文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年12月6日】
偉大で慈悲深い師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は1996年から法を暗記し始めて以来、今でも修煉の過程で法の暗記を続けています。1996年のとき、会社の仕事が割と暇な時があり、私は大学院に行きたいと思い、近くの学校の教室に自習に行きました。その時、「受験勉強の時間があるなら、法を暗記したほうがいいのではないか! 一番大切な法を頭に入れることができたらどんなにいいだろう!」と思いました。 そこで私は、朝早く起き、夜遅くまで法を暗記するようにしました。法の暗記する方法は、繰り返し暗唱し、何回も暗唱することでした。2001年までに、私は基本的に『轉法輪』を暗記することができるようになりました。今では、私は学法するとき、法を暗記してから法を学びます。『轉法輪』は30回書き写しました。『洪吟』、『洪吟二』、『洪吟三』、『洪吟四』、『洪吟五』は(声を出さず)24回書き写し、『洪吟六』は今暗記している最中です。
今までの修煉で、法を暗記することは、私が三つのことをうまく行い、いろいろな魔難から抜け出すために、思いがけない役割を果たしてきました。
一、病業の中で悟ったこと
2019年9月、私は病業を経験しました。ある日の早朝、恐怖感で目が覚め、トイレに着いた途端、突然、鼻と口から泥の色のような水が噴き出したのです。食べ物を吐いたわけでもないので、これは常人とは違うことだと思いました。しかし、恐怖感は次第に増し、全身に汗が出て脱力し、呼吸困難に陥り、すべて胃からきていると感じました。座ることも立つこともできず、ベッドに半分もたれかかって呼吸することしかできず、少し動いただけで息ができなくなっていました。
それからの数日間は、呼吸が苦しく、数歩歩くのも困難で、汗をかき、同時に、いつ死ぬかもしれないという、まさに生死にかかわるような恐怖感に襲われました。毎朝起きると、恐怖感や不快感はまだ残っているように感じましたが、その恐怖感や不快感は単なる言葉での表現であり、本当の状態を表現するのは難しいのです。この状態はすぐに過ぎ去るだろうと思っていましたが、まさか数年も続くとは思ってもみなかったのですが、徐々に弱まっていました。 1年以上続いたときには、すでにかなり弱まっていましたが、それでもその感覚はかなり恐ろしく、時々突然現れてきたため、混乱とパニックに陥った状態でした。しかし、こうした症状は他の人にはわからず、自分自身にしかわからなかったのです。その間の法の勉強は、主に法の書き写しや、声を出さずに書くという方法にしていました。体が不快なときは法を読むことはできなかったのですが、黙々と書く(鉛筆で)ことはできました。
この期間のことを振り返るたびに、業力の恐ろしさと生命の脆さを感じさせられました。どんなに偉い人でも、業がやってきたら、一瞬にして崩れてしまうのです。ですから、独善的な考え、業を作ることなど、特に気をつけています。業力は人を狂わせることができ、あらゆる恐ろしい状態に導くこともできます。これらの状態から抜け出すことができるのは法に頼るしかありません!
