中国法会|心から人に優しくする
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2024年12月20日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は、1995年に幸運にも法輪大法を学び始めました。この何年かの修煉を通して、法輪大法の素晴らしさと美しさを心から感じています。今日は、大法の修煉を通して私の家庭が円満になり、家族も師父のご恩に浴した体験を師父にご報告し、同修の皆さんと交流したいと思います。

 修煉を始める前は、胃痛、足の痛み、腰の骨増殖、婦人病、高血圧、めまいなど、様々な病気を持っていました。しかし、法を学び始めてわずか1カ月で、すべての病気が消え、とても健康になりました。慈悲深い師父が、私の業力を消去してくださったことに心から感謝申し上げます。

 小学校の頃に先生を迎えに行き、激しい水流に巻き込まれそうになったことがありました。また、若い頃、平らな土地で土手を壊す作業をしていたら、土の下に埋もれそうになったこともありました。法輪功を修煉して、私は悟りました。師父は生々世々、私を見守ってくださっていたのです。あの生死をさまようような瞬間も、すべて師父の法身が私を守ってくださっていたのです。

 修煉する前は、姑との間に多くの衝突がありました。姑は気が短く、少しでも自分の思い通りにならないといつまでも騒ぎ立てました。私が子供を産んだ時、母が私の家に来て、親切な言葉を掛けたのですが、姑はそれを誤解し、私と1カ月も口をきかず、私はずっと泣いていました。そのため、子供に十分な母乳を与えることができませんでした。修煉を始めてから、私は、これらは全て因縁関係であり、前世で姑に何か悪いことをしたからだと気づきました。同修は「『産後の恨みは一生消えない』とみな言いますが、恨んだり、仕返しをしようとは思わなかったのですか?」と尋ねました。私は「その時はただ泣くことしかできませんでしたが、師父の大法を学んで、ようやくその出来事がなぜ起きたのかを理解できました」と言いました。

 結婚後、私は姑と同居しました。その後、義弟が結婚し、住む場所がなかったので、私たちが家を建てて引っ越すことになりました。姑は弟夫婦と同居し、自分で料理をして暮らしました。義弟の妻と姑はよく口論しました。私が大法を学び始めて間もない頃のある日、姑と義弟の妻が再びもめて、夜遅くに私の家にやって来ました。姑が怒っている様子だったので、その日は家に泊めました。当時、私の家は学法の場所になっていたので、姑も一緒に法を学びました。大法が人々に良い人間になるための道理を説いていることを知り、姑は深く共感し、次第に穏やかな性格に変わりました。姑は私の家で3カ月間ほど過ごした後、義弟夫婦が仕事で忙しく、子供の世話する人がいなかったので、再び義弟夫婦の家に帰りました。

 その後、姑は義弟夫婦としょっちゅう口論し、結局、舅の兄の家に移りました。姑の兄夫婦は外で菓子作りをして商売をしていたので、孫娘に姑の世話をお願いしましたが、孫娘の手料理が口に合わず、姑はまた別の場所に引っ越したいと言いました。私が姑を訪ねると「あなたと一緒に住みたい。しっかり面倒を見てほしい」と頼まれました。私は最初、姑を家に迎えることをためらいました。法に則って物事を考えていなかったためです。姑を連れてくると、多くの親戚が訪ねてくるようになり、真相を伝える活動に支障が出るのではないかと心配しました。しかし、他の義兄弟姉妹も姑に十分な孝行はできないだろうと思いました。しかし、後日再び姑を訪ねた時、もう一度一緒に住むように頼まれました。そこで「われわれは常人の社会の中で修煉をしているので、親孝行をするのも、子供をしつけるのも当然です。どんな環境の中でも人には親切にしなければならず、まして自分の身内のものの場合はなおさらです」(『轉法輪』)と師父が説かれたのを思い出しました。私は大法の要求に従い、全ての人が家族を大切にする責任があるのだから、姑を敬うべきだと考えました。その年の5月、私は姑を家に迎え入れ、寝具をすべて新しくし、暖かい綿のズボンや珊瑚フリース(訳注:表面が珊瑚の毛のようにふわふわと起毛している布地)の布団を買ってあげました。姑はとても喜び、こんなに暖かいズボンを履けるなんて思ってもいなかったと言って喜びました。

 姑の世話は大変で、私も完璧にこなせるわけがありません。時々、姑に注意されたりすると、つい言い返してしまうこともありました。しかし、師父が『洪吟三』の「辯少なしに」で説かれていることを思い出し、言い争いをやめるようにしました。それ以来、毎日法を学び、心から姑を大切にし、姑のことを思いやれるようになりました。姑は若い頃から苦労が多く、夫にも姑にも苦労させられ、若くして夫を亡くし、7人の子供を育てました。今は姑も高齢になり、私は大法を学んでいるので、姑を大切にしなければならないと思い、美味しい料理を作ってあげました。ある時、料理を持って行ったところ「もう食べたくない」と言われました。そこで「食べたいものがあれば何でも言ってください」と伝えました。姑は布団の中で「あなたにこんなにもよくしてもらっているのに、私が文句を言うなんて、人間として失格だ」と言って、私に頭を下げようとしました。最初はよく分からなかったのですが、後で、私が姑によくしたことに感動してそのようにしたのだと理解しました。私は「そんなことしないでください。これは私がすべきことですから。感謝するなら師父に感謝してください。大法を学んでいなければ、こんなことはできなかったでしょう」と言いました。

