【明慧日本2025年3月27日】山東省青島市在住の72歳の法輪功学習者・魏春栄さんは、2024年1月に即墨市裁判所から再び不当に懲役3年6カ月の判決を言い渡され、同年6月に済南刑務所へ移送されて迫害を受け続けている。
魏さんは、法輪功迫害の事実を人々に伝えるえたため、中共警察によって何度も連行され、拘禁された。これまでに不当に労働教養を科され、さらに3度にわたって不当な判決を受け、その累計刑10年以上拘禁された。また、魏さんの夫や娘も、中共による迫害の影響を受けて無念の死を遂げている。
幸運にも大法に出会って生まれ変わる
魏春栄さんは1953年9月に生まれ、元々は黒竜江省ジャムス市桦南県の出身で、小学校2年生の学歴しかなかった。彼女の人生は多くの苦しみと困難に満ちており、特に病気による苦しみが多かった。前庭部胃炎、貧血症、婦人科の病気、胆囊炎、心臓病、重度の不眠症、神経症など、10種類以上の病気を患い、長期間にわたって薬を飲んだり、注射を打ったり、点滴を受けて命を繋いでいた。その後、胆のうの痛みが耐えがたく、眠れない日々が続き、大量の薬を服用することになった。利胆薬は1回4錠のところを8錠、睡眠薬は1回1錠のところを3錠、点滴の瓶が院内に山のように積まれ、子どもたちはその量を外に運ぶのに苦労した。しかし、彼女の体調は一向に改善せず、ますます悪化していった。最終的には、2003年9月にジャムス第2病院で胆のう摘出手術を受けることになった。当初、医師は手術が危険だと判断し、彼女が手術台から戻れない可能性を恐れていたが、魏さんは「手術台で死んでもあなたたちを責めません」と何度も頼み込み、ようやく手術を承諾されていた。
手術後、魏さんは依然として痛みが耐え難く、眠れない日々が続いた。医師は肝臓にも問題がある可能性があるが、彼女の体調があまりにも悪く、虚弱すぎて、もう手の施しようがないと言った。その後、魏さんの体調はますます悪化し、全身がむくみ、顔が腫れあがって鼻と同じような高さになった。魏さんは輸血によって命を繋いでいる状態だった。彼女の医者である二番目の義理の兄も「もう長くは持たないだろう」と言った。魏さんは何度も自殺を考え、睡眠薬で命を終わらせて痛みから解放されることを望んだ。しかし、最終的には子どもたちのために、苦しみを耐え抜き、頑張り続けることを選んだ。薬代だけで十数年で十数万元(200万円以上)を費やし、何の効果もなく、体調はますます悪化し、毎日病気の苦しみに耐えながら生活していた。
2004年の年末、魏さんは突然、誰かから渡された法輪功の小冊子を思い出し、それをテレビの上に置いていたが、今まで一度も読んだことがなかった。生きる希望を求めて、その小冊子を開いてみると、その中に病気を治し、命を救ったという小さな物語に引き込まれ、彼女は生きる希望を見出し、生きたいという渇望を抱き、試してみようという気持ちで誰かに頼んで法輪功を学び始めた。功法を練習してしばらくすると、彼女は眠れるようになり、何でも食べられるようになった。徐々に彼女は自分で立ち上がり、料理ができるようになり、農作業をし、山へ行って薪を背負うこともできるようになった…。病院で治療できなかった病気を、法輪功を修煉して治した。それ以来、魏さんは真剣に学法し、功法を練習し、心を修め、善を行い、真・善・忍に従ってより良い人になろうとした。もともと性格がせっかちで、気性が荒く、誰にも言われたくない性格の魏さんは、次第に温和で優しくなり、物事にこだわらず、愚痴を言わなくなり、周りの人々は彼女の前例のない変化を目の当たりにした。
真相を伝え続けたため、魏春栄さんは中共に何度も連行・拘禁
修煉を始めて以来、魏さんは薬を一粒も飲まず、注射も一度も受けたことがなかった。そのため、魏さんは無私で、空いている時間を利用して法輪功の素晴らしさと迫害迫害の事実を世の中の人々と共有し、真相を理解してもらい、中共の邪悪な組織から脱退するよう呼びかけ、天が中共を滅ぼす時に選択肢を持てるようにと願った。しかし、魏さんは中共に何度も迫害された。
2004年12月17日、魏さんは樺南林業局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行期間。以下、国保)の警官により連行され、15日間不当に拘束された。2005年8月9日、魏さんは樺南県国保の警官に連行され、約70日間不当に拘禁された。
2007年8月17日、魏さんは樺南県国保と地元の派出所の警官らに連行され、家宅捜索を受けた後、ジャムス市の労働教養所に不当に送致され、1年6カ月の労働教養を受けた。2013年、魏さんは息子の家がある山東省青島市に行き、孫の世話をしていた。魏さんは買い物や暇な時間を利用して法輪功迫害の事実を世の人々に伝え、これが理由で中共の関係者に4回連行され、拘禁された。2013年8月27日、魏さんは街で迫害の事実を伝えていたところ、青島市城陽区の正陽路派出所の警官らに連行され、家宅捜索を受け、不当に10日間拘留された。
