1月から2月にかけて、518人の法輪功学習者が連行・嫌がらせを受けた(2)
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 【明慧日本2025年3月11日】(前文に続く)

 (一、1月から2月にかけて、244人の法輪功学習者(以下、学習者)が拘束されたことが明らかになった

 情報によれば、1月から2月の間に少なくとも244人の学習者が中国で拘束されたとされている。以下に特定の個別事例を要約:

 4. 河北工程大学の引退教授、楊鳳蓮(ヨウホウレン)さん一家3人の拘束

 事件発生日時:2025年2月19日、夜11時。

 場所:河北省邯鄲市。

 詳細:

 楊鳳蓮さん(邯鄲市河北工程大学の引退教授)、その娘杜麗坤さん、娘婿の小馬さんが20人以上の警官によって自宅から連行された。

 楊鳳蓮さんと杜麗坤さんは邯鄲市第三拘置所に、娘婿の小馬さんは第二拘置所に収容された。

 捜索時、警察は事前に許可証を提示せず、第二日目になってから許可証を「補足」したとされる。

 押収された物品:複数のプリンター、大量の現金(公安からの公式な説明なし)。

 5. 山東省、84歳女性の周淑敏(シュウシュクビン)さんが12度目の拘束

 拘束日:2025年1月18日。

 居住地:山東省威海市栄成市成山鎮北曲格村。

 詳細:

 周淑敏さん(84歳)は1999年以降、信仰に関連した理由で12回にわたり警察などによって拘束された。

 最新の拘束では、市場で真相を広めていた際に拘束され、自宅も捜索される。

 自宅から大法書籍、学習資料、再生機器などが押収された。

 子どもたちが警察の脅迫を受け、代わりに署名を強制された。

 6. 上海の法輪功学習者、楊曼曄(ヨウマンエツ)さんが7回目の拘束

 拘束日:2025年1月10日。

 場所:上海市普陀区。

 詳細:

 甘泉派出所の警察によって拘束され、普陀拘置所に収容された。

 「国家の安全を脅かした」という名目で弁護士との面会が禁止されている。

 これまで7回にわたる不当な拘束と迫害されたことがある。

 これらの事例は、中国国内における学習者に対する抑圧の継続を示しており、人権侵害の深刻さを伺わせる内容となっている。

'杨曼晔'

                  楊曼曄さん

 楊曼曄さん(58歳)は、大学卒業資格を持ち、上海市普陀区双山路に在住。彼女は1996年に法輪功の修煉を始め、「真・善・忍」の基準に従って良い人間になろうとしていました。その結果、心身ともに多くの恩恵を受けることができた。勤務先では責任感を持って仕事に取り組み、上司から高く評価され、同僚からも好評だった。

 しかし、中国共産党による法輪功の弾圧が始まった後、楊曼曄さんは人々に法輪功の良さを伝えようとしたため、繰り返し迫害を受けました。楊さんはこれまでに3回の不当な判決と1回の労働教養処分を受け、合計で11年半の冤罪によって拘禁された。

 2000年:不当に4年の刑を言い渡され、上海女子刑務所に収監。

 2006年:1年半の労働教養を言い渡され、上海市女子労働教養所で迫害を受ける。

 2009年10月:強制的に「洗脳班」に入れられ、「転向」を強制される。

 2014年8月29日:普陀区裁判所で不当に懲役4年の判決を言い渡される。同年11月初頭、改めて上海市女子刑務所に連行される。

 2021年9月24日:不当な裁判を受け、さらに2年の刑を科され、罰金8000元を科される。

 刑務所での迫害

 上海市女子刑務所では、楊曼晔さんは長時間禁錮され、手を背中で吊り上げる形で手錠をかけられた。刑務所の警官である仇敏穎(チョウ・ミンイン)、黄慧(ホアン・フイ)、舒萍(シュー・ピン)は、手錠をかけた状態のまま、3本の電気警棒で楊さんの顔と口を感電させ、皮膚が焼け焦げるまで続けた。また、反手で鉄格子に吊り上げた上、口にテープを貼るといった拷問を行なった。さらに、他の受刑者を使って罵声を浴びさせ、暴力を振るわせた。