私は「業力を消去する長いプロセスは、自我をなくすプロセスであり、独善をなくすプロセスだ」と悟りました。生命として恭謙しなければならず、恭しくなければならないのです。法が第一なのです。
古人曰く「水は善(よ)く万物を利して而(しか)も争わず」(最高の善は水のようなものだ。水はあらゆるものに利益を与えながら、誰とも争わない)。水は低いところに流れ、すべてのものに利益をもたらしますが、低いところが恩恵を受けない限り、高い部分も被害を受けるのです。というのは、循環できないからです。修煉者は謙虚に物事に対処することができなければ、自分が優れていると思い、同様に周りの人に有益を与えることができず、最終的に他人と自分自身を傷つけることになります。病業における恐れは、独善に根ざしていることだと思います。新しい宇宙は、独善がなく自我もなく、他者のためにあることを特徴とします。
二、迫害される中で真実を伝える
今年、私は再び警官に連行されました。今回、警官は省を越えて、私を連行しました。私は警官に、大法は正しいもので、大法弟子は善良な人たちであることを告げ、銃口を1センチほど高くするという物語を話しました。
「法輪大法は病気の治療と健康の増進の効果があり、人の道徳を向上し、国と民衆にとって有益です。法輪功は良いものだと言っただけで、逮捕された私が、有罪を断定するとしたら、法輪功は悪いものだと毎日何千通も宣伝する報道機関の罪は何でしょうか? しかも、私が言ったことは真実であり、報道機関の宣伝は嘘であるため、その罪は大罪だと思いませんか」「天安門焼身自殺事件」は自作自演であり、王進東はあのように焼かれましたが、脚のところにあるガソリンを入れたペットボトルがそのままの状態で変形もしていません。この焼身自殺の嘘は人々に最も害を及ぼし、多くの人を欺き、大法を憎ませるためのものです」と警官に話しました。
彼らは私が言ったことをすべて案件簿に記録しました。
ある日、案件担当者5人と一緒に食事をしたとき、私は共産党の腐敗について話しましたが、彼らは皆同意しました。「共産党はウラジオストク、サハリン島(樺太)、外興安嶺(スタノヴォイ山脈)、江東六十四屯など、100万平方キロメートル以上の領土をロシアに売りました。これは歴史上結ばれた不平等条約であり、世界中がそれを知っています。不平等条約も全世界が認めるものではありませんが、共産党はそれを認めました。また、共産党は河南省に相当する広さのウリャンカイをロシアに割譲しました。平和の時期に領土を割譲するのは売国行為です」と私が話すと、彼らの1人は「あなたが話したこと、私は知っています」と言いました。
ある日の取り調べのとき、新顔の人がいました。彼は「私はついてきました」と言いました。彼は軍隊から退役してこの職に就いたばかりの若者で、自信満々のようで、「国で戦争が起きたらまた軍隊に入隊する」と言いました。私は彼が何を言おうとしているのかわかっていました。私は、「中国人はみんな愛国心を持っています。あなたは入隊したことがあるから、『六四事件』のときに第38軍の司令官だった徐勤先が命令に抵抗したことは知っていますよね?」と私は彼に尋ねました。 彼は知っていると言いました。 私は、「彼は良心のある男で、学生を撃つことはしませんでした。彼は自分が殺されても歴史的な罪人にはならないと考えたそうです。 もしあなたが学生を撃てと言われたら、撃ちますか?」と言うと、 彼は黙っていました。 私は彼の体が震え、手も震えているのを見ました。
ある日の取り調べで、警官らに他の同修の情報を求められた私は厳粛にこう言いました。「教えません。私が迫害されたこれらの苦い経験を、他の人にまた経験させるでしょうか? それに、私たちは善良な人間であり、法を犯したわけではありません」。それ以来、彼らはそのことを二度と尋ねなくなりました。
ある日の尋問で、警官らは海外の法輪大法学習者から電話があったと言いました。警官1人は私にこう尋ねました。「 貴州平塘蔵字石のことは本当なの?」と、もう1人は、「10人の看護師が絞首台に行ったというのはどういう意味なの?」と聞いてきました。私は彼らにこう説明しました。「蔵字石のことはインターネットで検索してわかります。その石に『中国共産党滅』の6文字が見えます。何億年も前に形成された石なので、これは神の意志です。ナチス強制収容所の看護婦10人は清算の際に絞首台に送られました」。簡単で素朴な疑問でありましたが、海外の同修からの真実を伝える電話が大きな役割を果たしたことを実感しました。
最後の尋問で、私は彼らにこう言いました。「私があなたたちに銃口を1センチでも上げさせることは、私のためだけでなく、あなたたちのためです。この事件を担当すると、終身的に責任を負わなければならないからです」
