどできるはずがない」と心の中で考えました。その結果、十数日で症状は消えました。
しかし当時は、それを「消業」と誤解し、旧勢力が強制的に与えた迫害を受動的に受け入れてしまったのです。もしその時に観念を変え、あるいは堅定な一念を持っていたなら、帯状疱疹の症状は数時間、もしくは一瞬で解体していたかもしれません。
ある時、高熱が出て、全身が炭火のように熱くなり、自分で服を着る力すらなく、目も開けられない状態になりました。全身が痛み、一分一秒が耐え難い苦しみでした。息子は私が乗り越えられると信じており、師父や大法に対して一言も不満を口にしませんでした。しかし、彼自身は修煉していないため、母親の姿を見て胸を痛め、落ち着かずに部屋を行ったり来たりしていました。その後、息子は砂糖と酢を混ぜた大きなコップ一杯の水を持ってきて、「お母さん、少し飲んでください。甘酸っぱくていいですよ」と言いました。私は心の中で「師父がそばにいるのだから、何を恐れることがあるだろう」と思い、息子に「そこに置いておいて。私は明日には元気になるから、その時に飲むよ」と言いました。
今回は、旧勢力が強制的に与えた迫害を受動的に受け入れることはせず、息子に「翌朝には良くなる」と言っただけでなく、その正念を心の中で堅く持ち続けました。その結果、師父が弟子のためにこれらの黒い物質を取り除いてくださったのです。翌朝には「発熱」の症状が完全に消え、全身が軽やかで、心身ともに爽快でした。私はそのまま起きて朝食を作り始めました。その姿を見た息子は大変驚き、再び法輪大法の素晴らしさを目の当たりにしました。その時、私のことを一晩中心配していた弟の妻が早朝に家を訪ねてきました。私の元気な様子を見て彼女は喜び、「お姉さん、昨日は本当に怖かったよ! 顔も唇も青紫色で、どうなることかと思ったのに、今朝はもう朝食を作ってるなんて。本当に良かった!」と言いながら、満面の笑みで喜んでいました。
数日間鼻血が出続けたことがありましたが、それでも私は毎日外に出て真相を伝えました。「これは良いことだ。師父が弟子の体を浄化してくださっているのだ」と考えました。その結果、鼻血が止まった後、頭がより軽やかで冴えるようになりました。
夫が生前、私の脚を傷つけたことで、脚に卵のような大きさの硬いこぶが残りました。法輪功を修煉し始めてから、脚を組む際にそのこぶの部分が特に痛み、座禅をするたびに全身が震えるほどでした。それでも私は脚を下ろすことなく、布で脚を縛り、半年以上続けました。どれほど痛くても耐え抜き、苦しみや痛み、困難があっても、師とともに本来の自分に帰る道を妨げることはありませんでした。一分一秒を堅持し、一分一秒を耐え抜きました。その時間は非常に長く感じられましたが、私の心には大法があり、師父が弟子に授けてくださった金剛のような堅い正念がありました。覚悟を決めてこう考えました。「師父が弟子に二度目の命を与えてくださったのだから、師父の教えに従い、苦しみに耐え精進しよう。絶対に脚を下ろさない」と。耐えられないほどの痛みを感じたときは、『洪吟』の「その心志を苦しめる」を何度も暗唱しました。師父は弟子のために非常に多くを耐えてくださり、見返りを一切求めることはありません。ただ私たちが精進の心を持つことを、そして金剛のような意志を持つことを願っておられるのです!
