修煉の道で人心を取り除く二つの出来事
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 文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年2月6日】私は1998年に修煉を始めた大法弟子で、今年69歳になります。ここでは、修煉の道を歩む中で人心という執着を取り除いた二つの小さな出来事についてお話ししたいと思います。

 一、内に向けて探すことは修煉の宝

 ある日、同修と「夜6時30分に浴場で待ち合わせて、一緒に入浴しよう」と約束しました。私は時間通りに家を出たのですが、階段を降りた瞬間、鼻に冷たい感覚を覚えました。手で触れてみると鼻血が出ていたので、私はすぐにティッシュで鼻を押さえながら浴場へ向かいました。

 浴場に着いてみると、同修はまだ来ていませんでした。鼻を押さえていたティッシュを外してみると、すでに血で真っ赤に染まり、しかも鼻血は勢いよく流れ続けていました。持参していたティッシュもすぐに使い切ってしまいました。それを見た浴場の女主人は慌てて大きなティッシュのロールを持ってきてくれて、「早く病院へ行った方がいいですよ」と言いました。ちょうどその時、同修が到着し、私の様子を見て驚き、「今日はお風呂はやめて、家に帰りましょう」と言いました。私は「そうね」と答え、浴場の女主人にお礼を言って帰宅しました。

 家に着くと、送ってくれた同修が「あなたは今、どう考えていますか?」と尋ねました。私は「特に何も考えていないです」と答えました。すると同修は、「私は、どうしてこんなに血を見せられるのかを考えていました。そうしたら、自分の中に『血を見るのが怖い』という心があることに気づきました」と言いました。そして、彼女は私のために発正念をしてくれました。

 しかし、鼻血はますます勢いを増し、鼻を押さえると今度は口から血が溢れてきて、一口また一口と吐き出し、気づけばゴミ箱の半分が血でいっぱいになっていました。そうこうしているうちに、あっという間に夜9時近くになりました。同修は家の鍵を持っていなかったため、「この時間には家に帰らなければならない」と言いました。私は「早く帰って、家族の休息を邪魔しないようにしてね。大丈夫です。私は必ずこの関を乗り越えるから!」と言いました。

 同修を見送ると、私の心は落ち着いてきました。そうして私は「同修でさえ、自分自身を省みていたのだから、私もきちんと自分を探さなければ!」と考えました。「なぜこんなにも血が止まらないのか?」 これまでにも鼻血が出たことはありましたが、ティッシュで押さえて、冷水で額を叩けばすぐに止まっていました。

 そこで、私は鼻を押さえながら、今日1日の出来事を振り返ることにしました。朝から晩までの行動を一つ一つ思い返してみたのです。すると、原因が分かりました。午前9時ころ、バス停で見かけた楽器を背負った夫婦に真相を伝えようとした時のことです。

 「音楽を楽しむのは素晴らしいですね。毎日楽しく過ごせますね」と話しかけました。すると、男性が、「イベントに参加するついでに、この近くの団地に住む年老いた両親を訪ねるんですよ」と答えました。彼は団地の入り口を指差しながら、「2人とも80歳を超えているので、頻繁に顔を見せ、おいしいものを買って持っていくんです」と話しました。

 私は、「お二人とも本当に素晴らしいですね。ご両親を大切にされている。これは中国の伝統的な美徳です。でも今の時代、特に若い人たちはなかなかできませんね。親への感謝がなく、親のすねをかじるのを当たり前だと思っている人もいます。財産の分配が不公平だと、親を訴える人までいるんですよ。昔は、親が絶対的な存在でしたが、今の若者は養育の恩を理解していないのかもしれません」と言いました。

 夫婦は私の話に深く頷きながら、男性は「お姉さん、あなたは服装も上品で、気品がありますね。どんなお仕事をされているのですか?」と尋ねました。「私は工場で働いています」と答えると、彼は「お子さんは何をしているのですか?」と聞きました。私は子供の職業を伝えました。すると彼は「それは優秀じゃないとできない仕事ですね。見た目も良くないと」と言いました。

 子供の話が出ると、私はつい夢中になり、息子のことを熱心に語り始めました。「うちの子は小さいころからとても賢くて、しっかりしていたんです。勉強もできて、ずっと私に心配をかけたことがありませんでした。特に、小学校のころは毎回学年トップで、授業参観の時、成績順に親の座る席が決まるのですが、私はいつも一番前でした。それが誇らしくて、周りの親の羨ましそうな目が気持ちよくて……」、こんなふうに話しているうちに、私はようやくハッとしました。