勾留から30日後、検察官は私を尋問しました。私は検察官に「あなたたちの質問には答えたくありませんが、初対面なので何も言わないと良くないと思います。しかし、法律違反をしていないのでサインはしません」と言いました。尋問の後、彼らは私にサインを求めましたが、私はそれを拒否しました。「法輪大法が正法だと書いてからサインすればいい 」と彼らは私に勧めました。それでも私は署名を拒否しました。彼らは仕方なく、電話で指示を仰いで、その場を去りました。しかし、取り調べの質問から、彼らが私のことをよく知っており、詳細のところまですべて知っており、公安局の担当者とよく話し合ったと私は感じました。
私は警官に、「私は法を犯していないので、あなたたちに協力しません。法輪大法は世界中で人々が修煉されていますが、中国で迫害しているのは共産党です。香港やマカオでも修煉している人がいますし、台湾でも多くの人が修煉しています。全世界の国に問題があるのか、それとも共産党に問題があるのかがわかるでしょう」と話しました。
三、留置場に拘禁されている期間
留置場に拘禁されている私は毎日、『轉法輪』三講を暗唱していました。テレビのニュースを見る時間、私は1時間の静功を煉りました。そのほか、いつでも掌をたて、発正念をしていました。
最初は公に功法を煉る勇気がなかったのです。留置場の看守が私と同じ部屋の人に「あなたたちは彼(私のこと)に法輪功の功法を学んではいけない」と言いに来ました。また、看守は「あなたは何時に煉功をするのか」とも聞かれました。これは私に煉功しても良いと言っているのではないかと思って、私は堂々と功法を煉り始めました。
同じ部屋に拘禁されている1人が私に留置場の規則を読むように言ってきました。私が何か言う前に、部屋の房長が「彼に読んでと言っても彼が読むと思うか? 法輪功は共産党のものを読むと思うか」と言いました。
ある日、部屋の人たちが私の話を聞くために集まっていたとき(これは留置場の規則違反である)、部屋のインターホンが鳴り、「その部屋の人たち、ちゃんと座ってください」と言う声が聞こえてきました。とても礼儀正しい言葉遣いでした。多分、看守は法輪功学習者が話しているのを見たので、そのような言葉遣いをしたと思います。
この状況の現れは、師父が説かれた「佛光が普く照らせば、礼儀が圓明となる」(『轉法輪』)ことだと思います。
私は部屋の人たちに「情を為る者は、自ら煩悩を尋ね」(『洪吟』「人を做す」)と唱えてあげました。ある人が「とてもいいことを言っているね」と言うと、「これは私の師父の詩です」と答えました。
私が『洪吟』の「無存」を暗唱したとき、同じ部屋の1人から、「私も暗唱したい。手に書いてくれ」と頼んできました。他の人たちも、私が正念を発する手振りを覚えて、それがとても美しいと言いました。
部屋の会議を開いたとき、私は法輪功の法理について話し、彼らに善の念を啓発しました。彼らの多くは、法輪功の言うことはとても良いこと、正しいことを言っていると話してくれました。
留置場の部屋で、私はインスタントラーメンの袋を使って汚れたものを入れ、トイレに行くときにゴミ箱に捨てました。ある日、房長がそれを見て、隣の人に 「あいつは何を捨てているんだ?」と聞くと、隣の人は「法輪功の人は環境をきれいにしているのだ」と説明しました。この小さな行動が部屋の人々の心を動かし、そのため、房長は私にインスタントラーメン5袋をくれたのです。
実際、修煉者は、どんな小さなことでも、どんな一念でも音符のように、思いやりと優しさを持って上手に奏でるべきです。音符一つ一つが正しいエネルギーを発散し、それによってより多くの衆生が救われるのです。
人間は、伝統的なもの、人間をなす道理を求め、切望しており、神性の面がまだ存在していると感じました。ただ、共産党の党文化に洗脳されて完全に迷い込み、それらのことを知らなくなっているだけだと思います。
私が留置場で話したことは、その中の人々に知らず知らずのうちに影響を与えていました。 ある日、みんなでおしゃべりをしているとき、部屋の1人が、「国民党のときは肉体的な拷問しかしなかったが、共産党は肉体的な拷問だけでなく、精神的な拷問もしている」と話しました。部屋の元幹部の人は規律検査官に拷問され、賄賂を受け取ったことを認めざるを得なくなったのです。認めなければ共産党組織と対立している、家族が逮捕されると言われました。彼は「共産党は悪魔だ」と言いました。北京に滞在したことがある人は「天安門焼身自殺事件は嘘だと北京市民はみんな知っているよ。警察官は消火器を背負ってパトロールすることはないでしょう」と言いました。
