文/黒竜江省の大法弟子が口述 同修が整理
【明慧日本2025年1月6日】私は60歳の2010年に癌を患い、とても苦しんでいました。瀕死状態のとき、幸いにも法輪大法に出会い、救われました。10年以上経った今も、私は法輪大法の無限の力を目の当たりにしながら、幸せに暮らしています! 法輪大法が私の生命を蘇らせてくださったこと、そして師父が私に修煉の機会を与えてくださったことに感謝しています。
私は田舎育ちの農家の女性で、法輪大法を修煉する前は、重い心臓病、胃病、腰痛、下肢痛などに悩まされていました。2004年に末期甲状腺癌と診断され、3カ月の間に2回の手術を受け、甲状腺をすべて摘出されました。その時、医師は家族に、手術中に甲状腺が破裂したら、手術台から降りられなくなる、つまり死ぬということを伝えました。過剰な麻酔のせいで、術後、私は記憶を失い、反応が鈍くなり、言葉をうまくしゃべれなくなりました。その上、これから生きていくために常に薬を飲み続けなければならないと言われました。このように私は苦痛の中で生きていました。
私は2人の息子がいて、2人とも都会に住んでいます。その時、夫も都会で出稼ぎをしていました。長男の嫁の両親は法輪大法を修煉しています。長男の義理の両親は『轉法輪』という本を嫁に渡し、私に持ってきてくれましたが、私は『轉法輪』を読むと体調が悪くなりました。そして、悟性が悪い私は、「この本は普通の人が見てはならない本だ」と思って、嫁の両親に返しました。
私は田舎で一人暮らしをしていたのですが、病気のせいでそれができなくなりました。介護をしやすくするために、夫は私を田舎から都会に連れて行ってくれました。普段、私と夫はある小区で「門衛」(小区の門の所にいて人の出入りを見張る人)として働いていました。ある日、ある法輪大法学習者が『轉法輪』を私たちに預けました。『轉法輪』の中の師父の写真が破れていたので、嫁の両親に持って行って直してもらうよう頼まれ、預かったのですが、私は引き出しに入れたまま忘れていました。
その頃、私はすでに病院から死の宣告を受けていたため、私の命はカウントダウンしていました。2010年、病状は悪化し、食事がとれなくなり、食べるとお腹が張り、食べ物が腸へ行かなくなったと感じ、「私はもう助からない」と予感がしました。
ある日、私は自分の服を整理し、死ぬことに備えて、家族が物を探しやすいようにしていたら、『轉法輪』という本が出てきました。以前、兄が『轉法輪』を読んで、「とてもいい本で、法輪大法だけがあなたの病気を治すことができる」と言ったことを思い出しました。
私は、病気にとても苦しめられていたので『轉法輪』を読みたくなりました。「なぜ、政府が法輪大法を煉ることを許可してくれないのか、何が起こっているのか、何が書いてあるのか」とじっくり読んでみたいと思いました。私はお腹の張りで、座ったり立ったりすることができなかったので、横になったまま、午後の間『轉法輪』を読みました。
夜中の12時、眠っているようで寝ていないようなとき、お腹の上で白い光が点滅し、何かぐるぐる回っているのが見えました。あれは何だろうと思いました。お腹を見て、なぜこんなに張るのだろう? と考え、母が生きていたころ、「人が神と縁があれば、病気が治らず死ぬときには神医が助けに来る」と言っていたことを思い出しました。私はふと母の言葉を思い出し、「あれは神医が私を救いに来てくれたのだ」と思いました。私は急いで夫を起こし、「今度は神医が助けに来てくれる。私は死なないよ。母が言ったのだから」と言いましたが、夫は聞く耳を持たず、寝返りを打ってまた眠ってしまいました。私は一晩中寝返りを打ち、一睡もできませんでした。夫は朝4時に工事現場に働きに行かなければならなかったので、4時近くになったとき、私は再び夫を起こし、「私は死なないよ。神医が私を救いにきたの!」と、再び言いました。夫は聞かず、立ち上がってドアをバタンと閉めて出て行きました。ドアをバタンと閉める音を聞いたとき、涙がこぼれ落ちたのですが、「私のことを気にかけてくれないが、これからも続けて『轉法輪』を読もう!」と思いました。
翌日、私は『轉法輪』を読みました。テレビで法輪功のことが悪いと言ったのは全部嘘で、本の中にはみんな良い人になるようにと書いてあることがわかりました。
