中国法会|山間部に左遷されても、依然として法を実証する(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年12月17日】(前文に続く)

 三、世間の人々の理解と尊重

 修煉の境界が高まるにつれて、周囲の環境も良い方向に変化していきました。

 1. 授業中に真相を伝えた後の生徒の保護者の反応

 法を正す時期の大法弟子として、真相を伝え、衆生を救うことは私たちの使命です。それに、私と大きな縁がある生徒たちに対して、ただ親切に接したり、良い授業をするだけでは不十分であり、彼らに真相を伝えて本当に救う必要があります。しかし、私は多くの心配を抱えていました。何度か不当に拘禁された経験があり、家族、とくに高齢の親や子供たちがとても苦しんだことが頭をよぎりました。また、同じ県内で教師の修煉者が不当に判決を受けたり、労働教養所に送られたりした事例もありました。

 私は非常に悩みました。話さなければ生徒たちに申し訳なく思いますが、話せば一部の保護者が悪意を持って通報するのではないかと不安でした。その時、私は師父の以下の説法を繰り返し暗唱しました。「真相を伝え衆生を救い済度することに旧勢力はあえて反対できません。肝心なのは、何かをするときの心構えにそれらに付け入る隙を与えないようにすることです」。 (『各地講法二』「二〇〇二年ボストン法会での説法」最終的に私は勇気を振り絞り、冷静に数回、授業中に真相を伝える機会を持ちました。

 修煉を始める前は、生徒の問題を解決する際、よく高圧的に叱りつけていました。しかし、修煉を始めた後は、師父の教えを心に留め、生徒同士の対立を解決する時に、師父が弟子たちに教えてくださった方法――「内に向けて探す」ことを用いました。生徒に冷静になって気持ちを落ち着かせ、自分にどんな間違いがあったのかをまず考えさせ、最後にお互いに謝罪し、握手して仲直りさせました。この方法は非常に効果的で、生徒たちにも好評でした。

 ある日、2人の生徒が対立しました。授業中にその原因を尋ねると、2人は互いに言い争いを始めました。私は止めることなく、じっと聞いていました。この普段とは違う私の対応に、生徒たちは「先生はどうして何も言わないのだろうか?」と不思議に思っているようでした。私は時機が熟したと感じ、こう言いました。「止めなかったのは、君たちの議論を聞いて、誰が正しくて誰が間違っているのかを分析するためです。だって、どちらか一方を誤解して冤罪にしてしまうのはとても辛いことだからです。実は、私自身も法輪功を修煉し、良い人になろうとしただけなのに、不当に迫害を受け、ここに来ることになりました。みんなもドラマで見たことがあると思うけど、歴史上には暗君と名君がいて、暗君は大きな冤罪事件を引き起こすことがあります。法輪功は佛法修煉で『真・善・忍』に従って良い人になることを教えてくれるものなんです。健康を回復する効果も素晴らしいです。だけど、江沢民は法輪功を学ぶ人が多すぎることを見て、大法の師父に嫉妬して、師父を誹謗し、法輪功を弾圧するよう命じました。君たちには、しっかり勉強して立派な人になってほしいのです。そして、将来は良い役人になって、民衆のために尽くし、冤罪、虚偽、違法な事件を起こさないでほしい」。私がそう話すと、その2人の生徒は自ら進んで非を認めました。

 ある日、私は生徒たちに「しっかり勉強し、教師と生徒との縁を大切にするように」と教えました。そして、こう話しました。「みんなが私のことを良い先生だと褒めてくれるけれど、この学校で私が最も高い学歴を持っているにもかかわらず、私の給料が最も低い理由を知っていますか? それは、私が法輪功を学んでいるからです。教師の昇給が何度かありましたが、私は一度も上げてもらえませんでした。とても悔しい思いをしましたが、それでも私は真剣にみんなに教えています。なぜなら、私が理不尽な扱いを受けているからといって、その怒りをみんなにぶつけて、みんなの未来を台無しにすることはできないからです。でも、みんな知っていますか? 私はみんなを自分の子供のように教えていますが、私の子供は放置されているのです。彼もみんなと同じ年頃なんですよ」。そう話すうちに、私は声を詰まらせました。最初は少し躊躇していましたが、話しているうちに感情が込み上げてきました。生徒たちは静かに私の話を聞き、私をじっと見つめていました。中には目に涙を浮かべ、私の境遇に同情してくれる子もいました。