不法拘留の30日目、私は「今回、ここから出るのは不可能だ」と思いましたが、心の奥底には「どうしてこんなに絶対的不可能だと思うだろう」という思いもありました。その日、ある人に「あなたは出られるか」と聞かれ、私は「あなたたちと一緒にここに残る」と答えました。というのは、私はこの部屋に移って3日しか経っていなかったので、3人に共産党からの脱退を勧めただけで、まだ10人以上の人に脱退のことを話していないからです。
夜、寝る時間になって、警官がやってきて私の名前を呼び、荷物をまとめるように言いました。部屋の人たちは非常に驚いて、私も驚きましたが、心は比較的穏やかで、「まだ、出たくない」と自分自身につぶやきました。ある人が残念そうに「私はまだ明日あなたの話を聞きたい!」と言ってきました。警官から「あなたは煉功したか?」と聞かれ、「今終わったところです」と答えました。警官は「煉功しなければ、あなたを釈放しないよ」と言いました。
実際、私はとても残念に思っていました。私は3つの部屋に移されましたが、そのたびに突然のことで、まだ共産党組織から脱退していない人がいたからです。今回も10人以上がまだ脱退を行なっていなかったのです。私はまだ時間があると思って、急がなかったのです。
私の案件は上から監視されていました。その担当者は善良な人です。彼は私に「あの日私はあなたが功法を練習しているのを見たけど、あなたの邪魔をしなかった」と話したことがあります。彼らは私たちが法輪大法についての真実を伝えたことを受け入れてくれて、銃口が本当に上がったのだと思いました。彼らの正しい選択、彼ら自ら明るい未来を選んだことが本当に良かったと思っています。
法を暗記し、正念を発し、真実を伝え、海外の同修の協力も得て、私には絶対に不可能と思われたことが実現できました!
四、法の暗記がもたらす境地
この数年間の修煉を振り返ってみると、私自身の悟性、正念、内に向けて探すことなど、同修と比べると差はまだかなり大きいですが、法を暗記することは信じられないほどの役割を果たしました。
2006年、私は留置場に40日以上不法拘留された後、労働教養所の厳重管理隊に移されました。留置場にいる間、私は10回以上『轉法輪』を暗唱しました。当時、私は労働教養所で「転向」させられるのではないかといつも心配していましたが、厳重管理隊に移された時、私はとても驚きました。厳重管理隊の隊長は、「あなたを転向させない。『三書』も書かせない。ただ問題を起こさないようにしてほしいだけだ」と言いました。しかし、その後送り込まれた学習者に対して、彼らは脅し、威圧し、「三書」を書かせました。
1年半の労働教養所に拘禁されている間、私はほぼ毎朝起きると法を暗唱するようになり、夜ベッドに横になるまで暗唱し続けました。毎日労働を強要されましたが、法を暗唱することに影響はなかったし、テレビを見ても法の暗唱に影響はありませんでした。1年半の間に、私は『轉法輪』を二百八回暗唱しました。その時、自分がエネルギーに溶け込んでいるのを感じ、体の変化がとても大きく、時々エネルギーの動きを表面に反映することができ、その力はかなり大きかったのです。それ以前、私の目の前には二つの丸いようなものしか見えなかったのですが、解放された時、数え切れないほどそれが多くなっていました。教養所の中にいたとき、警官は私を殴ったり叱ったりすることはありませんでした。隊長は一度、スタンガンで私に電気ショックを与えようとしましたが、スタンガンの充電がなかったので、怒って帰ってしまいました。警官らは、私が法を暗唱していることを知っていましたが、誰も気にも留めなかったし、言って来ることもなかったのです。警官は「あなたはやらなければならないことを全部やったのだ」と言いました。
放浪生活を余儀なくされていた数年間、私は1人で、毎日、食事と寝る以外、法を暗唱し、法を書き写し、正念を発し、大法の実態を伝えることを行いました。一時期は1日に6講も法を暗唱し、ある月には20回も法を暗唱しました。法の暗唱で孤独や寂しさなどを感じませんでした。休日や祝日の時、1人でいると、外の世界や世の中のことを何も考えなかったので、1人でいることはとても良いことだと感じました。法を暗記し素晴らしい時間を過ごすことができました。
私は法を暗記する時、『神韻』を参考にしていました。心の底から敬虔な気持ちと感謝の気持ちと清らかな心で法を暗記し、正確さを追求していました。すべてのページ、段落、単語、句読点が正確でなければなりませんでした。
法を暗記する過程は私の生命全体を昇華させました。私は旧宇宙の何ものも欲せず、ただ大法だけを欲しています! 師父が法を正すお手伝いをする中で経験したことは、すべて私の光栄であり、ただ感謝するのみです!
師父、ありがとうございます!
同修の皆さん、ありがとうございます!
合掌!