【明慧日本2025年4月4日】広東省茂名市の法輪功学習者・廖玉英さん(享年87歳女性)は、法輪功を学んでいることを理由に、中共当局から絶え間ない嫌がらせを受けていた。2024年12月に、廖さんは亡くなった。
法輪功は世界の人々に親しまれる精神修養法であるが、1999年以来、中国共産党(以下、中共)によって迫害されている。廖さんが法輪功を学ぶ前は、胃病で20年以上苦しみ、様々な治療と大量の薬を飲んでも治らなかった。1998年、廖さんは法輪功を学び始め、全ての病気が完治し、法輪功への感謝の気持ちでいっぱいだった。
しかし、1999年7.20以降、廖さんは中共の関係者に身柄を拘束され、家財を押収され、労働教養処分を科され、洗脳班に送られたことがあった。さらに派出所の警官や居民委員会の関係者に嫌がらせを受けた。
廖玉英さん |
廖さんに対する過去の迫害
2000年6月、廖さんは法輪功を学ぶ権利を求めて北京へ行ったが、610弁公室の職員に茂名に連れ戻され、電博第二留置場に15日間、拘留された。
2000年11月に、廖さんは2度目の請願ために北京へ行き、連行された。610弁公室の職員に連れ戻された後、廖さんは2年間の強制労働を命じられた。廖さんはまず11カ月間、電白第二留置場に拘禁され、その後三水労働教養所に移送された。
廖さんは、法輪功を誹謗中傷するビデオを見ることを拒否したため、労働教養所の看守は廖さんを拷問し、危険な高血圧症に陥らせた。看守は廖さんが拘禁中に死亡することを恐れ、労働教養所に4カ月間拘禁した後、廖さんを釈放した。
廖さんは2003年の夏に再び連行され、茂名市洗脳班に1週間拘留された。
2004年に観光地で法輪功について人々に話したため、廖さんは警察に通報され、連行された。夕方、家族が派出所に出向き釈放を要求したところ、廖さんは釈放された。
2017年11月13日、大衛派出所の4人の警官が廖さんの家のドアをノックした。10分経っても誰もドアを開けなかったため、警官は廖さんのドアに貼られていた法輪功に関する情報が書かれた連句を剥がした。廖さんは外に出て止めようとしたが、無駄だった。
2019年7月9日、電白区国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の少なくとも10人の警官が廖さんの自宅に押し入った。警察は廖さんの家の隅々まで家宅捜索し、法輪功に関する多くの書籍を押収した。
2021年8月12日、廖さんは法輪功について人々に話したとして再び連行された。警察は廖さんの家を家宅捜査し、法輪功の書籍や資料を押収した。廖さんはその日の午後9時に釈放された。
2022年4月21日、居住委員会の職員に率いられた一団の警察官が廖さんの自宅を訪れた。廖さんは警察の入室を拒否したため、警察はペンチでドアをこじ開けて侵入した。警察は廖さんの家を家宅捜索し、法輪功の書籍、法輪功の創始者の写真、真相紙幣を押収した。廖さんが林頭派出所に連行された後、数人の警官が留まり、廖さんの玄関の鍵を押収した。
警官らは2022年6月9日に再び廖さんの家に押し入った。廖さんは不在だったため、警官は玄関に新しい鍵を取り付け、鍵2つを自分たちで保管し、残りの2つを隣人に渡して廖さんに渡させた。廖さんはさらなる迫害を避けるため、家を離れて暮らしている。
健康状態の悪化と全身の痛みのため、廖さんは1人で生活することができず、7月4日に帰宅した。数日休んだ後、ようやく再び歩けるようになった。しかし、1週間後の7月11日に警官が現れ、廖さんを縛り上げて連行すると脅した。廖さんは再び家を離れて暮らすことを余儀なくされた。
2023年1月20日、警官らが再び嫌がらせにやって来たとき、寝たきりの状態だった廖さんを警官は連行しようとしたが、症状の重さを理由に断念した。
