文/黒竜江省の大法弟子
【明慧日本2025年1月23日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
私は黒龍江省の大法弟子で今年75歳です。1997、8年に修煉をし始め、その時は49歳でした。私は今日、修煉を始めてからのいくつかの修煉過程と、衆生を救い済度したいくつかの修煉体験を書き出し、同修のみなさんと分かち合いたいと思います。
一、善の心で家族に接する
1、恨む心を修めると夫が大法を認めた
私は姉妹が8人おり、私は一番下だったので家では何もする必要がなく何もできませんでした。そのため結婚後、とても苦労しました。お金がなく、何もできなかったのですが、結婚した次の日、私は外へ働きに出て、少しお金を稼ぎ、魔法瓶を買いました。このように少しずつ家計をやりくりしました。
夫は仕事をするのを嫌がり、いつも酒を飲み、気性が荒く、私たち夫婦はいつも喧嘩をしていました。夫は喧嘩をするといつも手が出ました。家の大小様々なことで私はいつも腹を立て、気が滅入り、心身ともに疲れました。
私は夫が役に立たないと見下しており、夫はどんな仕事もやり遂げられず、全く向上心がなく、困難に直面するとすぐに諦めました。私は、「どうしてこんな人と一緒になってしまったのだろう!」と思いました。離婚も考えましたが、子供たちが泣きながらしがみついてくるのを見ると、どちらの子も夫に渡したくありませんでした。それで夫と協議書を交わし、子供が大きくなったら別れることにしました。
子供が大きくなってから、私は裁縫を習いに行き、裁縫の勉強を終えてから2人の娘と洋品店を開きました。商売はなかなかうまくいき、朝早くから夜遅くまで働きました。服を注文していた客がみな出来上がった服を受け取るのを待っており、私たちは服を作るのに忙しく、また食事を作るのも忙しかったです。そのころ夫は、叔父の家へ手伝いに行っていましたが、向こうでは食事が出なかったので家に帰ってきました。私は心の中で不満に思いましたが、夫に何も言いませんでした。夫は怒り出し、子供に頼んでビールを2本買ってこさせました。夫はビール瓶をテーブルにドンと大きな音を立てて置き、そして罵り始めました。私は腹が立って夫と口論になりました。夫はビール瓶を掴んで私の頭に投げつけようとしましたが、私が避けたので当たらず、私はその場にへたり込んで座り込みました。
私は腹が立って体が震え、怒りと恐怖でいっぱいになりました。それからというもの、私は頭が震えたり、体が震えたりする病気になりました。その後、長女が小さな町に嫁ぎ、私たちも長女の近くに引っ越しました。小さな食堂を開き、商売はなかなかうまくいきました。ある日、夫は言いがかりをつけ、食堂のカーテンを引きずり下ろしました。子供たちはそれを見て「やっていられない」と思い、みな外へ働きに出て行きました。夫は子供たちの食堂をめちゃくちゃにしてしまいました。
私は夫を怨み、彼とこんなに長い年月を過ごし、あんなに多くの苦労をし、私の精神と肉体にこんなに重い傷害を与えました。私は人が生きるのはとても苦しく、とても疲れると感じました。なぜ生きているのかさえ分からず、毎日忙しく、盲目的に生きていました。
ある時、私は「信仰のある人々は心が広く、物事を割り切って考えられると言うが、私も何かを信じてみようか?」と思いました。私は町で何か気功のようなものをやっていると聞いたので、探しに行ってみましたが見つかりませんでした。その後のある日、夫とまた喧嘩をし、腹を立てたのがちょうど7月14日だったので、私は両親の墓参りのために実家の姉の家に行きました。
私は姉に、「姪は今何をしているの?」と聞きました。姉は「彼女は家で何の功を煉っているのか知らないけど、たくさんの人が彼女の家で煉功しているのよ」と言いました。私は姪の家に行きました。
姪は、姪の夫に「私のおばさんにも、法輪功を学んで修煉するようにあげてほしい」と言いました。すると、姪の夫は「あなたのおばさんは、あんなにお金を追い求めているのに、修煉することができるのですか?」と言いました。姪は私に「おばさんも修煉しましょうよ。うちの子たちはみな法輪を見たのよ」と言いました。私はそれを聞いて心が動かされ『轉法輪』を手に取って10数ページ読みました。
「これはまさに修煉ではないか!」と、私はすぐに分かりました。なぜなら私は小さいころから母親に、「深山の奥深い森の中に修煉する人がいて、仙人になり道を得ることができる」と聞いていたからでした。母親からその話を聞いた時、私は「私はどの深山の奥深い森に行けば修煉できるのだろうか?」と思いました。
