【明慧日本2025年4月16日】(カナダ・トロント=明慧記者)法輪功学習者(以下、学習者)による理性的で平和な陳情から4月25日で26周年を迎える。この時期にカナダの学習者数人が、自らの修煉体験と感想を語ってくれた。
大海のような広い心で家庭の傷を乗り越える
「『なぜ人類が存在するのか』を拝読し、人生の原動力の源になった」と話す庭師のオリヴィアさん |
30歳のオリヴィアさんは、詩のように美しいマスコーカの田園地帯で園芸デザインの仕事をしながら暮らしている。しかし、彼女の幼少期は決して温かい生活ではなかった。家庭はまるで争いの絶えない戦場のようで、両親は互いに怒りをぶつけ合っていた。
生まれつき内気で親の言うことをよく聞く子だったオリヴィアさんは、その苦しみを心の奥に秘め、誰にも言えないまま成長した。長年にわたって蓄積された感情は、やがて彼女の心に影を落とし、抑うつや不安、そして怒りとして現れるようになった。
思春期のオリヴィアさんは、まるで手綱の切れた野生馬のように荒れた日々を送るようになった。酒やドラッグに頼って苦しみから逃れようとしたが、それは何の解決にもならなかった。彼女は「当時の私は、自分の居場所がどこにもないと感じていました。楽しさを感じることはまったくなかったのです」と振り返った。
大人になったオリヴィアさんは、知らず知らずのうちに両親と同じ道をたどっていた。夫との口論は絶えず、関係は次第に悪化していた。幸運なことに、そんな彼女のもとに届いた1通のメールが、この負の連鎖を断ち切るきっかけとなった。
2023年12月、オリヴィアさんのもとに1通のメールが届いた。そこには『なぜ人類が存在するのか』という文章が紹介されていた。彼女はそれを拝読し、まるで霧が晴れるような感覚を覚えた。「この文章が私の目を覚ましてくれたのです。まるで私の人生の原動力の源に出会ったように感じました」と語る彼女は、その後、法輪功の修煉を始めた。
以前のオリヴィアさんは、毎晩マリファナを吸わなければ眠れないほど依存していた。しかし、法輪功を修煉し始めてから、彼女は薬物への依存を「取り除くべき執着」だと捉えるようになった。彼女は「信じられないほどの変化でした! たった1カ月で、ドラッグもタバコもお酒もやめて、しかもぐっすり眠れるようになったのです」と話した。
ほどなくして、オリヴィアさんは夫がひそかに暗号資産取引をしていたことを知り、その投資で大きな損失を出していたことに気づいた。彼女は怒りに震え、一瞬、感情が爆発しそうになった。しかし彼女は「修煉者は怒ってはいけない」とすぐに思い直した。心を落ち着けるために、オリヴィアさんは明慧ネットで結婚問題を解決するための交流文章を読んだ。彼女は「私は夫に対する態度を変え、恨みを寛容と理解に変えました」と言った。
オリヴィアさんの心が広く穏やかになったとき、夫もまた何も言わずに変わっていた。彼は自制することを学び、感情的に怒ることはなくなった。
オリヴィアさんはまた、両親に対する恨みも放下した。彼女は「私は両親に対して訳もなくイライラしていて、話を聞くだけで苛立っていました。でも今は、もう反感を持たなくなりました。こうした心の変化が、私を幸せにしてくれました。家族みんなが私の変化を見て、法輪功は素晴らしいと感じ、修煉することを応援してくれています」と述べた。
彼女は続けて、「こんなに素晴らしい功法が、中国共産党に中傷されているなんて。本当に残念です。中共は、法輪功学習者が(1999年)『4.25』に政府を攻撃したと言っていますが、私は言いたいです。学習者は政府を攻撃することなどしていません。それは師父の教えに反することです。師父は、善良で誠実な人になるよう教えてくださっていて、政治とは無関係です。暴力的な迫害に直面しても、学習者たちは決して暴力で対抗したことはありません」と語った。
外国人が正義を呼び戻すために 12年間獅子舞を続ける
12年間獅子舞を続けているユーゴさん |
ユーゴさんはフランス系カナダ人で、人里離れた田舎町に住み、フランス語の学校で教師をしている。家庭は温かく円満だったが学生時代に理由もなくうつ病を発症し、心の中には拭い去れない苦しみを抱えていた。薬を服用しても、その苦しみは一時的にしか和らぐことができなかった。
