文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年3月26日】私は法輪功を学び始めて2年足らずの若い大法弟子です。ここ数カ月、明慧ネットを頻繁に閲覧するようになり、同修の記事や体験談から多くの恩恵を受けていると感じています。以下に私の少しばかりの体験を記しますが、至らない点があれば同修のみなさんのご指摘をお願いします。
新型コロナウイルスの流行が始まった頃から、私はVPNを使って海外のウェブサイトを見るようになり、それが私にとって新しい世界を開きました。私は思春期の頃から中国共産党(以下、中共)を嫌い、自由を好み、中共は国民を管理・支配しようとする傾向があり、裏では邪悪なことをしているに違いないと思っていました。そのため、法輪功修煉者が運営するメディアが中共の悪事を伝えているのを見た時、私は信じましたし、修煉者は勇敢だと思いました。より多くの修煉者の番組を見るうちに、修煉者は善良で、理性的で、清廉で、人々に真相を伝えようとしていることに気づきました。修煉者たちの学識には敬服させられるものがあり、信頼できると感じ、私は思わず心の中で「法輪大法は素晴らしい」と叫びました。
その後、修煉者が作成した歴史番組から、私は中国の伝統文化を改めて認識し、その背後には「儒教、佛教、道教」という三つの主要な思想体系があることを知りました。そこで、私は再び孔子と老子の著作を手に取りました。数年の時を経て人生経験を積んだ後、再び老子の『道徳経』を読んだ時、ある箇所を読んでいると涙が溢れ、まるで自分のことが書かれているかのように感じました。その頃から、私は時々坐禅をするようになり、次第に坐禅の中で何も目的を持たない状態こそが本当の自分であると感じるようになりました。しかし現実の世界では、私はますます辛くなり、周りの人々が様々な目的を持っていることに耐えられなくなりました。自分は何をしていたのか、何をしたのかが分からず、まるでただ惰性で生きており、体面を保つためだけに全てが維持されているかのように感じました。そんなある日、私は「もうこんな風には生きてはいけない、いっそ全てを捨てて修煉しよう」と決意しました。ちょうどその頃、番組の中で修煉者が『轉法輪』という書籍には多くの天機が示されていると言っているのを聞き、インターネットで『轉法輪』を読み始めました。そして、その衝撃的な内容に魅了され、大法の修煉に入りました。
修煉を始めてしばらくすると、師父が様々な方法を通して私に、法を正す時期の大法弟子には使命があることを告げているように感じました。そこで、私は人々に真相を伝え始めました。ある時、資料を配布した後、私は派出所に連行され、そのまま拘置所で1カ月間過ごしました。
当時、私は旧勢力の迫害についてほとんど理解していませんでした。振り返ってみると、旧勢力が私を迫害した主な理由は2つあったと思います。1つは、苦しいと感じている時でも私はコーラを飲んでおり、コーラが一種の中毒のようになっていて、強い執着があったにもかかわらず、厳粛に受け止めなかったことです。2つ目の理由は、仕事において心性の基準に従って厳格に自分を律することができていなかったことです。当時、私は新しい仕事を見つけ、スーパーマーケットで顧客に商品を配達する仕事をしていました。それは出前の配達と似ており、携帯電話で注文を受け、電動バイクで配達する仕事でした。目的地に近づいた時、注文が時間切れになりそうな場合、リーダーから電話があり「先に『配達完了』をクリックしてから配達してください」と言われることがありました。時間切れになるとステーションが罰金を科され、それが多くなるとリーダーは多くのプレッシャーに直面するからです。商品を届けるべき目的地までまだ遠く離れているのに、時間切れになりそうになるとリーダーから電話があり、ショートメッセージの認証コードを聞かれ、彼が私のIDでログインして何か操作をし、正常に完了したように表示させ、先に顧客に電話して謝罪してから配達するように言われることがありました。私はその通りにしました。まだ完了していないのに、注文管理システムに完了したと伝えたのです。この行為は道徳的に正しいのでしょうか? 私はリーダーと対立することを恐れ、面倒なことを恐れ、自分がいつも制限時間内に配達できないことを認めることを恐れ、良心に従った行動ができませんでした。その中には多くの執着心がありました。全体として、これらの2つの理由は、結局のところ、修煉を真剣に受け止めず、あらゆることにおいて心性の基準に従って厳格に自分を律することができなかったことに起因します。
