文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年3月26日】私は1996年に修煉を始めて、もうすぐ70歳になります。2021年7月末、共産邪党による大法弟子への迫害「ゼロ運動」の中で、私は強制的に「四書」と呼ばれる書類を書かされました。その後、深い苦しみに襲われ、数日もしないうちにめまいがし、歩くのも不安定になりました。すぐに「厳正声明」を発表し、師父に深く悔い改めましたが、それでも体調は悪化し続けました。不安が募る一方で、「この恐怖心こそが、大法や師父に対する罪となっている」とわかってはいましたが、徹底的に内に向かって探すことはせず、「師父はもう私を見放されたのではないか」と悩み続けていました。
ついに耐えきれなくなり、家族が救急車を呼び、私は病院へ運ばれました。しかし、その間も師父の慈悲なる守護を感じていました。症状は不安定で、良くなったり悪くなったりを繰り返していましたが、ついに20年以上続けてきた「薬も病院も不要な修煉の道」を破ってしまったのです。「私は大法に泥を塗ってしまったのではないか…」と内心苦しみました。検査の結果、CT診断では「左橋梗塞」と出ました。しかし、医師は不思議そうに画像を見ながら、「いつ梗塞したんだ? どこが詰まっているんだ?」と首をかしげました。そして、「これは古いものですね」と言ったのです。誰もが不思議がる結果でした。
私は病院に10日以上入院しました。その間も昼は学法し、夜は煉功し、発正念を続けました。また、同室の二人の患者に三退を勧め、彼らは党・団・隊からの脱退を決意しました。そのうちの一人は、穏やかで優しそうな老婦人でした。彼女は私に、「手術が終わって病室に戻ったら、私の耳元で『法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!』と唱えてくれますか?」と頼んできました。私もまだ恐怖心がありましたが、彼女がまさに手術台に向かおうとする姿を見て、大法弟子としての使命感と慈悲の心が、師父の加持によって湧き上がりました。その結果、彼女の手術は大成功を収めました。もう一人の患者は、手術を終えたばかりで、息が荒く意識も朦朧としており、危険な状態でした。私は彼のそばへ行き、手を口元に添えて、小声で「法輪大法は素晴らしい! 真善忍は素晴らしい!」と唱えました。すると、その言葉が終わるや否や、彼の呼吸が穏やかになっていったのです。その場面を見ていた老婦人は、私の後ろで親指を立て、「あなたは本当に善良な人ね」と微笑みました。これこそ大法の奇跡でした。
病院での出来事を通して、私は師父の慈悲なる守護を強く感じました。そして、「もう病院にいるべきではない」と悟りました。ある朝、看護師が点滴をしようとしましたが、2時間経っても一滴も入らなかったのです。その時、医師がやってきて、「退院するつもりなんでしょう? 今すぐ手続きをしなさい」と言いました。こうして私は退院しました。入院中は歩くのもおぼつかず、めまいがひどかったのに、病院を出た瞬間、体が軽くなり、歩くのも楽になりました。
そして、退院診断書に大きく書かれた「脳梗死(塞)」という文字を目にしたとき、まるで雷に打たれたような衝撃を受けました。この「死」とは、まさに「私」ではないでしょうか。修煉の道を歩んできた長い年月、数え切れないほどの困難に直面し、何度もつまずいてきました。その度に乗り越えられなかった心性の関門は、すべて「私」に執着していたからではないでしょうか?
師父は、「利己は今までの宇宙の根本的な属性であり」(『各地での説法五』「二〇〇四年米国西部法会での説法」)と説かれました。
まさに、この「私」という心が、私を根本から縛り付けていました。私は本当に「師を助け、衆生を救う」ために修煉していたのでしょうか? それとも、自分の利益や安全のために修煉していたのでしょうか? だからこそ、魔難に直面したとき、師父と大法を信じ切ることができず、恐れの心に囚われ、試練を乗り越えられなかったのです。その結果、背信の道へと足を踏み入れ、「病業」の幻相まで現れてしまったのです。これは本当に深刻な教訓でした。もし師父の慈悲なる救済がなければ、私は本当に「脳梗塞(私に執着して塞がれる)」になっていたでしょう。真に師父と大法を信じ、自己を捨て去り、大法と完全に同化することでのみ、「無私無我で、他人を先に、自分を後に」という大法弟子の境地へと到達できるのです。
私の知っている多くの同修たちは、真相を伝えた後に何度も迫害を受け、時には拘束されることもありました。しかし、彼らは決して動揺せず、師父と大法を信じ、邪悪には一切協力しませんでした。近年は邪悪の妨害が強まり、真相を伝えたり資料を配ったりする機会が減っているのは事実です。ある若い同修は、「今は監視カメラが多すぎて、『三つのこと』をすべてやるのは難しい。二つしかできない」と言っていました。しかし、年配の同修たちは、監視カメラのある環境下でも、毎日街へ出て真相を伝え続けています。それこそが、本当の「無私無我」ではないでしょうか。