脚が痛ければ痛いほど、私はさらに堅持して脚を組み続けました。修煉はまるで逆流を遡る舟のようなもので、進まなければ後退してしまいます! 私は一分一秒を大切にしながら、関を乗り越えようと努力し続けました。
脚を組む時間が終わった後に気づいたのですが、結印していた時、痛みをこらえて必死に堪え忍んでいる間に、片方の親指の爪がもう片方の親指の爪の下に食い込み、そこに血のにじむ傷を作っていました。修煉中はそれに全く気づかず、痛みも感じませんでしたが、脚を組み終えた後になって初めて痛みに気づいたのです。
師父は私の堅固な修煉の心を見て、私の身体を浄化してくださいました。そのおかげで、私は階段を上るのも、歩くのも、働くのも軽々とでき、まるで病気がまったくないかのように感じられるようになりました。今年で私は75歳になりますが、多くの人が「実際の年齢よりずっと若く見える」と言ってくれます。娘は私が法輪大法を修煉しているおかげで、多くの恩恵を受けていると話しています。「お母さんが健康だから、どんな仕事でもできるし、私たちに迷惑をかけることもない」と言い、私の修煉を支えてくれています。彼らもそのおかげで福報を受け、仕事は繁盛しています。
私は師を助け、人々を救う歩みを妨げることはできない
私たちの周りには、遠方に行って子どもたちの面倒を見たりして、修煉から外れている同修がいます。彼らは長期間、人を救う活動を行わず、真相が書かれたのコインを少し使うだけで満足している人もいます。中には、その真相コインさえ使うことを恐れ、子どもたちへの情を最優先にし、師父からの度重なる慈悲の啓発を軽視している者もいます。また、生命よりも金銭を大切だと考え、次第に修煉を疎かにしてしまう同修もいます。修煉者が、子どもへの情や名誉、利益、感情に引きずられ、世俗的な執着に縛られてしまい、人間界で破滅すれば、最終的には自分自身と自分が代表する天体の衆生を滅ぼすことになるでしょう。
私は心の中で堅固な一念を持っています。「私の命は大法のために存在している。私の命は師父との誓約を果たすためにある。だから、子どもたちへの情に引き寄せられてはならない、世俗の煩わしさに迷ってはならない」。大法は私に、岩のように固い正念を与えてくださり、弟子は師父が計画された修煉の道を正しく歩めば、師父はその正念と正しい行いを加持してくださいます。
私は外に出て真相を伝え、師に手伝って人々を救う活動を行っていますが、子どもたちは一切不満を言いません。嫁がお産しても、私の精力は全く取られません。娘がどんなに忙しくても、私は子どもの面倒を見る必要はありません。20年以上にわたり、息子と娘は私の法輪大法の修煉を全面的に支持してくれています。息子が帰るたびに、最上級の果物を買って師父に敬意を表し、娘も果物を買って師父に敬意を表しています。子どもたちは私の修煉を強力に支援してくれるだけでなく、息子、娘、そして娘婿が時には私を助けて師父の法を証明する善行を手伝ってくれています。
師父の加持のもと、真相を伝えることはすでに私の日常生活に溶け込んでいます。ある日、息子が私を彼の親しい友達の家に食事に連れて行ったとき、私は真相を伝えました。息子は止めるどころか、嬉しそうに言いました。「ママ、言わなくていい、僕が言うよ」。息子はその友人に真相を伝え、「離党してよ、離党すれば何をやっても順調にいくよ」と勧めました。息子の友人は「三退」した後、拳を高く上げて叫びました。「私は党を脱退しました! 私は離党しました!」その叫び声は屋内から屋外まで響き渡りました。