 翌日、数人の生徒が私のところにやって来ました。その中の1人がこう言いました。「先生、昨日のお話をお母さんにしました。お母さんが、先生が夜家に帰らないときは、うちに泊まってくださいって」。別の生徒はこう言いました。「うちの庭にはたくさん野菜があります。お母さんが先生に持って行ってあげてと言いました。でも先生が断るかもしれないから、まず聞きたいです」。本当に貴重な生命たちです! もし私が真相を伝えなければ、どうやって世間の人々の理解と同情を得ることができたでしょうか? 彼らはどうやって大法に救われることができたのでしょうか?

 また、ある生徒のおばあさんが私に会いたいと言い、私にこう話しました。「うちの孫娘は、以前は日記なんて全く書かなかったんです。でも、先生に教えてもらってからは毎日書くようになりました。先生がどう教えてくれたか、どう接してくれたかを書いています。勉強も大人が手を出さなくてもするようになり、すごく言うことを聞くようになりました。先生はどうやって子供たちを教育しているんですか? 感謝の気持ちをどう表せばいいか分かりません!」。私はこう答えました。「実は、大法の師父が教えてくださった『真・善・忍』に従って良い人になり、子供たちに親身になり、責任感を持って真剣に仕事をしているだけです。それで生徒たちは私を好きになり、勉強に興味を持つようになり、成績が自然と上がるんです。そうなると保護者の方々も恩恵を受けるんですね」

 2. 中学校の教師や村の幹部からの反応

 私が来る前、この学校は成績が低く、生徒の基礎学力も低かったため、中学校の教師たちは「この学校から来る生徒たちに教えるのは難しい」と不満を漏らしていました。しかし、私が来て、卒業クラスに対する1年間の補習教育を経て、生徒たちは明らかに改善しました。その結果、中学校の教師たちは私を尊敬し、褒めてくれるようになりました。

 ある日、中学校の1人の女性教師が私に話しかけてきてこう言いました。「普段、中学校の生徒たちは作文を書くとき、今の先生や親について書くものです。でも、この数年間、先生の学校を卒業した生徒たちはみんな先生のことを書いています。先生が彼らに与えた印象がとても良かったんですね!」

 また、村の書記が学校を訪れ、校長と私にこう言いました。「ある先生(私のこと)について、県に感謝状を書きたいと思っています。でも、自分の文章力が足りなくてうまく書けるか心配なのと、今の(法輪功に対する)弾圧の状況で、そうするのが怖いんです」。私は答えました。「ありがとうございます。そのお気持ちだけで十分です。非常に感謝します。大法の素晴らしさを理解してくださっているだけで私にとっては大きな励みになります」

 四、あらゆる困難を乗り越え、ついに都市部へ戻る

 数年が過ぎ、ここでも町へ行くバスが開通しました。これで毎日家に帰ることができました。世間の私への評価もますます高まっていて、仕事環境は非常に良くなりました。しかし、この地域の先生方や一部の村民が何度も私にこう言いました。「あなたがここで働いているのは私たちにとって幸運なことです。でも、家からあまりにも遠く、家のことを世話できないのは問題です。何とかして手を回して、贈り物を渡して、街に戻ったほうがいいですよ」