小さいころから私には修煉の願いがあったので、そのため『轉法輪』を拝読するとすぐにこれが修煉だと分かりました。
私は姪の家に7日間泊まり、五式の功法を習っていると長女が来て、「家に帰るように」と言いました。私は「法を学び煉功したいのです。しかし、私たちの家にはそれをする場所もない」と言いました。すると長女は、「ある、煉功場があるよ」と言いました。私は家に帰り、家に着く前に直接煉功場に行きました。煉功場に着くと、同修はとても親切で彼女の家で学ぶようにと私に言いました。
一旦修煉を始めると私は手放せなくなり、ずっと精進しました。
私は小さいころからオンドルに座る時、いつもガニ股で座るのが好きだったので、煉功を始めたばかりのころは座禅で足を組むことができませんでした。片足を組むのでさえ痛くて体が高く跳ね上がっていました。座禅で足を組むために、私はとても多くの苦労をしました。
修煉を始めて以後、学法を通して、私は夫を怨むべきではないと分かりました。「これらはすべて私が前世で夫に借りていたもので、今世で借りを返しているのだ。私は大法が求める通りに真・善・忍に従って良い人として生きなければならない」
私は他人を大切にし、常に他人のことを考え、「殴られても殴り返さず、罵られても口答えしません」(『シドニー法会での説法』)のようにしなければなりません。私は以前のように夫に接することはしませんでした。
夫が何を言おうと私は気に留めず、罵られても何も言いませんでした。私は夫を怨まなくなりました。自分が彼に借りを返しているのだと分かると心が落ち着きました。
しかし、時にはできないこともありました。ある時、私は夫に袋を持っていてもらうように頼み、私はその袋の中に米を入れました。その時は私の態度が悪かったので夫は怒り出し、私たち2人は言い争いになりました。私が師父を敬うために使っている香炉を夫は地面に投げつけ、香の灰が地面一面に散らばりました。夫が私を殴ろうとしたので、私は義母の家へ逃げましたが、彼は義母の家まで追いかけてきました。しかし、義母が家にいるのを見て私を殴りませんでした。私は夫の様子を見て、姪の家に一晩泊まりに行きました。その後私は、「家に帰らなければならない、夫のように感情的になってはいけない」と思いました。
私は家に帰り、夫に謝りました。「私が悪かったです。もう言い争いをしません。あなたがやることを尊重します」と言いました。夫は私が心から謝っているのを見て、機嫌が良くなりました。その後、私はどんなことでも夫に譲るようにしました。すると、私たちは喧嘩をしなくなりました。私が大法の中でどのように良い人であろうとしているのかを夫は知り、彼も恩恵を受けるようになりました。
ところが、夫はいつもお酒を飲み、アルコール性肝炎になりました。医者は夫にこれ以上飲み続けると肝硬変になると言いましたが、彼はそれでもこっそりお酒を飲み続けました。お酒を飲むと夫は別人のようになり、いつも私の欠点を探し、これは違う、あれは違うと言いました。私は我慢し、夫と同じように文句ばかりを言ったりはしませんでした。その後、夫は肝硬変になり、病院に長い間入院しましたが、治療すればするほど悪化しました。医者は「省の病院へ行ってみてください」と言いました。夫はそれを聞くとその場に崩れ落ち、自分の病気が深刻だと分かりました。私は夫に「省の病院へ行きますか?」と聞きました。夫は「行かない」と言いました。私は「あなたがもし行かないのなら、家に帰って私と一緒に法を学び煉功しましょう、大法の師父だけがあなたを救うことができます」と言いました。
当時、夫の腹は膨れており、何も食べられませんでした。点滴をすればするほど夫の腹はますます膨れていきました。家に帰ってから私は夫に煉功を教えました。彼は覚えるのがとても早かったです。私が普段煉功しているのを夫はいつも見ていました。法を学ぶ時、夫は字をあまり知らないため、法を学ぶのは大変でした。私はゆっくりと夫と一緒に法を学び、彼に字を教えました。次の日、夫はお腹が張っている状態がいくらか和らいで苦しくないと感じました。3日目には食べられるようになりました。夫の体は日ごとに良くなっていきました。子供たちが父親を見に家に帰ったのですが、大法の不思議さを目の当たりにしました。子供たちはみな大法を認めました。6カ月後、夫の体はすっかり良くなりました。夫は大法がすばらしいことを知り、他の人にも「大法がすばらしい」と話しました。彼が病気になってどのように良くなったのか、そして「大法の師父が救ってくださったのだ」と話しました。
