中国法会|重大交通事故に遭った義兄を修煉の道へ連れ戻す
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文/北京の大法弟子

 【明慧日本2024年12月27日】 

 偉大で慈悲深い師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 今年の5月の初め、一番上の姉の夫(以下、義兄)が重大な交通事故に遭ったのですが、慈悲深く偉大な師父が義兄の命を救ってくださいました。私は男性の大法弟子ですが、姉(同修)の依頼で、6月初めから現在まで、義兄の介護を手伝っていました。この間の修煉においての体験と悟りを書き出し、師父に報告し、同修と分かち合いたいと思います。もし不適切なところがあれば、同修の慈悲な指摘をお願いします。

 一、突然の交通事故、義兄の命の危険がある状態に

 姉一家は、他の省の省庁所在地に住んでおり、働いています。義兄は以前、庁レベルの研究所で仕事をし、そこのあるプロジェクトの責任者で、教授に相当する上級エンジニアでした。定年退職後、義兄は元研究所や他のいくつかの会社で技術顧問として再雇用されました。

 2024年5月上旬のある朝、義兄は仕事のために車で移動していました。その途中、義兄の車は清掃車と衝突し、重大事故となりました。衝突後、義兄の車は道路緑化帯のガードレールを越えて停止しました。義兄は血がいっぱい流れて倒れ、意識を失いました。事故を目撃した人が救急車を呼びましたが、救急車が到着するまで1時間かかりました。大量出血で1時間以上経ったので、義兄の体や周囲も血まみれで、事故現場はとても無惨な状態になっていました。周囲の人々はそれを見て、「この人はもうだめだわ。絶望的だ 」と首を横に振ってため息をつかずにはいられませんでした。また、「この人は悲惨な死に方だ!」と痛々しく言う人もいました。

 救急車は義兄を近くの病院(以下、A病院)の救急治療室に運びました。診察の結果、1、重度外傷性脳損傷(TBI)を伴う多発性脳梗塞 2、右眼球の水晶体剥離 3、左腕の上腕骨開放性骨折などが、主な傷でした。義兄の生命は危ない状態でした。

 二、師父の慈悲深い救いで 義兄は危篤から持ち直す

 義兄が交通事故に遭ったという知らせを受けた姉は、すぐに義兄のいるA病院に駆けつけました。医者から、「ご主人の右目は治療しても治らない。左腕も同じです。命が危険な状態になっています」と言われました。それを聞いた姉は、とても冷静で、怖がることもなく、「そうなった以上、夫の命は師父に頼るしかない 」と考えました。姉は義兄のそばへ行き、義兄の耳元で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい 」と唱え、義兄にそれを忘れてはいけないと言いました。姉は心の中で、師父に義兄を救って下さるようお願いしました。

 そして姉は、義兄を省都で最も良い病院(以下、B病院)に転院して治療することを要求しました。それは、とても大胆な決断でした。A病院とB病院は距離が離れているため、移動するには時間がかかると考えているA病院の医師は危険性が高いと指摘し、転院を勧めませんでした。しかし、姉の強い要求で、A病院の医師は転院に同意しました。

 その後すぐ、義兄はB病院に搬送され、集中治療室(ICU)に移されましたが、意識不明のままでした。姉は親族たちに義兄が交通事故に遭ったことを伝えました。親族たちはショックを受け、心配して各地方からB病院に駆けつけました。

 親族たちは自分たちの人脈や資源を駆使して、より良い治療法を求めて専門家を探しました。医療専門家は、「今は、患者を一刻も早く目覚めさせる方法を見つけなければなりません。昏睡状態が長引けば長引くほど、生命の危険が高くなります。1カ月のうちに目覚めれば助かる見込みがありますが、3カ月で目覚めれば植物人間になってしまうかもしれません。6カ月目覚めなかったら、もう目覚める希望がなくなります」と話しました。義兄が目を覚ますまでの期間について、専門家たちは、義兄の負傷の状態を見て、2カ月かかるという人もいれば、3カ月かかるという人、もっとかかるという人もいて、それぞれ見識がありました。

