【明慧日本2025年4月15日】遼寧省葫蘆島市の法輪功学習者(以下、学習者)・宮昌蘭さん(73歳女性)は4月2日、連山区公安局の警官に不当に連行され、現在、葫蘆島市の留置場に不当に拘束されている。
宮さんは数年前に同市連山区裁判所から懲役3年の不当判決を受けた。その際、警官は宮さんの健康状態が悪く「収監」できなかったため、彼女を「指名手配犯」としてリストに挙げた。
指名手配犯となっていた宮さんは、PCR検査を受けようとした場所で警官に見つかり、2022年6月から7月にかけて興城市の留置場に拘禁された。だが、健康診断の結果が拘禁に適さなかったため解放されたものの、半年間、監視されることになった。現在、連山区裁判所は「本件を終結させる」として連山区公安局の警官に、宮さんを今年4月2日に再び連行させた。
宮さんは葫蘆島亜鉛工場の元職員で、遼寧省葫蘆島市龍港区に住んでいる。宮さんは以前、心臓病、頻繁な失神、心筋虚血、胃病、リウマチ、長期に及ぶ便秘、血便などの慢性的な病気に悩まされ、非常に苦しんでいた。
1996年に法輪功(ファールンゴン)を修煉し始めた後、すべての病が消え去り、体調が回復した。宮さんは法輪功の理念である「真・善・忍」の基準で自分を律し、困難な状況でも他人を思いやり、忍耐強く事にあたり、夫の前妻の2人の子供を我が子のようにかわいがり、親族からは「完ぺきな良き継母」と称されている。
中国共産党(以下、中共)が1999年7月から法輪功への迫害を激化させて以降も、宮さんは法輪功を学び続けたことを理由に、何度も中共によって連行され、拘束され、二度にわたる不当判決によって合計10年間の懲役刑(冤罪)に苦しんだ。
以下は宮さんが中共による迫害を受けた事実のうちの一部の概要である。
1999年7月23日、宮さんは法輪功の迫害停止を求めて北京へ陳情に行ったことで連行され、翌日、亜鉛工場内の洗脳班に監禁され、迫害を受けた。
2000年6月、宮さんは法輪功について書かれた資料を人々に配布したため、葫蘆島市龍港区公安支局の国内安全保衛部門と東街派出所の警官らにより職場から連行された。尋問され、拘束されている間、悪質な警官に殴打されるなどの暴行を受けた。
宮さんは留置場で19日間の迫害を受けた。職場では、宮さんに対して次のような処罰が下された。幹部資格を取り消され、公職追放と1年間の監視下での工場内労働を命じられ、最も過酷で環境が劣悪な炭化ケイ素の作業場に送られ、賃金は差し押さえられ、生活費として毎月230元(当時の3,450円に相当)だけが支給された。
2000年10月、宮さんを含む亜鉛工場の24人の学習者が興城西飛旅館の洗脳班に連行され、迫害を受けた。宮さんは再び1年間の監視下での工場内労働を受けるよう命じられた。
同年12月19日、宮さんは北京で陳情を試みたが、龍港区公安局東街派出所の警官により連行され、葫蘆島拘置所で15日間拘留された。その後、亜鉛工場によって再び興城西飛旅館の洗脳班に連行され、迫害を受けた。宮さんは迫害への抵抗を示して断食し、3日後に解放された。
2001年5月10日、亜鉛工場の共産党関係者が再び学習者を洗脳班に連行し、洗脳を再開することにしたため、宮さんと夫の呉波さんはそれを避けて自宅を離れ、以後、放浪の生活を余儀なくされた。
2003年10月13日、宮さんが衣服を取りに帰宅した際、地域の住民に通報されたため、東街派出所の警官が自宅に押しかけて洗脳班に連行しようとした。警察らは5台の警察車両と多数の警官を動員し、宮さんの家を5時間にわたり包囲した。
2004年4月28日、宮さん夫妻は、宮さんの姉の家で警官らに連行された。夫妻は葫蘆島拘置所で8カ月半にわたり拘禁され、宮さんは連山区裁判所により懲役7年、呉波さんは懲役6年の判決を受けた。
宮さんは、健康診断で重度の心筋虚血や高血圧などの重病が判明したため、遼寧省女子刑務所は収監を拒否し、刑務所外執行に変更となった(刑期は2004年4月28日~2011年4月27日)。
2009年12月8日午後7時頃、宮さん夫妻は再び光明小区にある宮さんの姉の家で警官に連行された。その際、葫蘆島市龍港区公安支局の局長王傑が自ら指揮し、10名以上の警察官が3台の警察車両を使って宮さん夫妻を葫蘆島拘置所に連行した。数日後、呉さんは脱出した。
2010年1月23日、宮さんは遼寧省女子刑務所に連行され、2011年4月27日に冤罪による拘禁を終え出所した。
その出所から5カ月も経たない2011年9月7日、宮さんは、再び連山区公安支局の刑事警察隊により連行された。連行の理由は、彼女の夫である呉波さんがネット上で指名手配されているというものだった。葫蘆島拘置所で、宮さんは断食して抗議し、15日後に釈放された。
2013年8月7日、連山区検察庁は宮さん夫妻を連山区裁判所に不当に起訴し、夫妻はそれぞれ懲役3年を宣告された。
その後の夫妻の詳しい状況は不明だが、明慧ネットの情報によると、呉波さんは2016年に死亡したことがわかっている。宮さんの方は警察によって「指名手配犯」としてリストに挙げられ、今年4月2日に再び連山区公安局の警官に連行されたことがわかった。