ところが、体が良くなると夫は煉功をしなくなりました。外でトランプをしたり雑談をしたりしていました。私が夫に煉功をするように言うと、彼は「あなたは好きなように煉功を続ければいい、放っておいてくれ」と言いました。それから7、8カ月くらい経った頃、ある日の夜7時過ぎ、夫は家の外で近所の人と話をしており、長女もそこにいました。夫はトイレに入るために帰ってきたのでした。その時、私はちょうどベッドで法を学んでいたのですが、夫が「うわっ」と言って吐く声が聞こえました。私は急いでベッドから降りてトイレに行くと、便器の中は血だらけでした。私は急いで長女に「早く見に来て、お父さんが吐血した!」と叫びました。長女と近所の人も上がってきました。近所の人は夫の様子を見て「早くタクシーで病院へ行きなさい」と言いました。病院に着いた後、夫は大量に吐血し、翌々日に亡くなりました。亡くなる前、私は夫に「師父に祈りなさい、生まれ変わったら必ず法を得て、修煉して戻ります」と話しました。
私はもともと自立しており、確かに夫とは深い愛情を感じる関係ではありませんでしたが、夫が亡くなった後、私はよく、彼が私に付きまとう夢を見ました。私は「彼とは情がないのに、どうしていつも私に付きまとうのだろう?」と思いました。ちょうどこの原稿を書く前に、私は同修と交流し、何が情で何が慈悲なのかについて交流しました。以前は慈悲と情を区別できず、どうすればこの情を取り除くことができるのかがわかりませんでした。師父は私に啓示を与えてくださり、師父の法を思い出させてくださいました。
師父は法の中で、「愛することも、恨むことも」(『轉法輪』)と説かれました。やはりこの恨む心が根本から取り除かれていなかったのです。慈悲とは、誰を見てもみな苦しんでいると思い、何事につけてまず人のことを優先に考えることでした。
2、義母とその家族に善の心で接する
私はその後、別の都市に行きました。義母は、私が大法を学んでいることを知っており、とても大法を認めていました。義母の家で、私が知り合って話をする機会があった人たちはみな三退しました。義母の家で知り合った人たちとは「みな縁がある」と私は感じました。
私の娘と娘の夫は、以前喧嘩ばかりしていたので、私は娘を諭しました。私の娘と娘の夫は2人とも私が救い済度すべき衆生であり、私は娘の肩ばかりを持つことはできず、もし娘の肩ばかりを持つのであれば、それは情です。私は娘に「あなたの夫は気が強くても、きちんとした家の人で、生活をきちんとしている人で働き者です」と言い聞かせました。娘は内心不満で「お母さんはいつもあの人(娘の夫)の味方をする」と言いました。私は「人にはみな欠点があり、また長所もある。人の長所を見るべきで、いつも人の欠点ばかり見てはいけない」と話しました。娘の夫は私のことをとても尊敬していました。義母の家族と義母も私のことをとても敬服していました。
現在、私の家の2人の娘と娘の夫の3人は、みな私にとても孝行です。なぜなら私が大法を修煉し、真・善・忍に従ってよい人となり、何事につけてもまず他人のことを考えているからです。また、娘の夫たち3人がみな私にとても孝行な理由については、今は経済が不景気なので、彼らは正月やお祝いの時にみな私にお金をくれますが、私は「要らない」と言うからです。娘は怒って「あなたは私たちをこんなに大きく育ててくれたのに、私たちにあなたへの借りを作らせるのですか」と言いました。娘は私が質素で倹約しているのを知っているので、私に野菜を買ってくれたり、果物を買ってくれたりします。彼らは皆とても孝行です。
私は彼らに、「今、生活はみな容易ではありません。なぜなら私たちは他人のことを考え、何事につけてまず人のことを優先に考えているからです」と伝えました。ですから私の周りの人たちはみな大法を認め、大法がすばらしいことを知っています。
私が普段、発正念をする時は、旧勢力、邪悪、卑しい鬼、共産邪霊など、衆生を牽引することで道徳を低下させ、大法と同化しない全ての妨害要素を取り除きました。私が接触した全ての衆生に大法を認めてもらい、大法に同化させ、救われるようにし、正しい道に導きました。私が知り合った全ての衆生に対して、大法を理解してもらい、救われるように努めました。本当に衆生に対して善でなければ、彼らはあなたが示す善を受け止めることができないでしょう。
(続く)