 義兄の命を救うために、姉は二番目の姉(同修)と私に、義兄のために発正念をさせ、また、他の同修にも連絡して、義兄を迫害しているすべての邪悪な要素を取り除くために、発正念を手伝ってもらいました。姉は家で師父の写真の前にひざまずき、義兄を救うようお願いしました。姉自身も、旧勢力による義兄への迫害を取り除くように、長時間発正念をしました。

 B病院の規定によると、ICU患者の介護はB病院が指定した専任の介護士しか担当できず、家族による介護を許可しません。義兄はずっと昏睡状態で、家族の面会時間は毎日30分しかありませんでした。姉は毎日地下鉄に乗ってB病院に行き、義兄を見舞いました。B病院は姉の自宅から遠く、姉は毎日病院に行くのに3時間以上かかりました。見舞いに行くたびに、姉は必ず義兄の耳元で「法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい」と唱え、義兄にそれを忘れないようにとささやきました。

 奇跡が起きました! 交通事故から5日目、義兄は専門家の予想よりずっと早く目を覚ました。医師も、家族も、友人も、同僚も、勤め先のリーダーも、みな驚き「医療上の奇跡だ」と言いました。私たちは、これが師父の慈悲深い救いであることを知っており、師父に限りなく感謝しました。

 義兄は目を覚まし、命は救われました。しかし、義兄に左手を治すこと、右目を治すこと、脳を一刻も早く正常に戻すことなど、解決しなければならない問題は山積みでした。義兄の回復を一刻も早くするため、姉の要求で義兄はICUから一般病棟に移されました。

 義兄の左腕は一部骨折しており、皮膚の一部が大きく欠けていたため、体の他の場所から皮膚を移植し、骨の一部をくっつける必要がありました。左腕の手術には整形外科と外科の両方が関わっており、両科の医師の間の緊密な連携と協力が必要でした。さらに、夏で気温が高かったため、傷口が感染しやすい状態でした。主治医は姉に、義兄の左腕の手術はかなり難しく、失敗する危険性があることを告げ、心の準備をするように言いました。

 義兄の左腕の手術の難しさから、家族の誰かが義兄の命を救うために左手を切断することを提案しました。確かに、切断手術を行えば、義兄の手術の難易度は大幅に下がり、手術の成功率もはるかに高くなり、医療費も大幅に減らすことができます。しかし、姉は納得せず、義兄の左手を残すことを望んでいました。最終的に、姉は医師と家族の間で何度もやり取りをした後、医師が提案した医療計画に同意しました。それは皮膚移植手術を行い、同時に左手の上部に外付けの装具を付け、皮膚移植が終わった後、骨移植と内固定手術を行うことです。この手術は非常に難しく、やることも多く、何度も傷をきれいに清浄し、ようやく左手の皮膚移植と外付け装具の装着が無事終了しました。

 介護の仕事量が多いため、姉1人では手が回らなかったのです。そのため、私と二番目の姉はB病院に行き、義兄の介護を伝うことになりました。B病院では、義兄は重症の状態で、ベッドの周りには監視器具がいくつも置かれており、体と繋がっていました。そのため、義兄の食事は私たちが与えなければならず、排尿や排便は病床の上で行いました。

 義兄が手術する度に、私と姉、二番目の姉は、手術室の外で師父に義兄を助けていただくようにお願いしました。同時に、邪悪の妨害と迫害を取り除くように正念を発しました。私たちは心の中で「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と繰り返し唱えました。義兄の左腕の手術は成功し、次の右目の手術もうまくいきました。脳梗塞と脳損傷については、現代医学ではまだ良い解決策はなく、患者自身の力に頼るしかないと医師は言いました。

 驚いたことに、6月末に義兄は退院しました。わずか2カ月足らずで、師父に救われた義兄は帰宅しました。

 三、交通事故の根本原因の分析

 義兄の交通事故後、みんなが教訓を得るために事故の原因について議論していました。常人からすれば、義兄がアクセルをブレーキと間違えて踏んだという操作ミスで、前方の清掃車(道路に水を撒くための車)に衝突して事故を起こしたことです。さらに、義兄の操作ミスと、急いでいたことに加え、朝のラッシュで車が多かったことが原因だと考えられました。