 また、楊さんは過酷な労働(衣服の製造など)を長時間強いられ、連日徹夜で仕事をさせられた。その過労で体力が尽き、膝が砕けるほどの重傷(粉砕性骨折)を負い、2回の手術を受けた。

 労働教養所での迫害

 上海市女子労働教養所では、警官たちの手によって後ろ手に手錠をかけられた上で長時間吊り下げられる虐待を受けた。

 2013年10月9日の夜には、普陀区公安分局と「610弁公室」の警官が自宅に侵入し、楊曼晔さんを連行し捜索を行った。その際、彼女の夫と息子も不当に20時間近く拘束された。

 7. 黒龍江省の宋会蘭(ソウ エラン)さんが再び司法迫害を受ける

 1月16日、黒龍江省佳木斯市に住む73歳の学習者、宋会蘭さんが、向陽公安分局の十数人の警察により、賃貸住宅から連行された。そして1月17日の夜、警察は家族に連絡し、宋会蘭さんを病院に迎えに来るよう告げた。宗さんは深刻な高血圧を患い、拘置所に入所しなかったため、「保釈(裁判までの3か月間)」という名目で自宅に帰った。

 暴力的な拘束と迫害

 1月16日の午前10時頃の出来事です。向陽分局の治安警察官10人以上が、マスターキーを使用して宋会蘭さんの住宅の鍵を開け、不法に侵入した。警察は何の証明書や捜索証も提示せず、彼女に対して質問禁止を言い渡した。その中の一人は「お前、ここに隠れていたのか」と言って、他の警官たちは彼女を暴力的に引きずり出し、パトカーの中に押し込んだ。

 宋さんは足に障害があり、普段は義足と杖を使用して移動していた。拘束当時、彼女はベッドに座り本を読んでいたが、義足を装着する時間もなく、上着やズボン、靴さえ身につける余裕すら与えられなかった。彼女の衣服は警官に乱暴に引っ張られ、上半身は下着まで露出し、ズボンも腰部分が太ももまでずり落ちていました。そのまま警官は彼女を階段から引きずり下ろし、車まで運んだ。この扱いは惨たらしく、見るに堪えないもだった。

'宋会兰被迫害致残、右脚坏死脱落'

宋会蘭さんは迫害によって右脚が壊死し、切断に至った

 宋会蘭さんは1952年に生まれ今年73歳でかつて乙型肝炎、腎炎、子宮筋腫、リウマチ性関節炎など、さまざまな頑固な病気に苦しんでいた。

 1997年、彼女の健康状態を心配した親切な隣人が試しに法輪功を学んでみるよう勧めた。宋さんは法輪功の講義ビデオを見て、それが人々に良い人間になることを教えるものであることを知り、心がどんどん明るくなっていった。そして、「真・善・忍」の基準に従えば、夫との喧嘩もなくなるかもしれないと考えた。それで自ら「真・善・忍」の基準に基づき行動するようにしたところ、予想もしなかったことに、わずか2か月で全ての病気が薬なしで治った。また、家庭も和やかになり、家族全員が彼女の修煉後の身心の大きな変化を目の当たりにした。

 しかし、1999年に中国共産党が法輪功への弾圧を始めて以来、この素朴で善良な年配者は、信念を守り良い人であろうとする姿勢を貫いたため、これまでに6回の不当な拘禁や3年間の労働教養を強いられた。2011年には、湯原(とうげん)拘置所に連行・不当に拘禁されている間に、内容不明の注射を打たれ、右脚が黒く壊死し、最終的に脱落してしまった。この結果、宋さんは一生涯の障害を負うことになった。

 (続く

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/7/491416.html
 
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