3月のある日、数人の警官が再びやって来て、訴訟書類に署名するために廖さんを法廷に連れて行こうとした。廖さんは何が起こっているのか理解できず、泣き出した。その泣き声を聞いた近所の人たちが集まってきて、中で何をしているのか様子を見ようとしたので、警官はすぐに立ち去った。
その2日後、警官は廖さんの息子に電話をかけ、廖さんに代わって5000元(約10万円)の罰金を支払うよう命じたが、警官が何度呼び出しても息子は従わなかった。
4月12日、廖さんの案件に関連資料は茂南地区検察庁に移送された。
警官は4月20日に再び廖さんの姑の家のドアをノックしたが、廖さんは入れなかった。
4月21日の朝、廖さんが外出した後、警官は近所の人に、廖さんについて尋ねた。
廖さんが帰宅した直後、警官らが再びやって来て、訴訟書類に署名するために法廷に行くよう求めたが、廖さんは行かないと主張した。警官による絶え間ない脅迫と迫害によってプレッシャーが高まるにつれ、廖さんは足に激しい痛みを感じ、ベッドから起き上がれなくなった。
4月25日、茂南区検察庁の数名の職員は、廖さんの息子を強制的に自宅に連れて行き、廖さんが法輪功の書籍を所持した理由で、母親の代わりに訴訟書類に署名するよう強制した。検察官は廖さんの手をつかんで書類に指紋を押すよう命じ、自宅で服役することを許可したと述べた。文書によれば、廖さんが本当に判決を受けたのか、それとも起訴されて裁判を受けているのかは分からないという。
2023年8月11日に、林頭鎮派出所の警官らと茂南区検察の職員は、再び廖さんの自宅を訪れ、廖さんはドアを開けることを拒否した。そこで警官らは書類を届けようとしたが、廖さんが拒否したため警官たちは立ち去った。
8月15日午後1時頃、林頭鎮派出所の警官らが廖さんの自宅を訪れ、救急車も待機させた。ドアを開けようとしたが、結局彼らはペンチで錠前を破壊し、廖さんに強制的にドアを開けさせた。そして、警官らが押し入り、外で待っていた救急車に廖さんを運び込んだ。
警官はまず、廖さんを身体検査のため病院に連れて行ったところ、廖さんの最高血圧は216mmHgであることが判明し、高血圧と歩行困難のため、茂名市第一拘置所は廖さんの入所を拒否した。
警官は廖さんを再度病院に連れて行き、再度検査を行ったところ、血圧が依然として非常に高いことが確認されたため、拘留することができず、派出所に連行し指紋を採取した。
警官が廖さんを家に連れ帰ったのは午前2時だったが、警察は、廖さんに一日に一杯だけのおかゆを与え、翌日また来ると脅迫した。
警官らは廖さんを拘置所に強制的に拘留する試みが失敗した後、2023年8月15日、茅南区裁判所は廖さんに対して「居住監視」という違法な強制措置を取り、電白区警察に執行を求めた。
2023年8月30日、茅南区裁判所と林頭派出所の4人が再び廖さんに嫌がらせをしに来た。
12月25日午前10時~12時半まで、茅南区裁判所は廖さんに対して裁判を行なった。法廷には傍聴席が30~40席あったが、傍聴を許されたのは無名の男性1人だけだった。
廖さんは法廷で、法輪功を学ぶことは犯罪には当たらないと主張した。両弁護士は、李さんは無罪だと主張した。弁護士は、検察は廖さんがどのカルト組織に参加していたか、またどの法律や規則に違反していたかを証明する証拠を一切提示していないと指摘した。弁護士はまた、85歳の廖さんは基本的に学校に通ったことがなく、法律の施行を妨害する権限も能力もなかったと指摘した。
数人、数10人にも及ぶ大規模かつ長期にわたる嫌がらせは、廖さんの心身に大きな損害を与えた。廖さんの体は回復することなく、2024年12月に亡くなった。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)