些細な事でも真に修めるべきである
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年2月24日】最近、私は2つの些細な出来事を通じて心性が向上しました。小さなことは見落とされやすいのですが、修煉においては非常に重要なことだと痛感しています。小さなことを適時に改善できれば、大きな災難に見舞われる状況も避けられます。

 1.息子に対する態度の変化

 ある日、私はリビングルームで大法を書き写していました。息子は寝室とリビングを行ったり来たりしていました(彼のリラックス方式の一つです)。それが少しイライラしたので、手を上げて、息子の行動を止めようとしました。手を上げたまま、言葉をまだ口にしていないとき、突然何かがおかしいと感じました。息子の行動は彼が望んでいることであり、幸せかもしれないのに、自分がイライラするからと言って、息子を止めることは利己的ではないでしょうか?

 私は、手を引っ込めてこう思いました。「自分の心を落ち着かせ、息子の行動に影響されないようにすればよいのだ」と思った瞬間、体内のミクロ的な部分から体の表面へと熱流を感じました。その日、私は微熱があり、めまいもしていましたが、その熱流がこの異常な状態を吹き飛ばしてくれました。自分の心性、境界、レベルが向上したとわかりました。

 修煉していると、なぜこのような些細な事が、これほど大きな改善につながるのでしょうか? その理由はこうです。私の息子はとても従順です。言われたことは何でもやり、やらないでと言われたことは一切やりません。そのため、妻と私は長い間、息子にあれこれと命令をしたり、あれこれやらせないことに慣れてしまいました。息子を一衆生として思いやりを持って扱わず、息子の利益を侵害することが当然なことになっていました。今日私は、やっとこれに気づき、この利己心を発見しました。修煉者としてそれは本当に重要なことです! これからは、真に自分を修め、息子に対する態度を根本から変えていこうと決意しました。

 2.列に並ぶ

 最近、明慧ネットは「我々の師父」と題する特別記事を掲載しました。記事では、ある学習者が師父と一緒にビュッフェに行った体験を共有していました。この学習者は食事を取るために急いで列に並びましたが、師父はまったく急がれていませんでした。それを見て、私は自分が列に並ぶ様子を思い出しました。会社で食事をする時も行列に並ばなければならず、仕事を終え会社の門を出る時も列に並び、しかも行列は複数あるのです。私はいつも急いでいるので、早く自分の番が来ることを願っています。時々、昼食のとき配膳する人が誰が一番早く配膳するのかを観察し、以後その人の列に並びます。退勤するときも、寒い冬に外で長時間並ぶことを避けるため、いかに早く自分の番になるか、どの列に並ぶべきかを考えていました。

 師父が、列に並ばれる様子を実際に見ながら、自分の振る舞いを振り返ってみると、恥ずかしく思いました。列に並ぶとなると、どうして私はこんなにも身勝手なのだろうか! 「今後、必ず直します」と思うと、体の悪いものが1つ取れた気がしました。この2つの些細な事を通して、私の心性は改善され、とても幸せです。些細なことのように思えますが、私の私心が取り除かれたのです。

 (編集責任者:リン・シャオ)

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/5/490332.html
 
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