彼は自分だけでなく、私に頼んで彼の妻と娘の「三退」も手伝ってほしいと言いました。家族全員が真相を理解し「三退」した後、私は彼らに『天賜洪福』という本を渡し、さらに大法についてを知ってもらいました。以前、彼の家は豚を飼っており、最も多くても年間20万(約400万円)以上の収入でしたが、時には大きな損失を出していました。しかし、家族全員が「三退」し、大法が良いことを理解してから、福報が訪れました。1年も経たないうちに、彼の家は百万元(約2千万円)以上を稼ぐようになりました。息子が外地から帰ってくると、その友人は私の息子を食事に招待してくれました。彼は嬉しそうに言いました。「しっかり食べなくてはいけない、今年は百万元以上稼いだんだよ!」
私は笑顔で真相を伝えに出かけ、人々から年齢を聞かれると、実際の年齢を答えますが、皆は私が75歳だなんて信じません。ある日、バスに乗っていた時、若者と一緒に座っていました。私は彼に真相を伝えました。彼が私の年齢を聞き、70歳を過ぎていると知ると、とても驚いて、「あなたは、歩くのも車に乗るのも本当にスムーズですね」と言いました。彼の言外には、私はまるで70歳を超えているようには見えないという意味が込められていました。その若者は、私の身に起きた奇跡を目の当たりにし、嬉しそうに「三退」しました。またある時、警察官が私の腕をつかんで、「あなたは、どうしてそんなに元気なのですか?」と聞いてきました。私は笑いながら答えました。「大法を学んでいるからです」。すると警察官は、「あなた、虚勢を張っているわけじゃない、腕の筋肉がしっかりしていますね」と言いました。
ある朝、外出していると、私服警察に出会いました。私は彼にどこで働いているのか尋ねたところ、彼は冗談で「アルバイトをしている」と答えました。私は近づいて行き、言いました。「赤いスカーフをつけたことがありますか?」彼は「ある」と言い、「君は党のチームのメンバーか?」と聞くと、「はい」と答えました。私は彼に「三退」を勧めました。彼は「どうして退かなければならないのか?」と尋ねましたので、私は真相を伝えました。すると、彼はスマホを取り出して、警官の制服を着た写真を見せてくれました。私は彼の肩を軽く叩き、「決して法輪功を迫害しないように」と言いました。彼は「行ってください、私はあなたを捕まえたくありません」と言いました。私が真相を伝えに出かけると、多くの人々は私が法輪大法を修行していることで、実際の年齢よりも若く見えるのを見て、真相を聞くことに興味を持ち、また「三退」をすることを願っています。昨年、私はある女性に真相を伝えました。彼女は「三退」をした後、私の手をしっかりと握りしめ、心から私を家に招待してくれました。彼女は私に餃子を食べさせたいと言いましたが、私は遠慮して断りました。今年の夏、再び彼女と再会しました。彼女は私を見つけ、とても喜び、私に「行かないで、まだ話したいことがあるから、法輪大法の素晴らしさについてもっと聞きたい」と言いました。
どこに行っても、師父と交わした誓いを忘れずに守らなければならないと心に決めています。あるとき、息子、息子の妻、娘、娘婿と一緒に観光地に行くことになりました。私は心の中でこう思いました。旅行に出かけても、法を証明する大切なことをおろそかにしてはいけない。もし、ただ楽しむことだけを目的に観光地に行き、美しい景色を楽しんでしまうと、その一日が無駄になり、師父の慈悲深い教えを無駄にしてしまうことになるからです。観光に出かけても、私は師に手伝い法を正す歩みを止めてはいけません。私は事前に横断幕と長い柄の雨傘を準備していました。観光地に着いた時、娘婿が私と一緒に横断幕を掛けました。彼は傘を持ち、傘の柄に付いているフックで枝を引っかけ、もう一方の手で枝を引きました。私は足を上げてその枝に横断幕を結びました。横断幕を結び終わると、枝が弾んで、横断幕は高い空中に吊るされました。観光客たちもその光景に驚きました。観光地で横断幕を掲げることによって、別の空間でも邪悪な要素を震撼させることができました。