その4、5日後の昼、ベッドに横になって目をつぶっていたら、目の前に法輪が回っているのが見えたので(その時は、それが法輪が回っているとは知らなかった)、目を開けたら見えなくなりました。その時、「目を開けないから、もう一度回してよく見せて欲しい」と思い、もう一度目を閉じました。すると、法輪が回っているのが見えました。
2日後、嫁の両親がやって来たので、私は見たことを話しました。「神の医者が助けに来てくれたので、私は死なないですよね」と聞きました。義理の両親は何も言いませんでしたが、最後に義理の母親が 「本を続けて読んでください!」とだけ言いました。
義理の両親は帰った後、ある古い大法弟子に私のことを話したので、その古い大法弟子が私の家を訪ね、私に功法を教えました。私が功法をなかなか覚えられなかったので、その大法弟子は師父の功法を教えるビデオを借りてきて見せてくれました。そして、mp3に煉功の音楽を入れて私にくれました。
体が弱いので、私は初めて功法の練習をしたとき、心臓の鼓動が激しくなって失神しそうになりましたが、机を掴んだので倒れませんでした。口を開けて呼吸し、服はびしょびしょになり、「私にできるだろうか? あと2日やってみて、ダメだったらもうやらない」と思いました。それから、2日間煉功を続けた後、心臓の鼓動は正常に戻り、息も上がりませんでしたが、やはり汗をかき、服はびしょびしょになりました。
『轉法輪』には、自分を煉功者と思えば、師父が弟子の体を浄化して病気を取り除いて下さると書いてあったので、私は薬を飲むのをやめました。後日、義理の両親の母親が家に来たとき、私は2カ月間薬を飲んでいないと話しました。義母は「大丈夫ですか?」と聞きました。私は 「はい、本当に飲んでいません。薬を捨てました 」と言いました。義母は私の病気を知っていたので、こんなに早く治るとは思っていなかったようで、義母は「それなら、修煉を続けてくださいね 」と言いました。
その後、義理の両親は、私が法輪大法の功法を煉って薬を飲む必要はなくなったことを夫に話しました。しかし、それを聞いた夫は慌てて長男夫婦を呼び、長男夫婦は急いで私の家に来ました。長男は泣きながら「お母さん、こんな大病なのに薬を飲まないでいられるの? 薬を飲まなきゃいけないよ。お母さんは他の人と違うんだから」と言いました。私は「もう薬は飲まない。私は良くなっているんだからね」 と話すと、長男は「それではだめだ、明日病院に行って診察してもらわなければならないよ」と言いました。長男は、遠く離れた広州の病院にいる医療専門家の姪に電話しました。姪は、私が薬を服用しないことを聞いて、「薬を飲むのをやめることはできないよ。早く病院へ行き、レントゲンを撮って、私に送ってください。ダメなら、すべての費用は私が負担するから、広州に来てください」と話しました。私は病院に行かないと言いましたが、息子は無理やり私を病院に連れて行き、詳しい検査を受けさせました。1回目の検査は問題がなかったので、レントゲンを撮る人は「このおばあさんはどうしたんだ」と言いました。2度目の検査をしても「このおばさんは元気だよ。大丈夫だ!」と言いました。
病院から出て、私は息子にこう言いました。「これからは、もう私を病院に連れて行かないでね。医者も大丈夫と言ったでしょう。私をもっと良い場所に連れて行けば良かったのに、病院に連れて行くのはやめてね」
私は、これは師父が私を死の淵から救って下さったことを知っています。それから毎日、私は煉功と法の勉強を最も重要なこととしています。修煉することで、私は無病で幸せな気持ちを味わうことができるのです。慈悲深く偉大な師父が、私に人生の意味を理解させてくださり、新しい人生を切り開いてくださったことに感謝しています。
以前、夫は風邪を引くと咳が止まらなかったのですが、私が法輪大法を学んでからは、夫は風邪を引いても咳をしなくなりました。ある日、夫は財布を拾い、中に5000元と身分証明証がありました。長男は夫を近所のビル管理者のところに連れて行き、電話で持ち主に連絡し、財布を返しました。持ち主はお礼としてお金を渡そうとしましたが、夫と息子は丁重に断りました。これは、私が大法を修煉しており、夫と息子は大法の恩恵を受けて「真・善・忍」の基準に従って善いことをしたのです。