2007年、33歳になったユーゴさんは、ある家族の集まりで叔母に会った。彼は突然「あなたが普段、座禅をしているのを知っています。私も学びたいです」と叔母に言った。長年病気に苦しんできたユーゴさんが座禅に興味を持ったことに、叔母は驚き、そして喜んだ。
その週末、叔母は時間が取れず、ユーゴさんに座禅を教えることはできなかった。別れ際に叔母は彼に『轉法輪』という本を一冊手渡し、「まずはこの本を読んでごらんなさい。ただし、最後まで読み切ってね。途中でやめたり、本に書き込みをしたりしないように」と言った。ユーゴさんは叔母の言葉にうなずいた。
ユーゴさんは「以前の私の頭の中は、バラバラに散らばったパズルのピースのようでした。『轉法輪』を読んでいるうちに、そのピースが一つ一つはまり、やがて一つの全体像を成していったのです。そして突然、心が開かれたように感じました。失うことと得ること、徳と業の関係、人がなぜ心性を高めるべきなのか、それが分かったのです。その時から修煉の道を歩み始め、うつの症状は二度と現れず、薬も一切必要なくなりました。その後、私の人生は本当に素晴らしいものになりました」と振り返った。
修煉を始める前、ユーゴさんは義理の両親との関係がぎくしゃくしていた。彼は「私が結婚したのは22歳のときでした。義父母は、私のことを『若すぎて物事がわかっていない、こんな結婚は長続きしない』と決めつけ、公然と私を拒絶していました。家族全員が集まってクリスマスを祝うときも、私だけが呼ばれなかったのです。本当に胸が張り裂けるほど悲しかったです。さらに、彼らは私のことにいちいち口出しして、干渉してきました。でも私は、自立心があって自分の意志をしっかり持っていました。だから当時は、『一生かかっても、あの人たちを許すことはない』と本気で思っていました」と語った。
修煉を始めてから、ユーゴさんは義理の両親に対して思いやりを持てるようになった。彼は「もう自分の考えばかりを押し通すことはしなくなりました。私は初めて、彼らの話にちゃんと耳を傾け、受け入れるようになりました。そして、彼らに『確かに一理があり、自分を改めてみます』と言いました。今では、義父母との関係もとても良好です」と述べた。
ある日、ユーゴさんがイベントに参加した際、学習者が獅子舞の練習をしているのを見かけた。彼は手伝いを申し出た。すると、学習者の1人が「次のイベントも来る?」と尋ねた。彼は笑顔で「もちろん」と答えた。こうして、ユーゴさんは獅子舞に参加するようになり、それから12年間、さまざまな地域社会を巡っては、獅子舞を通して人々に法輪大法のメッセージを届け続けている。
舞台で獅子舞を披露するユーゴさん |
ユーゴさんは、「イベントでは、獅子舞を通して人々に法輪功について知ってもらい、さらに中共による法輪功への迫害の実態も伝えています。26年前、中共は中国の天津市で複数の法輪功学習者を嫌がらせや強制連行しました。それに対し、全国から1万人の学習者が北京に集まり、平和的に陳情を行いました。理性的で冷静、そして理解と尊重の姿勢をもっていたにもかかわらず、中共はこの事実をねじ曲げ、3カ月後には『法輪功学習者が中南海を包囲した』という口実で、法輪功への大規模な迫害を開始したのです」と話した。
ユーゴさんは感慨深げに、「中共が学習者に対して人道に対する罪を犯してきたにもかかわらず、中国国内でも、そして世界中でも、学習者の対応は一貫して平和的に行われています。法輪功は理不尽な状況に直面したときでも、理性的に訴え、抗議しながらも、他者や公共のもの、さらには政権そのものに対しても敬意を持って接するという姿勢を世界に示しました。迫害が始まって以来、法輪功学習者は中国の人々に本来あるべき基本的な権利を取り戻すために、最も優れた、そして最も平和的な方法で訴え続けてきたのです。その歩みは、一度たりとも止まったことがありません」と語った。
善念を守り、人生の難関を乗り越える
医師のシャンタルさん「自分が法輪大法を修煉しているからこそ、絶望している患者たちに光をもたらすことができます」 |