その後、警察に見つかりました。私たちが出発する時、車は止められ、警察が捜索を始めました。この重要な瞬間、師父を信じ、法を信じることができれば、危険を回避することができ、師父の加持を受けることができます。私は心の中で師父に弟子を守ってください、私は迫害されるわけにはいかない、師父の助けを得て世間での行いを止めてはいけませんとお願いしました。結果として、残りの横断幕や真相の冊子は警察に発見されることはなく、何も突き止めることはなく、私たちの車は無事に通過しました。師父の加持のもと、私は無事に横断幕を他の場所に掛けることができました。私は二本の竹竿を繋げて、横断幕を高い木に掛けることができるようにしました。同修と協力して、夜に大きな横断幕を掛けることを行い、数年間にわたって多くの大きな横断幕を掛けました。時々、娘が車で私を送って横断幕を掛ける手伝いをしてくれ、時には息子が車で同行し、一緒に横断幕を掛けました。私は地元だけでなく、外地に行く際も、「法輪大法は素晴らしい」などの内容の小さな横断幕を持っていきました。
何年にもわたって、同修と一緒に真相を伝えたり、横断幕を掲げたりする約束をしたときは、どんな風雪でも、私と同修の協力によって、師父の法を証明する足取りを止めることはありませんでした。ある年の冬、雪が一尺以上も積もり、私は同修と共に寒風を突いて大きな横断幕を掛けに出ました。私たちは夜の8時に出発し、北方の厳冬の中、深い雪の中を一歩一歩進んでいきました。私たちは数十枚の大きな横断幕を掛けました。その時は寒さを感じませんでしたが、家に帰ってから、手でドアを触ってみると、ドアは暖かく、壁も暖かいことに気づきました。その時、初めて自分が体全体が凍えていたことを感じました。時計を見ると、もうほぼ真夜中の12時でした。急いで座禅をして正念を発しました。
何度か、夏の夜に同修と一緒に大きな横断幕を掛けに出かけた時、途中で突然大雨が降り出しましたが、私たちは一切退かず、家に戻ることなく、どれだけ多くの横断幕を掛けることができるかに挑戦しました。雨は「ザーザー」と頭の上から降り注ぎ、顔を伝って滴り落ち、みんなびしょ濡れになり、靴の中にも雨水が浸透しました。しかし、横断幕は雨に強く、晴れれば自然に乾き、風が吹くとそのまま大きな木の上で揺れ続けました。師父の法を証明でき、別の空間の邪悪を解体できるのであれば、雨に濡れた衣服など何の苦しみでしょうか?! 私たちは依然として楽しそうにしており、誰一人として家に帰って安逸を求める者はいませんでした。一つ一つ、横断幕を掛け続け、すべての横断幕が高い場所に掛け終わった時、ようやく帰路に就きました。いくつかの「法輪大法は素晴らしい」や「世界は真、善、忍を必要としている」などの内容の大きな横断幕は、長い間、誰にも動かされることなく掲げられました。その中の一つは鉄道沿いの大きな木に掛けられており、半年以上もそのままで、通り過ぎる人々は遠くからでも見えるようになりました。
尾行や待ち伏せは、私が真相を伝える足取りを止めることはできません。数年前、地元の同修の多くが尾行され、パトカーで追跡されたり、数人のグループに監視されたりしていました。私は真相を伝えることに「敏感な日」はありません。行きたいときに出かけ、警察に尾行されようが、待ち伏せされようが、私には全く関係ありません。私はそのような概念を心の中に持っていませんし、彼らには私を管理する権限はありません。私は師父に守られているからです。何時、出発し、どこに行って法を学んでも、警察はそれを知っているでしょうが、私たちの法を学ぶグループは、師父の加持のもとで、正念と正行で進んでいます。学法グループの同修は皆精進しており、決して止まることなく、同修同士で学び、煉功し、私たちは法を実証する努力は絶えず続けています。