2015年10月25日、魏さんは青島市城陽区の軍人が住む住宅地で法輪功迫害の実態が載せていたDVDを配布していた際、ある軍官に通報され、青島市城陽区の正陽路派出所の警官に連行され、不当に即墨普東留置場に収容された。2017年1月23日、城陽区裁判所によって不当に2年の判決を受け、控訴後、青島市中級裁判所により棄却された。2017年5月18日、魏春栄さんは山東女子刑務所に送致され、迫害を受け、同年10月25日に解放された。
2018年5月4日の午前、魏さんは青島市の街で法輪功迫害の事実を伝えていた際、正陽路派出所の警官に連行され、青島市即墨普東留置場に収容された。2018年12月12日、魏さんは青島即墨市裁判所で不当に裁判を受け、その後、懲役3年4カ月の判決を下され、2019年4月18日に山東女子刑務所に送致され、迫害を受けた。魏さんは2021年8月4日に解放された。
2023年3月2日、当時72歳の魏さんは、街で市民に三退を呼びかけて平安を祈願していた際、共産党の宣伝に騙されている人に通報され、正陽路派出所の警官に連行され、青島市即墨第二留置場に収容された。魏春栄さんは一時的に断食して迫害に抗議した。2024年1月11日、魏さんは即墨市裁判所で不当に3年6カ月の判決を受け、1万元(約20万円)の罰金を科された。魏さんは即座に控訴したが、中級裁判所はその不当判決を維持し、同年6月に魏さんは山東女子刑務所に送致され、迫害を受けた。
夫と娘は迫害の圧力の中で悲惨に命を落とす
魏春栄さんの夫は、妻が繰り返し迫害を受けていたことで深刻な打撃を受けた。魏さんが不当に労働教養を受けていた期間、夫は精神的に崩壊し、脳出血を起こした。病院に2カ月以上入院したが、なんとか命を取り留めた。彼は妻を心配し、想い続けるあまり、精神的なプレッシャーが大きすぎて、1年後に心臓病が再発し、4つの心臓ステントを入れる手術を受けた。その後、自立した生活ができない状態になった。子供たちはみんな働いており、仕方なく父親を福祉施設に入れることになった。毎月の費用は7、8千元(約15、16万円)だった。夫は常に心の中で願い続けていたことがあった。それは、妻・魏春栄さんに再び会うことだった。730日以上の日々の苦しみの末、ようやく魏春栄さんが冤罪から解放されたその日を迎えることができた。魏春栄さんは夫を福祉施設から家に連れて帰り、半年間の細やかな看護のおかげで、夫は自立できるまで回復した。
しかし、わずか1年余り後の2018年5月、魏さんは再び連行され、3年以上の不当な判決を受けた。夫は再び福祉施設に送られた。夫は再び困難な状況に直面し、毎日涙を流しながら苦しみ、妻が帰るのを待ち続けた……ついに、妻が3年以上の冤罪から解放される日を迎えることができた。魏さんは夫を再び家に迎え入れ、細心の看護をした。その時、夫はすでに寝たきりで、痩せ細り、流動食で命をつないでいる状態だった。夫は人生の最後の時に妻と再会することができ、ようやく安心した。そして、百日後にこの世を去った。
これらの年、魏さんの子供たちは、中共による母親に対して加えた迫害の圧力に耐えきれず、心身ともに疲れ果てていた。魏さんの長女は、2018年秋に精神的なストレスが大きすぎて脳出血を起こした。その後、徐々に回復した。
2021年9月、魏さんは3年以上の冤罪から解放され、帰宅した。独身の長女はローンで家を購入し、母親と一緒に過ごし、この人生を共に歩むことを決意した。しかし、中共の邪悪な手が再び襲いかかり、わずか1年余りで、70代の母親は再び迫害を受け、罪に陥れられた。母親の状況にずっと不安を抱えていた長女は、ついに耐えられなくなり、精神的に崩壊し、うつ病を発症した。そして、魏春栄さんが済南刑務所に連行されてから2カ月後、48歳の長女は悲惨なことにこの世を去った。
このように、幸せな家庭が中共の迫害によって、家族がバラバラになり、命を奪われる結果となった。
結び
明慧ネットの「母の日に母親たちの悲惨な遭遇について」という記事の1節を借りて、以下のように深い哀悼の意を表する。「中共による凌辱と拷問を受け、貴重な命を奪われた母親たちへの哀悼の念! この非人道的で、残酷な迫害が早期に終わることを祈る。現在もなお囚われている母親たちが早く家に帰り、家族と再会できることを祈る。人類を害する中共の悪魔が早く解体され、滅亡することを祈る。そして、全人類が中共による残虐な迫害を受けている、命の危険にさらされている母親たちに関心を持ち、助けの手を差し伸べることを祈る」