 しかし、修煉者である私たちからすれば、そうではないのです。これは他の空間の生命による義兄への迫害が原因だと思っています。義兄は、1999年の前に法輪大法を修煉しており、当時は法を学び、功を煉ることにとても熱心でした。しかし、1999年7.20、中国共産党が法輪大法を迫害し始めた後、義兄は次第に修煉を怠り、姉が励ましたり話し合ったりしても、ほとんど効果がありませんでした。

 私たちは、修煉は強制することができない、強制的な手段で他人に修煉させることはできない、勧めることしかできないことを悟りました。時が経つにつれて、義兄はますます修煉が緩んでおり、心性がどんどん下がり、徐々に大法から離れていき、次第に常人と混同し、株式投資にまで手を染めることになりました。

 大法弟子には使命があり、誓いを果たさなければなりません。心性が一旦常人のレベルに落ちれば、かつての業力をすべて背負わなければなりません。義兄は修煉において自分を厳しく要求せず、怠けたため、心性が常人のレベルまで下がりました。常人なら常人の生命が按排されたもので、悲惨な交通事故に遭うのも避けられないのです。これが交通事故の深刻な原因だと思います。

 四、理性的に真に修煉していない人の病気治療の問題への対処

 B病院の担当医師の取り決めによると、義兄の左腕の外付け装具は手術が終了した後、少なくとも3カ月待ってから除去し、それと同時に左腕の中からの固定手術を行います。担当医師は、義兄の脳のリハビリのために、最近の医療には高気圧酸素療法を多く取り入れていると紹介されました。当時は真夏の時期で、とても暑く、傷口が化膿しやすかったため、私たちは義兄を自宅から近いリハビリ病院(以下、C病院)に送り、リハビリ治療をさせました。

 義兄はB病院からC病院へ横になったまま転院しました。C病院でのリハビリ治療は比較的順調に進みました。1カ月後、義兄は車椅子で移動できるようになりました。姉はとても喜び、義兄を家に連れて帰るという大胆なアイデアを思いつきました。姉は、「自宅には大きなエネルギー場があり、回復に適している 」と言ったのです。この提案は甥に反対され、義兄自身も賛成しなかったのです。しかし、姉が何度も何度も主張したので、みんなは姉の考えに同意しました。

 家に戻ると義兄は喜びました。最初の数日はすべてが正常でした。 しかし数日後に、義兄の左腕に深刻な感染症状が現れました。仕方がなく、私たちは義兄を再びC病院に送り、リハビリを続けることをさせたのです。

 なぜこんな状態になったのでしょうか。よくよく考えてみると、「義兄はまだ本当の意味では修煉を始めておらず、私たちが今、義兄の能力を超えた高い水準を要求し、義兄には不適切だということに気づいたのです。もし義兄がすでに本当に修煉し、強い正念を持っているのであれば、病院での治療を受けずに、修煉者の基準で自分を要求し、物事を測り、その過程も心性を修め、次元を向上することができます。義兄は以前、大法を学んでいましたが、今は修煉の道から離れました。本当に修煉の道に戻るまでは、常人の基準でしか対処できず、治療の問題も常人の方法で解決しなければなりません。

 師父は、義兄を死の淵から救い出されました。師父が受け持ってくださったものは、私たちには想像できません。このような交通事故は人間にとっては天の災難です。しかし、常人より高い次元で見れば、この交通事故が義兄にとって大きなチャンスではないでしょうか? 1999年以降、姉は義兄に大法の修煉の道を戻るように勧め、促してきました。しかし、20年以上経ってもまったく効果がありませんでした。私たちはこの機会を最大限に利用し、義兄に常人社会の無常や、お金や地位の幻想、そして自分の本当の使命を悟らせることです。義兄は修煉を再開してこそ、自分の本当の故郷に帰ることができます。義兄が大法修煉に戻ることによってのみ、師父の慈悲な救いに応え、法を正す期間の大法弟子の称号を得ることができるのです。

 五、「自我」を執着する心を取り除く

 義兄を介護する過程で、私たちは予期せぬ問題に遭遇しました。義兄は頭を強く打ったために脳が損傷し、深刻な認知障害が生じました。その主な症状は、言いたいことが正確な言葉となって見つからないことです。例えば、義兄は自分の体を飛行機だと言い、左手の外付けの装具を歯と言うのでした。

