9年半の冤罪を被った広東省の謝育軍さん 再び5年の不当判決
■ 印刷版
 

 【明慧日本2025年1月8日】広東省梅州市に属する興寧市の法輪功学習者・謝育軍さんは、2024年4月25日に興寧市公安局の国内安全保衛部門と興田派出所の警官らに連行され、興寧市留置場に拘禁され迫害を受けた。公安・検察・裁判所が共謀して謝さんを陥れ、同年10月18日と11月12日の2回にわたり裁判を開いた。12月20日、梅県区裁判所が通知を出し、謝さんに懲役5年、罰金7万元(約140万円)の実刑判決を下した。

 法輪功学習者・謝育軍さん(以下、学習者・謝さん)は今年56歳で、法輪大法を修煉し、「真・善・忍」の法理に従って心を修め、善に向かい、心身ともに恩恵を受けている。謝さんは「真・善・忍」に基づく修煉を堅持し続けているため、中共当局により繰り返し連行され、不当に拘置所、留置場、洗脳班労働教養所、刑務所に拘禁された。これまでに2回の不当な労働教養処分を受け、計4年6カ月拘禁され、懲役5年の判決を受けた。労働教養所や刑務所で極めて残酷な拷問を受けた。

 2024年4月24日、興寧市公安局の国内安全保衛部門(以下、国保。迫害実行機関)の警察や興田派出所の副所長を含む複数の警官が謝さんの自宅に押し入り、謝さんを連行しようとした。しかし、謝さんは不在だったため、警官らは家宅捜索を開始した。謝さんの妻は警官らの違法行為を阻止し、県級以上の責任者の署名と印章がある捜索令状を提示するよう求めたが、警官は署名のない空白のA4用紙を1枚見せただけだった。警官らは携帯電話、音楽プレーヤー、USBメモリ、盗聴防止機器、デスクトップパソコン、カメラなどの私物を押収し、その場で謝さんの妻と10歳の息子を不当に拘束した。その夜、警官は再び謝さんの家に現れ、嫌がらせを続けながら謝さんの行方を質問し続けた。家の周囲には、私服警官や警察車両が配置されていた。

 翌日、外出していた謝さんは警官らに連行され、興寧市留置場に拘束される迫害を受けた。彼の妻と幼い息子は監視下に置かれることとなった。5月27日、派出所の警官は、謝さんの逮捕状を出し、サインを求めたが、家族に拒否された。

 2024年7月下旬、謝育軍さん、李卓忠さん、廖苑群さん(廖燕琼)夫妻、廖娟娜さんなど複数の法輪功学習者が、梅県区裁判所で罪に陥れられた。

 10月18日、謝さん、李卓忠さん、廖苑群さん、廖娟娜さんは県区裁判所で不当な裁判を受けた。裁判が中断された後、11月12日再度、裁判が行われた。

 12月20日、梅県区裁判所は通知を出し、謝さんに5年の実刑判決を下し、7万元の罰金を科した。李卓忠さんと廖苑群さん夫妻も不当に10年の判決を受け、15万元(約300万円)の罰金が科された。廖娟娜さんは5年の実刑判決を下され、7万元の罰金を科された。

 謝さんは過去に、何度も中国共産党(以下、中共)により連行され、不当に拘禁され、2度不当に労働教養を受け、一度判刑され、合計で9年6カ月の冤罪を受けた。謝さんは広東省三水労働教養所と梅州刑務所で迫害を受けていた。

 以下は、謝さんが中共によって迫害された一部の経歴である。

 一、2回にわたり広東省三水労働教養所で受けた迫害

 1999年7月20日、中共は法輪功に対する激しい迫害を開始した。2000年6月、法輪功の無実を訴えるために北京に赴いた謝さんは拘束され、広東省三水労働教養所に不当に送られ、2年間の労働教養を強いられた。労働教養期間が終了した後、謝さんは再び興寧市留置場に連行され、引き続き迫害を受けた。

 広東省三水労働教養所では、刑務官は法輪功を放棄しない学習者に対して、集中的に厳しい管理を実施し、迫害を一層強化した。2001年3月、謝さんは厳重管理隊で残虐な迫害を受けた。刑務官らは学習者に対して使用した数々の残虐な手段には、以下のようなものがある。隔離監禁、電気ショック、暴行、鷹狩り、吊り手錠、竹串を指に刺す、五馬分尸(四肢を引いて身体を裂く)、熱湯をかける、硬い椅子に座らせる、壁を向かせる、しゃがませる、軍人の姿勢を取らせる、炎天下で晒し者にする、髪の毛を引っ張る、銅線で鞭打つ、水をかけてから電気ショックを与える、バケツに水を半分入れ真っすぐに両腕を持ち上げたまま長時間立つ、鉄の飯盒を頭に載せる、体罰、過酷な労働などである。

