【明慧日本2024年11月27日】遼寧省朝陽市の法輪功学習者(以下、学習者)の閆旭光さんは、法輪功迫害の首謀者江沢民(故人)を告訴したとして、朝陽市公安警察に連行された。報復として、いわゆる「朝陽地区法輪功の総調整役である閆旭光さんを連行した。閆さんは、市委員会の元書記、王明玉による法輪功迫害に関する「打撃と実行を行うだけで、口に出さない」の機密文書を明らかにしたことに直接関与したと言う口実で告発され、不当に懲役11年の判決を宣告され、瀋陽第一刑務所において8年以上にわたり拘禁され、迫害を受け、今年10月16日に拷問により死亡した。享年66歳。
2023年10月、家族が刑務所に面会に訪れた際、閆さんの精神状態は正常であった。その後の1年間、家族は面会に行かなかった。今年10月12日、家族は突然、刑務所から「閆旭光が危篤状態にある」という電話を受けた。家族が瀋陽市第十病院に駆けつけたとき、閆さんはすでに意識がなく、「救命措置」が施されていた。2日後の10月14日、刑務所は閆さんに「保釈中」を手続きし、救急車で朝陽に送り返し、家族に引き渡した。閆さんはそのまま朝陽結核病院に搬送されたが、救命措置の甲斐なく、10月16日に冤罪を抱えたまま亡くなった。家族が会っていなかった1年間、閆さんが刑務所でどのような迫害を受けたのかは不明である。
2015年5月、中国本土で「訴えがあれば必ず立件し、訴訟があれば必ず処理する」との方針が公表された。この機に、国内外の20万人以上の法輪功修煉者や正義ある人々が、法輪功への迫害という政治運動を始めた首謀者・江沢民を相次いで訴えた。この江沢民告発の大きな潮流を前に、江沢民派の残党は極度の恐怖に陥り、一部の省や市では告発者に対するいわゆる「調査」活動を開始した。
その時、江沢民派の政治的支援を得ようと画策していた遼寧省公安庁の王大偉、朝陽市委員会書記の蹇彪、朝陽市公安局局長の李超らは、告発者への調査を利用して、朝陽市政法委員会や公安、検察庁、裁判所などの部門を集め、特別チームを結成した。この特別チームでは、李超が主要な指導者となり、2015年11月に朝陽地区で告発者100人を密かに連行するという悪辣な計画が策定された。(王大偉と李超はその後、悪報を受け刑務所に入所した)
2015年11月9日、朝陽市の街という街に警察が配備され、多くの人々が拘束された。その結果、朝陽市とその管轄県の留置場や拘置所は収容人数を超え、一時的に告発者たちを葫蘆島市や盤錦市に移送して拘束する事態となった。李超は拘置施設に対し告発者への「厳格管理」を命じ、公検法を指揮・調整して、法を無視して迅速かつ重い判決を下すよう進め、50人以上の学習者に冤罪で有罪判決を下した。そのうち4人は迫害により亡くなった。
この4人のうち、閆旭光さん以外には以下が含まれる。
李国俊さんは江沢民告発により11年の重刑を宣告され、遼寧省女子刑務所で迫害を受け、瀕死の状態でようやく「保釈中の治療」を許可され、家族に引き渡された。しかし、帰宅後わずか5カ月で冤罪を抱えたまま亡くなり、享年53歳だった。
江沢民告発を理由に6年の冤罪判決を受けた北票市の学習者・劉淑花さんは、拘禁期間終了の直前に迫害により亡くなり、享年76歳だった。
79歳の高齢だった劉殿元さんは11年6カ月の重刑を不当に言い渡され、8年間の不当な拘禁の末、身体が障害を負うまで迫害を受けた。そして今年の旧正月元日に瀋陽第一刑務所で迫害により亡くなり、享年86歳だった。
特に、閆旭光さんは「朝陽地区の総調整役であり、法輪功の主要人物の一人であり、市委員会の元書記であった王明玉が法輪功迫害に関する『打撃と実行を行うだけで、口に出さない』という機密文書を明らかにしたことに直接関与した」と言う理由で迫害を受けた。この中には、当時の事件に対して、現在は省レベルで職務についている王明玉による個人的な報復も含まれていたという。報道によれば、李超は就任直後から閆旭光さんの携帯電話を監視・追跡していた。2015年11月9日、閆旭光さんはバイクで移動中に、携帯電話を監視した警察により連行され、不当に朝陽市留置場に拘禁された。
閆旭光さんは不当に留置場に拘禁されている間に感染症にかかった。健康状態が拘禁に耐えられない状況であるにもかかわらず、警察は閆旭光さんを秘密裏に他の地域、すなわち遼寧省留置場の医療分所に移送して拘禁し、情報を厳重に封鎖して家族や親族による面会を一切許さなかった。
その後、家族が閆さんの行方を知り、朝陽市公安局国保支隊の職員に閆旭光さんの状況を尋ねたが、職員は答えるどころか、「その情報をどうやって知ったのか?」と家族に問い返すばかりであった。
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2016年8月19日、閆旭光さんに対する不当な裁判が遼寧省留置場医療支所で行われた。朝陽市政法委、「610弁公室」、朝陽市公安局、国保は検察庁や裁判所と共謀し、捏造した証拠をもとに閆旭光さんを冤罪に陥れ、11年の重刑を言い渡した。