 「まだ真相を伝えていなかった!」と。もう直ぐバスが来そうだったので、急いで「三退」について聞きました。女性はすでに脱退済みでしたが、男性はまだでした。私は「せっかくのご縁ですから、私が手続きをお手伝いしますね」と言い、仮名をつけて脱退を勧めました。そして、「『法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい』を心に刻んでくださいね。きっと幸運が訪れますよ」と伝えました。「天安門焼身自殺事件は捏造です。大法の修煉者は生きた魚さえ食べません。どうして自殺などするでしょうか?」と話しているうちに、バスが来ました。私たちは互いに微笑みながら別れを告げました。

 この出来事を振り返ると、私はずっと子供への執着を手放せずにいたことに気づきました。歓喜心、顕示心理、名誉心……これらはすべて「情」によって生じたものです。修煉の道において、こうした執着はまるで壁のように立ちはだかり、それを乗り越えなければなりません。今回の鼻血によって私は目を覚まし、子供への情を修め、歓喜心、顕示心理、名誉心を取り除くべきだと悟りました。

 そう考えた瞬間、鼻血はピタリと止まりました。時計を見ると、夜10時30分。鼻血は4時間も続いていたのです。

 師父に感謝いたします! 師父がどれほど私のために背負ってくださったことでしょうか。心から感謝いたします! そして、同修に感謝します!

 二、執着を手放す

 私と夫は再婚同士で、一緒に暮らしてもう28年になります。この家に来て、私は千年、いや万年に一度の機会とも言える大法を得ることができ、心から喜びを感じています。

 2024年、夫の娘が遠方に住む息子に会いに行くことになりました。私は彼女の継母として、少しでも気持ちを表したいと思い、旅費として彼女に500元(約1万円)を渡しました。

 出発の2日前、彼女は私たち夫婦と弟夫妻をレストランに招待してくれました。しかし私は、「私たちは行かないよ。レストランは騒がしいし、お父さんはタバコの煙を嫌うからね。だから、私はあなたたちをレストランに招待する代わりに、お金を渡したのです」と言いました。すると、彼女は驚いたように言いました。「えっ? お金なんてもらってないけど?」

 私は「ちゃんと渡したじゃない」と説明しましたが、彼女は「それはあなたの思い込みです。私はもらっていない!」と断言しました。

 その時、お金を渡した場面には夫もいたのですが、夫は記憶力が悪く、少し前のことでもすぐに忘れてしまいます。私はこれ以上言い争っても仕方がないと思い、一歩引くことにしました。そして、「もしかしたら私の勘違いかもしれないわね。忘れてしまったのかも」と言いました。

 言葉ではそう言ったものの、内心では「たった20日ほど前のことなのに、どうしてこんなに簡単に忘れてしまうの?」と納得できない気持ちがありました。しかし、ふと「私は修煉者なのだから、もしかすると前世で彼女に借りがあったのかもしれない。今回、それを返しただけなのだ…。そう考えれば、むしろ良かったのでは?」と思いました。

 しかし、弟夫妻もその場にいたため、「面子が立たない」という気持ちが湧いてきました。しかし、「本当に正しいか間違っているかを知っているのは師父であり、神々なのだから、師父が私の心を分かってくださればそれでいい」と思い直し、心をすっと落ち着かせることができました。

 さらに私は、師父が説かれた「韓信が股くぐりの屈辱を耐え忍んだ」という法理を思い出しました。韓信は、あえて屈辱を受けることを承知の上で、ならず者の股をくぐったのです。もしかすると、夫の娘は本当に忘れていただけかもしれません。私は彼女と30年近く一緒に過ごしてきましたが、彼女は決して意図的に人を陥れるような性格ではなく、思ったことを率直に口にする人です。

 それから1カ月ほど経ったある日、彼女が帰宅し、「お母さん、お金が見つかったよ。私が忘れていただけだったの」といいました。

 この出来事を通して、私は自分の中に「利益への執着」「面子への執着」「自分本位な心」があったことに気づきました。

 法を正す時期の最終段階において、私は家族や親戚、友人、そして私が接するすべての人に対して、愛と善意を持って接しなければなりません。なぜなら、彼らは皆、師父の親族であり、私は「三つのこと」をしっかり行うべきだからです。それこそが、私の責任であり、使命なのです。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/1/31/487862.html
 
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