'中共酷刑示意图:殴打'

拷問のイメージ図:殴打

 2004年7月10日、謝さんはもう1人の学習者・劉尚礼さんと一緒に興寧市龍田町の途中でバイクを修理していた際、店主に法輪功迫害の真実を伝えた後に連行され、2人は後に不当に2年6カ月の労働教養を受け、広東省三水労働教養所で迫害を受ける。謝さんが連行された後、妻と1歳の娘が残され、厳しい生活を強いられることになった。

 二、梅州市戒毒所洗脳班での迫害

 2002年7月、謝さんは深圳で働いていた際、深圳の出入境管理局に不当に拘束され、その後、興寧留置場に連行されて迫害を受けた。数日後にようやく解放された。

 同年9月、謝さんは興寧市の「610弁公室」事務局に騙され、梅州市にある麻薬中毒者更生施設内の洗脳班に不当に拘束された。この期間、梅州市の「610弁公室」指導者は悪人を使い、彼を殴打させた。同年11月29日、洗脳班が解散された後、謝さんは興寧市留置場でさらに1カ月間不当に拘禁された後、ようやく解放された。謝さんは、興寧市の「610弁公室」責任者である羅新栄に「国家の資金を無駄に使い、民間の生活を苦しめ、私の生活も困難になった。損失を賠償しろ」と求めた。羅新栄は自分が悪いと知っていながら、「生活費として200元を渡す」と言った。 

 その後、興寧市の「610弁公室」職員、大新街派出所の警察、大新街道事務所の職員が頻繁に謝さんに嫌がらせをし、何度も電話をかけたり、さらに、謝さんの家や職場に押し駆けてまで嫌がらせを行った。

 2004年2月9日、悪人が謝さんの家に押し入り、家の中にまだ乳児がいるにもかかわらず、無理に家の中を荒らし、鉄製のハンマーで乱暴に叩き、謝さんを派出所に連行した。その日、謝さんは巧妙に逃げ出したが、放浪生活を余儀なくされた。

 謝さんが派出所から逃げた後、興寧市大新街道の李宗其は「あなたに1千元(約2万円)をあげるので、彼の住所を教えてください」と謝さんの親戚に言った。李宗其はさらに、計画生育を調査する名目で謝さんの妻に対して嫌がらせや脅迫、監視を行うように悪人たちに指示した。また、謝さんの妻の実家にも押しかけ、親戚や友人の間で法輪功を誹謗中傷する噂を広めた。大新街派出所の警官は、謝さんの妻や子供の写真を持ち歩き、中共の虚言を信じ込む人に告発させたり、監視させたりした。

 三、梅州刑務所での迫害

 2009年10月27日夜、謝さんは温春如さん、陳勝輝さん、廖麗新さんなどの学習者とともに梅州市五華県華城鎮新五村で法輪功への迫害の関連資料を配布していた時、中共の虚言を信じ込む村民に通報され、五華県公安局の警察に連行された。10月28日午前、興寧市国保の警官らが謝さんの自宅ドアをこじ開け、台式コンピュータ、ノートパソコン、携帯電話、ルーターなどを押収した。謝さんは不当に五華県拘置所に収容された。

 2010年3月16日、謝さんは梅州市五華県裁判所により不当に5年の懲役を宣告され、その後、梅州刑務所(広東省第三刑務所)に送られた。梅州刑務所では学習者に対して様々な残酷な方法で迫害を行われている。例えば、監視役による監視、洗脳と転向、長時間小さな椅子に座らせる暴行、地面を引きずる、食事に毒薬を混入する、灌食、薬物注射、薬物投与、ロープで四肢を縛り吊るす、リモコン式電気椅子による身体への損傷、スタンガン、長時間の不眠、頭を直接壁にぶつける、奴隷のような強制労働などが行われた。

'中共酷刑示意图:拖刑'

拷問のイメージ図:地面に引きずられる

 2013年5月22日、謝さんは梅州刑務所を出所して、家に帰ることができた。

 (注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/26/486889.html
 
関連文章