拘置所に収容された直後の時期、比較的意識がはっきりしていた日々の中では、時間があれば私は必死に『轉法輪』に説かれている法を思い出し、それを記憶し、その後で法に従って行動しようとしました。すべての物品の分配において、私は「求めずとも自ずから得る」(『シドニー法会での説法』)という考え方で対処しました。普段、監房にいる人たちと接する時には、自分の情が放下できているか、人に対して慈悲の心を持っているかを常に確認しました。作業、当番、寝床の割り当てにおいても、1、2度を除いて、自然に任せるという心構えでいました。その後、眠気と寒さに苦しむ日々の中では「忍耐力と苦しみに耐える力にかかっています」(『轉法輪』)という一念を強く持ち続けました。その間、弁護士は私に「手紙を書いて過ちを認めれば減刑される」と伝えてきて「看守」も私に、法輪功の修煉を放棄する誓約書を書くようにと話を持ちかけてきました。私の両親は心配と恐れから、私に手紙を書いて過ちを認めるように言いました。私は師父が説法の中で説かれた法を大体覚えており、一部の修煉者は捕まると「外の世界から隔絶(かくぜつ:へだたり、掛け離れること)されたその場所が、修煉を続けるための場所であると考え、その場所から出ようとせず、邪悪な者たちを恐れさせている」ということでした。私はそこまで高い境地には達していませんでしたが、それでも、もう出ないでおこう、これからの修煉の道はここで続けようと考えました。当時、私は非常に確固たる決意を持っていました。中共もそう長くは続かないだろうと思っていました。それに、私が何を認めるというのでしょうか? 何も書きませんでした。案件に関する供述を聴取する時、私は『独立宣言』の人権に関する1節を書き記しました。同じ監房の人たちがそれを見て、ちょっとした騒動と喜びが起こり、法輪功を修煉したいと言う人も現れ、思いがけず小さな盛り上がりを迎えました。最後に、おそらく私が修煉を始めてからの時間が短く、試練があまり大きくなかったため、暗い牢獄の中で、ほぼ全力で法に従って修煉し、出ようとは考えず、正念が比較的に十分であったため、1カ月後に私は釈放されました。
2024年6月、私が他県で働いている時に、同僚に法輪功を修煉していることを伝えたため、組長から退職勧告を受け、仕事を失いました。警官も私の両親の家に行き、私の状況を聞き取りました。振り返ってみると、私自身にもうまくできなかったところがあったかもしれません。例えば、職場において名誉や地位を重視する心が芽生え始めていたように感じます。あの堕落した社会環境の中で、逆に善い人であろうとすることは、私にとって非常にプレッシャーでした。さらに、人々に真相を伝え、救い済度することに関しても、一時的に私は非常に大きなプレッシャーを感じ、少し萎縮してしまい、いくつかのことに対して真剣に向き合えなかったのかもしれません。一方で、当時は正念を発する方法をまだ理解していませんでした。仕事を失った後、私は師父の新しい経文『法難』と、明慧ネットに掲載されている正念に関する記事を真剣に読みました。
その後、私は再び法輪功迫害の真相資料を配布し始めました。再び資料を配布する時、私は非常に緊張しました。当時、私は恐怖心を克服し、修煉者としての使命を果たす必要があると考え、最初は1部だけ配布しました。2度目に数部配布したのですが、翌日、私が資料を配布した場所の近くを再び通りかかった時、2人の公安職員が通行人を呼び止めて尋問しているのに遭遇しました。その後の数日間、その村では公安職員のグループが調査に入っているようでしたので、私は大きなプレッシャーを感じました。しかし、私は諦めず、時には他の人が居住している家のドアノブに挟んだりしました。時には、人通りの少ない公園内の休憩所や、公共の場所に設置されたベンチの上に置き、折りたたんで石で押さえ、まるで縁のある人に残された宝物のようにしました。観察したところ、ほとんどが閲覧され、持ち去られるものも多かったのですが、このような公共の場所に物を置く方法はあまり良くないかもしれません。私もその点について考えました。ある日、地方政府の職員や公安職員が、私が住んでいる村の各戸を訪問し、賃貸住宅の入居者の登録を始めたため、私は夜中にプリンターを持ってその村から引っ越さなければなりませんでした。私は貯蓄がほとんどなく、インターネット登録の必要がない非常に質素な場所を見つけて住むことにしました。そこは狭く、蚊が多くて暑く、私はそこでは何をするのにも苦痛に感じました。食事も苦痛、睡眠も苦痛、トイレに行くのも苦痛、仕事探しもなかなかうまくいかず、時には一晩中眠れないこともあり、しばらくの間、どうやって日々を過ごせばいいのか本当に分かりませんでした。外に出て静かな場所で煉功する時だけ、私は少し心が安らぎました。
最近、日雇いの仕事をしている場所で、とても汚いトイレでシャワーを浴びました。お湯が体にかかった時、とても気持ちが良く、もう少し浴びていたいと思いました。その時、私の頭の中に1つの考が浮かびました。それは、私の修煉の縮図のようだ、ということでした。人間界という最も汚れた場所で、私は常に少しの安逸や温かさに執着し、そこに留まろうとしている、ということでした。私は水温を下げ、シャワーを終えて外に出ました。私は修煉の道をたゆまず精進し、揺るぎなく歩んでいきたいと願っています。私たち皆が、新しい宇宙へ行けることを願っています。