 義兄は私たちの顔がわかっているものの、私たちの名前、私たちとの関係がめちゃくちゃになっていて、私のことを自分の弟と混同したり、姉のことを自分の母親と間違って呼んだりしていました。もっと大変なのは、義兄が私たちを呼ぶ名前は規律がなく、クルクル変わっているため、私たちはなかなか把握することができません。このように、私たちはその意味をまったく理解することができなくて、推測しかありませんでした。

 医師が義兄と話すとき、病状を尋ねると、義兄は質問と関係ない他のことを答えたりしていました。医師もどうしたらいいのかわからない状態でした。幸い、私たちが同席していたので、医師は納得のいく返答をすることができました。しかし、日常介護の中で、もし、義兄の言いたいことをその意味を確実に推測すればまだ良いのですが、間違った推測をしたら、義兄がキレて遠慮なく私たちを怒鳴りつけました。

 最初、私は本当に耐えられませんでした。 何十年生きてきて、こんなふうに鼻を指されて叱られたことはありませんでした。拘留所、留置場、労働教養所、刑務所で警察に拷問されたときでさえ、こんなに辛い思いをしたことはありませんでした。そのような環境の中で、私は自分の不屈の精神を表現することができました。会社でも、家でも、故郷でも、友人や親戚の間でも、私を見下す人がいなくて、悪口を言う者がいると、それを私に伝えてくる者がいましたが、私はそれを笑い飛ばしていました。それは面と向かって侮辱されたわけではないので、気にしなかったのだと思います。

 しかし、私は義兄から面と向かって非難され、罵倒されていました。 一度や二度ならまだいいけれど、それ以上となると本当に辛かったです。しかし、私は義兄に言い返すことができないし、説明すればするほど面倒なことになるので、説明することもできませんでした。それだけでなく、義兄の問題を解決する方法を見つけなければなりませんでした。本当に嫌で仕方がありませんでした。

 一時は逃げ出して家に帰り、もう義兄の介護には関わらないで、誰かに任せようかと思ったこともありました。しかし、よく考えたら、これ以上ふさわしい人はいないでしょうと思いました。姉夫婦には一人の子供がいるだけで、甥夫婦も働いています。義兄には弟や妹が何人かいますが、彼らも仕事が忙しくて時間が作れません。同様に、私たち側の弟妹も皆働いていて、介護する時間がありません。私は定年退職したばかりで時間に問題はありません。私は男性なので、女性よりも義兄の介護が適しています。それなら、私が適任だと思います。

 私は自分のことを見てみると、義兄の不本意な暴言に耐え切れず、その場から逃げ出したくなるのは、「自分の気持ちだけを考え、義兄の状況を考えなかったからだ」とわかりました。

 本当に利己的で、師父が弟子に要求することからかけ離れていて、恥ずかしくなりました。落ち着いてくると「きっと自分の執着心に触れているから、こうなったのだ」と思いました。

 自分の内に向けて探すと、まず見つかったのは、他人に「言われたくない心」です。誰かに言われるとすぐ爆発しそうな傾向があります。以前、私は姉と次姉とよく交流したのですが、二人とも私が人の意見を聞き入れないと言っていました。そう言われるたびに、私は反論はしなかったのですが、納得しておらず、受け入れないことをはっきりと示しました。それから10年以上が過ぎましたが、事実として、私のこの心は一向に取り除かれることはなかったとわかりました。ですから、師父はこのような形で、私にこの汚い執着心を直視させてくださいました。この心を取り除かなければ、師父の慈悲深い済度に申し訳なく、私はこの「言われたくない心」を取り除くことを決心しました。

 この「言われたくない心」をいつまでも持っているのでしょうか? もっと内に向けて探すと、その執着心の背後には、自分は偉いと思う心、他人を見下す心、独善的な心、良い言葉を聞きたがる心、自分と違う意見を聞きたがらない心などがあります。それらはすべて自我への執着の表れで、利己的なことです。私は「これらの執着心を徹底的に取り除かなければならない」と思いました。

 それからは、私は意識的かつ積極的に、義兄の立場から義兄の要求に対応するようになりました。次第に、義兄が本当に言おうとしていることを正確に察することができるようになりました。今ではすっかり仲良くなり、義兄も私の介護に満足するようになりました。