その後、閆旭光さんは瀋陽第一刑務所の障害者チームに移送された。
遼寧省瀋陽第一刑務所は、遼寧省内で学習者を「転化」する迫害の拠点であり、全ての監区で長年にわたり学習者を残酷に拷問する場所である。刑務所内には「高戒備監区」が設けられ、陰鬱な廊下には一日中、電気棒のバチバチとした音や学習者の悲鳴が響き渡り、極めて恐ろしい雰囲気が漂っている。
高戒備監区で用いられる主な迫害手段には以下のようなものがある。
糞尿の強制注入
トラの椅子(拷問椅子)で長時間の拘束
目に唐辛子水を噴射
「排骨を削ぐ」(肋骨を擦りむく拷問)
足の指の爪を缶で打ち砕く(1回で爪が剥がれる)
1日16時間、中央が凹んで周囲が高い硬い板の椅子に座らせる
睡眠禁止や排泄の禁止
便器の水を飲ませる
飲料水のボトルに熱湯を入れて体を火傷させる
傷口のかさぶたをネジ回しで剥がす
肋骨をライターで焼く
拘束ベルトで心臓を締め付ける
長期の睡眠剥奪「熬鷹」(古代中国の有名な拷問法)
「大掛け」(手足を開いた状態で吊るす)
四肢を床に固定して引っ張る
つまようじで目を開いたままにする
綿棒で耳や鼻孔を突く
油性ペンの芯を折り曲げて鼻腔に挿入し反対側に通す
熱湯による火傷
複数の電気棒で全身や生殖器への高圧電撃
氷で睾丸を凍らせる
高音量ヘッドフォンで法輪功を中傷する音声を聴かせる
これらの拷問が行われた。
2022年5月22日、遼寧省朝陽市建平県の学習者・尹国志さんは瀋陽第一刑務所第十一監区でこのような拷問を受けて命を落とした。遺体は痩せ衰え、その状態は恐ろしく、目が飛び出ていたという。瀋陽第一刑務所で迫害され亡くなった朝陽市の法輪功学習者には、凌源市の侯彦双さん、劉殿元さん、そして閆旭光さんが含まれる。
法輪功が迫害され始めて以来、閆旭光さんは信念を貫いたために何度も連行され、迫害を受けた。その結果、彼の家庭は妻と子供が離散するという悲劇に見舞われた。
明慧ネットの報道によると、2003年1月22日、閆旭光さんは朝陽市金元市場付近で双塔区公安分局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の複数の警官に連行された。その後、双塔区国保で非人道的な拷問を受けた後、朝陽市西大営子労働教養所に送られ、迫害を受けた。
2003年の元旦から春節の間、労働教養所は巨額の年末報奨金を得るため、「攻撃」を実施するとして、学習者に対して7日間毎日毎夜連続で睡眠を禁じ、いかなる手段をも厭わず「三書」を書かせるよう強制した。閆旭光さんを含む数人の学習者は、連日連夜の睡眠剥奪を伴う「転化」と称する拷問を受け、高圧電気棒を用いた脅迫や暴力と懐柔が組み合わされ、深刻に身体と精神を傷つけられた。閆旭光さんは連日の暴行や電撃、拷問によって瀕死の状態に追い込まれた。
2011年6月30日の夜10時頃、朝陽市喀左県公安局国保の10人以上の私服警官が、公営子鎮小塔子溝村の学習者・高維英さんの家に押し入り、閆旭光さんを含む13人の学習者を連行し、不当に家宅捜索を行った。
国保は、学習者に対し、真・善・忍の教えに従って善良な人々であるにもかかわらず、数時間にわたって不当な取り調べを行い、卑劣な手段で恐喝、罵倒、暴力で自白を強要した。連行された法輪功学習者たちは、迫害に抗議して断食を続けていたが、警察は断食中の学習者に対して衣服を交換させず、家族の面会も許さなかった。数人の学習者は、金銭を強制的に取り上げられた後に釈放された。
閆旭光さんは、善良な人間として生き抜くことを貫いた結果、繰り返し迫害を受け、最終的には中共によって虐殺されてしまった。現在、閆旭光さんの母親は90歳を超えており、家族は彼が迫害によって命を奪われたことを母親には伝えていない。母親が息子を失ったショックに耐えられないのことを心配している。
善悪は必ず報いを受ける。中共の虚偽に騙され、学習者が伝えようとした真実を聞き入れず、善良な学習者を命をかけて迫害した者たちは、天理を無視し、最終的には自らを害し、他者を害している。
2022年3月、辽宁省公安庁の王大偉は職を失い、7年の刑を言い渡された。その後、再判決が出され、彼は自殺し、重傷を負って障害者となった。彼に従っていた2人の副刑務所長も3年以上の懲役刑を受けた。これらの人物は、学習者に対する迫害に深く関与し、多くの命を奪った。
辽宁省での学習者に対する迫害に関与し、報いを受けた高官はこれらの人物だけではない。これらの事例は、天理の報いが確実に行われることを証明しており、現在も迫害に加担している者たちに対する警鐘となっている。中国共産党のこれまでのすべての運動において、迫害に追従した者たちは良い結末を迎えることはできない。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)