時々、私は連行され、家に戻って1、2日法を学んだ後、再び真相を伝えに出かけます。2022年の夏、ある日、私は同修と一緒に真相を伝えに行く予定でした。家を出た直後、2人の警官に連行され、派出所に連れて行かれました。警官は私に、なぜ法輪功を修煉しているのかと尋ねました。私は「私は全身に病気がありましたが、法輪功を修煉することで健康になりました」と答えました。彼らは私に他の宗教を信じるように言いましたが、私は「教会や仏教、観音様を信じましたが、治りませんでした。法輪功を修煉してこそ、私は新しい命を得たのです」と答えました。「人として良心を失ってはいけません。私は署名できませんし、『三書』にもサインしません」とも言いました。
警官は三退の名簿と私の携帯電話を取り上げ、「確認するために持っていく」と言いました。私は師父の加持の下、心の中でこう思いました。「あなたたちがそれを持って行っても無駄だ、確認できない。三退の名簿は私に返すべきだ、それは人々を救うためのものだ」。私は師父に弟子の強力な正念を加持して頂き、また師父に智慧を授けて頂くように祈りました。携帯電話の中に同修との交流や修煉体験が含まれていることを警官に気づかれたくなかったのです。高密度で正念を発し続けると、警官は動揺し、わずか1時間も経たずに、携帯電話と三退の名簿を私に返しました。昼食時、警官は私に食事と水を勧めましたが、私は「食べません、家に帰って水を飲みます」と答えました。心の中で一念を強く決意し、師父が私に病気の虚像を解消してくれたことを信じ、派出所からは私の子供に電話をかけて、私を迎えに来させました。家に帰った後、1、2日間法を学んでから、再び直接人々に真相を伝えに出かけました。
昨年の春、私は派出所に連行されました。警官は、他の大法弟子はすべて「三書」を書いたと言い、「あなた1人だけ書いていない」と騙しました。私は毅然として「誰が書こうと、私は書かない」と言い、大声で真相を話し始めました。その後、部屋にいた警官全員が部屋を出て行きました。最終的に所長は、「書かないなら、家に帰りなさい。いいから、家で修煉していてもいい」と言い、2人の若い警官が私を家まで送ることになりました。車を降りた後、彼らが階段を上ろうとしたので、私は大声で「2人とも、立ち止まれ!」と叫びました。彼らが去った後、私は自分の心を振り返り、警官に対して憎しみの心があること、真相を伝える際に慈悲が足りないこと、また争い心や恨みの心、うまくいった時には見せびらかしの心、喜びの心、不平の心などもあることに気づきました。家に帰った後、私は時間を無駄にせず法を学びました。そして、外に出て真相を伝えるべき時は出かけ、慈悲深い偉大な師父が私を導き加持してくださっている限り、何も弟子が師父についていく足取りを止めることはできません!
師父が私の家に可愛い赤ちゃんを授けてくださる
私の息子の妻は太っていて、太っている人は妊娠しにくいとされています。病院で治療にお金をかけても効果がなく、結婚して10年以上、子供を授かりませんでした。息子の嫁は、試験管ベビーを試みて何十万円も貯金して、遠方で治療を受けようと考えていました。しかし、パンデミックが発生し、治療は何度も延期され、数年が経過しました。パンデミックが解除された後、彼女と息子は遠くから帰ってきました。嫁は、大法の師父に赤ちゃんを授けて欲しいと心から願い、師父の写真の前で香を焚き、果物をきれいに洗い、敬虔に師父にお辞儀をしました。
その後、家に帰ってから3カ月も経たないうちに嬉しい知らせが届きました。嫁は妊娠していたのです。昨年、37歳の嫁は可愛い女の子を無事に出産しました。嫁は、大法師父が授けてくださった可愛い娘に感謝し、師父が彼女の運命を変えてくれたことに心から感謝しました。嫁の母親と姉も大喜びし、まるで新年を祝うかのように興奮していました。
嫁が子供を産んでも、私は外地に行って子供の世話をする必要はありませんでした。義母が積極的に嫁と孫を見守りに行きました。私は修煉者として、嫁にも気を配らなければならないと感じ、貯めていた1万元を嫁に渡しました。嫁はとても喜びました。
師父は私たちに修煉の確固たる心を授けてくださったことに感謝しています。再度、師父の加持に感謝し、弟子の正念正行に感謝します!