 私は心の中でこう思いました。「これは師父からの悟らせかもしれない。迫害に立ち向かい、街へ戻るべきだ。そこには私がするべきことがある」。そこで私はこう答えました。「帰るのは確かに帰るべきですが、私は絶対に賄賂を贈りません。私は何も悪いことをしていません。ただ法輪功を修煉し、良い人間になるために努力してきただけです。それで長年迫害されてきたのに、私がどうして彼らに賄賂を贈る必要があるのでしょうか?」。周囲の人々は、賄賂を贈らなければ、絶対に街へ戻ることはできない、と考えていました。

 ある年の夏休み、私は教育局に行き転勤の申請をしようと決意しました。しかし、恐れが何度も頭をもたげました。「まだ修煉しているのかと聞かれたらどうしよう? 修煉を放棄する保証書を書かせられたらどうしよう?」。以前、何度も教育局が私を洗脳班へ送って迫害したことがあったので、教育局に行くのが怖くてたまりませんでした。それでも心を固め、多難な道でも進む覚悟をしました。私は法を多く学び、正念を発し、旧勢力によるすべての妨害や迫害を全面的に否定し、師父が安排してくださった修煉の道を歩むことに決めました。彼らが修煉のことを聞いてくるのは許さない、ただ転勤申請をするだけだと決めました。数日間、正念を発した後、心が晴れ渡り、体も透き通るような感覚を覚え、教育局へ向かいました。

 上の階に上がる前に偶然、書記に出会いました。書記は私に対して比較的丁寧でしたが、以前は大法弟子に対して憎悪と軽蔑の態度を示しており、叱責したり、嘲笑したりしていました。かつて私が洗脳班に不当に拘束されていたとき、彼女は転向のために来たことがありました。彼女がどんなに私の前で怒鳴り散らしても、私は静かに彼女を見つめて微笑んでいました。彼女が怒鳴るのをやめると、私は笑顔でこう言いました。「書記、あなたが私を理解しなくても、私はあなたを理解しています。私が転向しないのはあなたに反抗しているわけではありません。法輪功が本当に素晴らしいものだからです。私はまだ若いですが、いくつもの病気に悩まされていました。修煉を始めて間もなく、病気はすべて消え去り、体が軽くなりました。それに、法輪功は『真・善・忍』に基づいて良い人間になるよう求めています。こんなに素晴らしいことはありません。ひとたび師と仰げば、一生自分の父親のように大事にするという言い方があります。私は師父の恩に感謝する方法がありません。それなのに恩を仇で返し、落ちぶれた者をさらに叩くようなことができるでしょうか? 私はそんなことをする人ではありません。教育システムには何万人もいます。あなたは1人の下、万人の上にいる立場ですが、あなたがいくら立派でも陰で非難する人がいるかもしれません。もしあなたが私に害を与えてないのに、私もその人たちに便乗してあなたを非難するとしたら、それが正しいと思いますか?」この言葉を聞いた彼女は良心を取り戻し、それ以上私と口論することはありませんでした。それ以来、彼女の私への態度は明らかに改善しました。

 私は本題を切り出しました。「私は地方の学校で数年働きました。朝早くから夜遅くまで本当に大変でした。街に戻りたいです」。彼女はこう答えました。「あなたは地方でよくやっています。上司や地域の人たちからも好評を得ています。考えておきます」。数日後、私は再び訪れましたが、彼女は「もう来なくていいです。辞令を待ちなさい」と言いました。しかし、夏休みが終わり、学校が始まっても一向に辞令が来ませんでした。期待は完全に裏切られたのです。

 翌年の夏休み、私はさらに多くの法を学び、法を暗記し、正念を強めました。何の迷いもなく、成功するまで諦めない覚悟で行動しました。再び書記のオフィスを訪れ、笑顔でこう言いました。「昨年約束したのに実現しませんでしたね。今日はまた来ましたよ」。一度、二度、三度、四度と通い続けました。それでも承諾されなければ、毎日通いました。人事局長に会うことを希望しましたが、夏休み中は転勤希望の教師が多いため、局長はオフィスにほとんどいなくて、なかなか会うことができませんでした。