 「あなたの姑には7人も子供がいるのに、あなた1人に老後の面倒を見させて、不満に思ったり、恨んだりしないのですか? そんなの不公平だと感じませんか?」と、よく聞かれました。私は「若い頃からの伝統的な考え方で、姑を大切にするべきだと思っていました。大法を修煉してからは、心の持ち方が大きく変わり、誰に対しても心から優しくできるようになりました。ましてや姑に対してはなおさらです」と答えました。

 さらに詳しく、姑と家族が大法の中で恩恵を受けたことについて、いくつか話します。

 姑は、私の家で同修たちと一緒に法を学んでいるうちに、大法の素晴らしさを感じ、大法を実証できるようになりました。ある時、私の2番目の義姉の息子が学校で総務部の主任をしていたのですが、夜警の人を探してほしいと頼まれたことがありました。そして、私がその人を探すことになりました。ところが、その学校では法輪功を信仰している人を雇わないという決まりがありました。それを聞いた姑は「どうして法輪功を修煉している人を雇わないのですか? 法輪功の書籍には、悪いことをしてはいけないと書いてあります。法輪功を修煉している人を雇えば、必ず学校をきちんと管理してくれますよ」と言いました。そして、この言葉を言った後、姑は長年患っていたぜんそくが治りました。それ以来、姑は毎日「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」と念じました。ある日、姑は義弟の妻からお金を借りたいと思いましたが「真・善・忍」を心掛けていることを思い出して、我慢しました。

 ある春の出来事ですが、その頃、姑は義弟の家族と一緒に住んでいました。私が義弟の妻と一緒に仕事から帰った時、義弟の妻から「渡したいものがある」と言われ、彼女の家に立ち寄りました。姑がいる部屋に行くと、キッチンで何かをしている様子だったので、何をしているのですかと尋ねると、姑は、プロパンガスを使って水を沸かして髪を洗うつもりだと言いました。部屋に入った時からプロパンガスの匂いがしていたので、そのことを伝えると、姑は少し前に匂いがしたのでガス栓を閉めたと言いました。しかし、よく見てみると、ガス栓は閉まっているどころか、逆に開いていて、シューという音がしてガスが漏れている状態でした。慌ててガス栓を何度も回してやっと閉めました。その出来事で、私は、私が義弟の妻のところに行くように師父が按排してくださった理由が理解できました。もし師父のご加護がなければ、大変なことになっていたでしょう。

 もう一つ、姑が私の家に来る前日、私は工事現場の食堂で料理を作っていました。その夜、姪の婚約者から電話があり「おばあちゃんが病気です」と言われました。急いで姑の家に行ってみると、姑は意識を失っていました。皆で名前を呼んでも反応がありません。そこで、私は姑に「お母さん、私が教えたことを覚えていますか? 『法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい』です」と声をかけました。すると、姑はゆっくりとうなずき、目を覚ましました。全身から汗が出て、服はびっしょりでした。その後、病院に10日間ほど入院し、退院しました。

 その頃、私は昼間は仕事、夜は姑の看病をしました。ある日、姑が全身に計器をつけていてとても辛そうだったので「『法輪大法はすばらしい』と念じることを覚えていますか?」と尋ねました。姑は「一秒たりとも忘れたことはありません」と答えました。姑が家に帰ると「法輪大法はすばらしい」と毎日念じ、若い頃から患っていた胃病も治り、餅も食べられるようになりました。そして、89歳で亡くなるまで、胃病に悩まされることはありませんでした。

 私は法輪功を修煉しているため「真・善・忍」の原則に従って生活しています。そのおかげで、私は家族全員、つまり叔母や義姉妹、それと親戚、近所の人たちと皆仲良く暮らすことができ、義姉たちも法輪大法の素晴らしさを認めました。時々「法輪功を修煉している人は、姑を大切にしなかったり、親孝行をしない人がいる」という話をする人がいます。しかし、3番目の義姉は「私の弟の妻は法輪功を修煉しているから、私たちの母親にとても良くしてくれます。私たちにはとてもできないことです」と言いました。

 ある時、義姉が私の電動自転車を借りて乗り方を学びたがり、しばらくして彼女の孫娘が大学に進学することになったので、電動自転車を譲ることにしました。特に深く考えずに、義姉に電動自転車を貸し、彼女のマンションの敷地内で乗り方を教えました。義姉はほんの数メートルしか乗らなかったのですが、急に勢いよく加速し、路肩の地面に向かって突っ込みました。木の幹にぶつかりそうになった瞬間、義姉は頭を少しずらし、何とか木の幹に頭をぶつけるのを避けました。すぐに義姉を助け起こし「師父が守ってくださったから、大きな事故にならずに済みました。師父の慈悲深いご加護に感謝しましょう」と伝えました。今、あの時のことを考えると、まだ恐ろしいです。もし義姉が怪我をしていたら、どう責任をとればよかったのでしょうか。

 初めての交流原稿です。師父への感謝の気持ちであふれ、言葉では言い表せません。師父が最も喜んでくださるのは、私たちが自分自身をしっかり修め、多くの人を救うことだと理解しています。これから、私は3つのことを精進して行い、修煉の道をしっかりと歩んでいきたいと思います。

 師父、ありがとうございます! 同修の皆さん、ありがとうございます!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/15/484446.html
 
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