四川省の王忠瓊さん、死亡した当日も警官から嫌がらせ
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 【明慧日本2025年4月12日】四川省什邡市の法輪功学習者(以下、学習者)である王忠瓊さんは、この26年間、中国共産党(以下、中共)によるさまざまな迫害を受けてきた。長期的な尾行、監視、嫌がらせ、連行、家宅捜索、拘留、洗脳班での拘禁、不当判決、年金の剥奪などである。長期にわたってこのような経験をしてきた王さんは、重病を患い、今年3月8日(あるいは9日)に85歳で死亡した。王さんが死亡した日の朝にも、地元派出所の警官が王さんの家に「回訪」(訳注:挨拶のための訪問)という名目でやってきて嫌がらせをしていた。

王忠琼

王忠瓊さん

 王さんは1940年1月16日生まれ、什邡市馬井鎮の馬井病院の元薬剤師の女性。在職中の王さんの勤務ぶりは真面目で、業務上の多くの経験を積み、薬剤師試験に合格した。

 法輪功(ファールンゴン、法輪大法ともいう)を学ぶ前の王さんは、体が弱く、重い血小板減少症、貧血症、胆嚢炎などに苦しんでいた。1980年代半ばになると、病状の悪化で仕事ができなくなり、自宅療養のために早期退職をした。

 いくつかの気功を学んだことがあったが、病状の改善は見られなかった。薬を飲み、手術を受け、祈祷なども試したが、病は治ることはなかった。王さんの夫・龔学良さんの方も、血液の粘度が高くなる病などを患っていた。

 ところが、王さん夫妻が1997年3月2日に法輪功を学び始めると、しばらくしてふたりとも全ての病気が消えたという。健康になった夫妻は、家族同士も、また近隣の住民とも睦まじく、幸せに暮らしていた。

 当時、王さんは、地元の法輪功の煉功でボランティアで世話人をしながら、法輪功の理念である真・善・忍の基準に従って、善良でより良い人になることを目指していた。

 1999年の7.20、当時の国家主席・江沢民は、学習者が急激に増加したため、その人数の多さを恐れ、法輪功に対する迫害を開始した。それでも王さんは善の心を持って真実を人々に伝え続けた。しかしその結果、中共からあらゆる残酷な迫害を受けてきたのである。

 以下は、王さんが生前受けた、迫害の一部である。

 1999年7月19日午前3時頃、王さんは、全国の法輪功ボランティア世話人と同様に、中共の警官に家宅捜索され、丸一日拘束された。この後も、王さんは繰り返し家宅捜索・連行・拘留を受け、洗脳班に入れられ、経済的迫害も受けた。懲役4年の(冤罪による)刑に服したことがあり、「修煉したい」という一言だけで15日間拘留されたこともある。王さんの家族も、同じく法輪功を学んでいるため迫害を受けた。

 2005年6月6日、王さん夫妻はともに、地元の「610弁公室」と国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関。以下、国保)の警官らの画策により路上で連行され、徳陽市の東湖山洗脳班に入れられた。東湖山洗脳班は、刑務所のような場所で学習者を世間から隔離し、親族との面会を禁じていた。

 王さんはそこで3カ月以上拘禁され、その間、数日間連続で睡眠を奪われる、24時間大音量の法輪功に対する誹謗中傷のビデオを見せられる、暴言を浴びせられる、侮辱される、脅迫される、などの酷い迫害を受けた。

 そのため、王さんは連行された時の健康な身体から、拘禁中の迫害によって精神崩壊、血尿、身体機能障害、高血圧、重度の不眠症を患う身体となった。什邡市「610弁公室」の易珍恵らは、王さんの信念に反する意思の表明を強制し、自殺するよう強要もした。このように王さんは洗脳班の中で3カ月以上迫害され、心身に深刻なダメージを受けた。

 それ以来20年間、東湖山洗脳班でのことを話すたびに、王さんはその苦しみの記憶により毎回涙を流した。

 王さんの娘・龔星燦さんは徳陽市郵便局職員で、迫害が開始された後も法輪功を学び続けていた。そのため、当局の警官に数度にわたり拘束され、うち二度は労働教養を科され、洗脳班には三度入れられた。この五度の拘禁で迫害を受けた結果、身体に障害を負った。2015年6月、龔星燦さんは法輪功迫害を引き起こした江沢民を実名で告訴したため、警官に連行された。このときは運よく逃れたものの、それ以来、家に戻れず放浪生活を余儀なくされている。

 2005年6月5日に娘・龔星燦さんへの迫害は始まった。このとき龔星燦さんは、職場から天山路派出所の警官に密かに連行され、広漢の禾興洗脳班に送られた。警官は家族に何の通告もしないまま龔さんを3カ月以上拘禁した。

 このとき龔星燦さんは 「転向」を拒否したため、資中楠木寺労働教養所に2年間収容され、迫害により障害を負った。2年間の労働教養期間が終わるときには、龔星燦さんは徳陽市の「610弁公室」と勤め先の職員によって教養所から連れ去られ、徳陽市郵便局黄許郵便支局の旧敷地にある古い寮に監禁されることになった。

 2007年10月11日、娘の行方を探していた王さん夫妻は徳陽市郵便局に駆け込み、娘である龔星燦さんの行方を尋ねた。このことで、翌日、王さんは什邡市公安局国保の警官に連行・拘束された。2008年12月になると、王さんは什邡市裁判所から懲役4年の判決を言い渡され、四川省簡陽市の養馬河刑務所に送られた。

 2021年10月と11月、王さん夫妻は二度にわたって地元警官に路上で連行され、家宅を捜索された。什邡市検察庁の黄斌検事は、王さんの自宅からの押収物に、法輪功について書かれたカードと法輪功の書籍があったという理由で、王さん夫妻を起訴した。

 2022年7月8日、王さんは什邡市裁判所から懲役1年6カ月と罰金8000元の判決を受けた。夫の龔学良さん(現在88歳)は1年間の監視処分の判決を言い渡され、5000元の罰金を科された。この監視処分の期間中、警官は毎月王さんの家にやって来て嫌がらせを重ねた。

 2024年3月、王さんの年金の支給が違法に停止された。2024年4月中旬、王さんは什邡市の人力資源と社会保障局、元の勤め先である病院、什邡市衛生局に「法に基づき、申請者の年金を全額、期限内に支給するよう申請する」という申請書を提出した。しかし、申請書を提出した翌日、心身とも疲労困憊した老齢の王さんは重篤な病状が現れ、飲食も睡眠もままならなくなった。したがって年金の支給再開の法的手続きは中断せざるを得なかった。

 2025年3月8日(あるいは9日)に85歳の王さんは死亡した。死亡した後、王さんの目からは、赤い血の涙が流れ落ちた。

 王さんが死亡したその日の朝にも、什邡市芳亭派出所の譚兵と楊という2人の警官が王さんの家にきて、王さんに嫌がらせをしていた。

 王さん一家が受けた迫害の事実の数々については明慧ネットの記事を参照。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/30/492153.html
 
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