『説文解字』から見る漢字の起源(一)
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文/覓真

 【明慧日本2024年12月29日】

(一)『説文解字』の来歴

 中国の文字は非常に古い起源を持っています。『易経・繋辞』や『呂氏春秋』などの古典には、黄帝の史官である倉頡が文字を創造し、正統な中華の文字を生み出したと多く記されています。甲骨文、金文から小篆に至るまでが古文体系に属し、漢代に入って隷書が出現したことで、今文体系へと移行しました。今文は古文と大きく異なるため、古文の本来の意味を理解しにくくなり、徐々に変異が生じるようになりました。東漢時代に至って、許慎は『説文解字』を著し、漢字の本来の起源を復元しようと努め、人々が文字の「変乱常行」に対することを停止しました。

 許慎(字は叔重)は、汝南召陵県万歳里(現在の河南省郾城県許荘村)の出身で、東漢の皇宮にある蔵書館で祭酒として秘蔵書の管理をしていました。

 『説文解字・叙』の中で、許慎は文字の起源をこう記しています。「古の時、庖犧氏が天下を治めたとき、天を仰ぎ天象を観察し、地を俯いて地理を見極め、鳥獣の模様と土地の適応を観察し、自分の身近な事物から、また遠くの事物から取って、初めて八卦を作り、その象を示した……黄帝の史官である倉頡が最初に書を作り、類似に基づき象形を用いたので、これを文と呼んだ。その後、形と音を兼ね備えた文字が生まれ、これを字と呼んだ」。庖犧氏は伏羲氏を指し、伏羲は天象を観察し、地理を調べ、事物の本質に基づいて八卦を創立し、天地万物の象を観察できるようにしました。黄帝の時代には、史官である倉頡が象形文字を創造し、後に形声文字へと発展したのです。

 しかし、漢代に隷書が登場し、それまでの篆書に比べて簡便で読みやすくなり、現在でも広く使われていますが、上古の文字が持っていた「類似に基づく象形」の原形が失われ、文字に対する様々な誤解や誤った解釈が広がり始めました。許慎は『説文解字・叙』の中で、人々が記憶しやすいように作った順口溜(わらべうた)のようなものが「馬頭は人を長とし、人が十を持つと斗とし、虫は屈中なり」と広まり、それが誤りの伝播となって害を及ぼしていることを指摘しています。

 漢字の本来の起源を追求し、人々にその中に込められた真の意味を理解させるため、許慎は22年を費やして、上古の文字、籀文、篆文などを広く集め、歴代の聖賢が残した資料に基づいて、9000以上の漢字の来歴を明らかにしました。

 もし『説文解字』のような根本的な書がなければ、商周の青銅器や戦国時代の古文、さらには後に発見された甲骨文を人々は理解できなかったでしょう。清代の訓詁学者である朱駿声は、『説文通訓定声・臨部』の中で「『説文解字』という書は、禹の功績に匹敵する」と言っています。今日に至るまで、『説文解字』は人々が日常的に使う参考書であり、文字の本来の意味を探ろうとするとき、まず思い浮かぶのが『説文解字』です。

(二)漢字の象:「仰いで天の象を観、俯いて地の法を観る」

 漢字は象形文字ですが、この「象」とは単に外形や輪郭が似ているというだけでなく、事物の本質的な象を含み、事物の内在する法則を反映しています。許慎は『説文解字』の中で「仰いで天の象を観、俯いて地の法を観、鳥獣の模様や土地の適応を観察し、身近なものから取り、遠いものからも取る」と述べています。そして「類に基づき象形を行ったため、それを文と呼び、さらに形と音が互いに助け合うと、それを字と呼ぶ」と続けています。

 つまり、漢字は天地の造化の内在する法則を明らかにしています。『淮南子』には、倉頡が文字を作った時、天から粟(あわ)が降り、鬼は夜間に泣き叫んだと記されています。俗に言えば、漢字の出現は「天地を驚かし、鬼神を泣かせる」ほどの大事であり、唐代の著名な書画評論家である張彦遠は『歴代名画記』で、文字の創造は造化の秘密を明らかにし、粟を降らせ、精怪が姿を隠せないため、鬼神が夜に泣き叫んだと説明しています。

 では、なぜ倉頡は天地万物の造化の妙を見通すことができたのでしょうか? 歴史上には、「倉頡には双瞳四目(二つの瞳を持つ四つの目)があり、彼は頭を上げれば日月星辰の運行の法則を見通し、頭を下げれば人間界の万物の奥義を観察することができた」という伝説があります。そして、倉頡はこれらを分類し、文字として記録しました。これが最初の象形文字です。

 歴史が非常に古いため、この「双瞳四目」の話には確実な史料は存在しませんが、修煉界の観点から推測すると、倉頡が「天目の能力を持ち、かなり高い境地に達していたなら、天目を通して別の空間の真実を見ることができたのかもしれません。

 許慎は倉頡の造字を「類に基づき象形」とし、高次元で見た宇宙の理を、人々が日常的に見たり感じたりできる普通の事物に基づいて表現したと説明しています。これは、人々が覚えやすく、広めやすい形で表現されたのです。

 倉頡によって造られた象形文字から、その後、より多くの文字が生まれました。それは「六書」の方法に従っています。『周礼』では「六書」について言及されていますが、詳細な説明はありません。許慎は『説文解字』で初めて六書の具体的な意味を明確に説明し、それは象形、指事、会意、形声、転注、仮借の六つです。つまり、漢字の形成と機能に関して、『説文解字』はその起源を追求し、過去と未来をつなぐ重要な著作なのです。

 (続く)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/8/10/480631.html
 
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