 六、善と愛をもって、義兄を修煉の道へ連れ戻す

 義兄は目覚めた後、脳がひどく傷ついていたため、交通事故の記憶がまったくありませんでした。会社の上司や同僚がお見舞いに来たときも、義兄は「できるだけ早く会社に戻りたいです」と言いました。義兄はまた、いつものようにもっと稼ぎたい、息子や孫、孫娘のより良い未来にあるよう、そして自分自身も幸せで良い人生を送れるようにとも話しました。

 私たちはこのことを深く憂慮していました。師父は義兄の命を救い、決して常人の幸せな生活をさせるためではなく、修煉をさせるためであり、歴史的な使命を果たせるためで、神聖な誓いを守らせるためです。この事件が私たちのそばで起こり、私たちがそれに巻き込まれたことは、私たちにも責任があることを示しています。

 義兄は仕事で業績がとても良く、会社のリーダーたちからも高く評価されていたため、非常にうぬぼれていて、他人の意見を聞き受け入れることが難しかったのです。どうすれば義兄の心を開かせることができ、疑念を取り除き、再び修煉の道へ連れ戻すことができるのか、それが私たちが解決しなければならない課題でした。

 私たちは義兄に、交通事故の真実と義兄を救出の過程、そして、私たちがどのように師父に義兄を救出するようにお願いしたのかを詳しく話しました。そのうえ、他の人々の証言も得て、義兄はようやく交通事故の深刻さと師父の慈悲深い救いのことを知りました。私たちは、「師父が助けてくださらなかったら、義兄は命を失っていたでしょう。 命がなくなってしまったら、お金を持っていても意味がないでしょう。仕事にも戻れないし、孫の世話もできない」と話しました。結果、義兄はかつて大法を修煉したことがあり、まだ根が残っていたので、悩んだ末、やっと大法を学ぶことに同意しました。

 義兄を一日も早く大法修煉の道に復帰させるために、私たちは義兄に法をよく学ばせることが第一だと考え、まず師父の説法の録音を聞かせました。

 最初はよく聞いていましたが、その後、説法を聞いている間に眠ってしまうことが分かりました。私たちは、この状態は頭の損傷と関係があるかもしれない、師父が義兄の脳をきれいにしているのかもしれないと思いました。

 その後、私たちはこの状況が正しくないことを発見しました。師父の説法の録音を聞くたびに、義兄が眠ってしまい、これは明らかに邪悪な妨害と迫害であり、義兄に法を学ばせないように妨げていることだと思いました。

 そのため、邪悪なものを取り除くために正念を発するだけでなく、義兄に法を学ばせる方法を変えなければなりませんでした。そのため、姉と義兄と私の3人は学法グループを作り、毎日「轉法輪」を一講を学ぶようにしました。姉と私は読み、義兄は聞いていました。しかし、学法の途中で、義兄がまた寝てしまったので、私たちはどうしたらいいかとても不安がありました。義兄の勉強中に寝る問題を解決するために、姉は義兄と深く交流し、法の勉強中に寝ることは師父と大法に不敬であり、師父と大法を信じない行為であり、直さなければならないと指摘しました。

 同時に、私たち自身の問題も見つかりました。毎日「轉法輪」の一講を学ばなければならないことは、義兄の今現在の能力を超えており、よく義兄のことを考えていなかったのです。そのため、私たちはもう一度法を学ぶ方法を調整しました。数段落を学んだところで、義兄にまだ学び続けられるかどうか尋ねることにしました。「続けていい」と言ったら続けます。疲れたから「休みたい」と言ったら止めることにしました。次に学ぶときは、前回中断したところから続けました。そうすることで、かなりいい結果が出ました。今では義兄も法を学ぶことに意欲的で、私たちに「早く法を学びましょう」と催促するようになりました。

 今、義兄の体調はどんどん回復しています。最初の昏睡状態、ベッドでの排尿・排便、食事や水を他人に頼ることから、車椅子に座ることなどを経て、今では自分の身の周りのことは自分でできるようになりました。

 姉夫婦は師父の慈悲深い救い済度にとても感謝しています!

 家族全員を代表して、慈悲深く偉大な師父に感謝いたします!

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/17/484641.html