 ある日、私は書記にこう言いました。「今日、人事局長に会えないなら、ここを離れません。この椅子に座って待ちますが、あなたの仕事の邪魔はしません。来客があれば一旦外に出ます」。そうして椅子に座り、絶えず正念を送り続けました。しばらくして、書記は人事局長に電話をかけ「彼女に会ってください。さもなければ彼女は帰らないと言っています」と言いました。こうして人事局長が出てきて私に会ってくれました。

  

 人事局長は言いました。「あなたの地方での仕事ぶりはよく分かっています。素晴らしい働きをされています。転勤の件については、こちらで相談してみます」。数日後、再び訪れましたが、結果は出ませんでした。一度、二度、三度も訪れました。ある日、教育局を訪れると、書記が「人事局長は会議に行っています」と言いました。私が「どこに行きましたか?」と聞くと、彼女は「某学校で大型会議を主催しています。今日は帰ってください」と言いました。彼女は、これで私が諦めるだろうと考えたのでしょう。しかし、私は自転車に乗り、その学校の会場の外で局長を待つことにしました。会議の休憩中、局長に声をかけました。彼は驚いて言いました。「ここまで追いかけてきたのですか?」私は人事局長に再び自分の要求と決意を伝えました。すると、今回はついに局長がこう言いました。「来週、局に来てください。回答を出します」

 一週間後、彼らは私を街から5キロくらい離れた農村の学校に転勤させることに同意しました。当時私は比較的満足していました。家に帰る途中、久しぶりにある同修に偶然出会いました。彼女が「何をしに行っていたの?」と尋ねたので「教育局に転勤の申請をしに行っていた」と答えました。すると彼女は「転勤できたの?」とさらに聞いてきたので「街から5キロ離れた農村の学校に行くことになった」と答えました。すると彼女は「迫害への反対が不完全だ!」と言い放ち、自転車でそのまま去っていきました。

 家に帰った後、私は同修の言葉について何度も考えました。「ああ、これは師父が同修の言葉を通じて私を悟らせているのではないだろうか?」と思いました。そして翌日、再び教育局に行きました。書記は驚いて「また来たのか?」と言いましたが、私はこう答えました。「駄目です。私は年を取っていくばかりで、数年後にはまたここに来ることになります。それなら、今のうちに一気に決着をつけ、街の学校に戻りたいのです」。書記は「街に戻りたいなら、街への転勤試験を受けるんだな!」と言いました。私は毅然として「試験は受けません!」と答えました。書記が「なぜ?」と尋ねたので、私はこう言いました。「私は教育能力の不足で地方に送られたわけではありません。いくら試験で良い点を取っても、もしあなたたちが私を戻したくないのなら、点数を低くさせるので、結局戻れないでしょう。それに、私が地方にいても街にいても、どちらもあなたたちの管轄内です。何が問題なのでしょうか?」

 数日後、私が街を散歩していると、なんと人事局長に偶然出会いました。これこそ師父が巧妙に手配してくださったのだと感じました。私は再度、自分の要求を繰り返しました。「必ず街に戻ります!」と。こうして師父の絶え間ない加持と見守りの中、2カ月にわたる努力の末、賄賂を一銭も渡さず、試験も受けず、ついに街の学校に戻ることができました。邪悪な迫害を否定し、自分にふさわしい法を実証するプロジェクトに携わりながら、今日まで平穏に歩んでくることができました。

 師父の慈悲深い済度に感謝いたします。師父の大法は絶えず私を啓発し、導いてくださいました。自分をよく修めてこそ、世人の善なる心を目覚めさせ、周囲の環境を変え、さらに多くの衆生を救うことができるのです。偉大なる佛法が、心の狭い小心者だった私を、心広く明るく、困難にも動じない、心穏やかな大法弟子へと鍛えてくださいました。

 師父に感謝いたします!

 同修に感謝します!

 (完了)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/7/484402.html
 
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