シャンタルさんはカナダ生まれで、トロントで脳損傷治療の権威として知られる主任医師である。彼女は病院で勤務する一方、自身の個人クリニックも経営している。
25年前、医大に通っていたシャンタルさんは、休暇中に故郷へ帰省した。帰宅したその日、母親が彼女に法輪功を紹介した。母親はオタワの健康博覧会で法輪功と出会い、父親と共にすでに修煉を始めていた。そしてこの日、シャンタルさんも修煉を始めた。
修煉する前のシャンタルさんは、非常に負けず嫌いな性格だった。彼女は、「勝つためなら手段を選びませんでした。私はこれまでに4回、全国レベルのバドミントン大会に出場しましたが、試合に勝つために不正をしたこともあります。相手の打ったインの羽根球をアウトだと言って、勝利を手にしたのです。法を得てから、なぜ人が苦難を経験するのかがわかりました。過去の出来事を思い返すと、名声や利益を追い求める中で、私は多くの人を傷つけ、そのことで業を作っていたのだと気づきました。その業は、自分が苦しみを通して償わなければならないのです」と語った。
修煉を始めて間もなく、シャンタルさんは当時の恋人と婚約の準備を進めていた。しかし、彼の家族が彼女が法輪功を修煉していることを知ると、激しく反対し、婚約の儀式は中止になった。それでも恋人はシャンタルさんの信仰を支持する道を選び、最終的に2人は結婚した。
シャンタルさんの長女が生まれた時、へその緒が首に巻きついていた。赤ちゃんの全身は紫色に変色し、生命反応が見られず、シャンタルさんは恐怖に襲われた。その時、彼女は師父のことを思い出し、「法輪大法は素晴らしい」と心の中で何度も繰り返し唱えながら、師父のご加護を必死に祈った。すると、娘がかすかな産声を上げ、命を取り戻したのである。
シャンタルさんと娘たち |
長女が16歳のとき、ショッピングモールで行方不明になった。若く美しい娘が悪人に連れ去られたのではと想像し、夫は取り乱していた。しかし、シャンタルさんは必死に冷静さを保ち、心の中で師父に助けを求め続けた。すると、娘は無事に戻ってきたのである。シャンタルさんは「修煉を始める前の私だったら、娘が行方不明になった時に冷静ではいられなかったと思います。でも今回は、家族全員が取り乱している中で私だけが落ち着いて対処できました。この出来事をきっかけに、姑も法輪功に対する見方が変わり、『私もこの功法を心から理解してみたい』と言ってくれるようになったのです」と話した。
シャンタルさんが勤務する職場では、犯罪、交通事故、家庭内暴力など、深刻なトラウマを抱えた患者たちと接することが多く、彼らの多くは、憎しみと苦しみに満ちていた。シャンタルさんは「私は彼らに、不公平だという気持ちを乗り越えるよう励まします。何度も声をかけ、心を落ち着かせるように導いています」と述べた。
シャンタルさんは、患者に希望や光を与えることは、実は簡単なことではないという。「医学の世界で、学生時代には『いつか人々を救いたい』という理想を抱きます。でも、長年臨床に携わっていると、多くの患者の苦しみや死に直面し、そのたびに少しずつ、同情心がすり減っていくのです」
「患者の中には、私が彼らの人生を変えたと言ってくれる人がいます。私は彼らの話を真剣に耳を傾ける初めての医者だという人もいます。彼らが自分のエピソードを語るとき、私は彼らに愛と同情を感じます。私は彼らに言います。法輪功を修煉しているからこそ、数えきれないほどの悲惨なケースを見ても、冷徹な医者にはならなかったのです。私はネガティブにはならず、むしろ明るく、楽しい性格になり、仕事の合間には子供たちと一緒に笑うことができます。私は彼らに法輪功を紹介しています」と語った。
シャンタルさんが法輪功の修煉を始める前夜、中共は法輪功に対する暴力的な弾圧を始めた。彼女は「私は法輪功学習者たちの勇気を尊敬しています。1989年6月4日、北京の天安門広場で学生に対する大虐殺が起き、多くの西洋人がテレビでその殺戮の場面を目にし、今でも鮮明に覚えています。1999年4月25日、学習者たちは暴力的な逮捕に直面しながらも、北京で平和的に陳情しました。ただ法輪功を自由に修煉したい、嫌がらせや虐待を受けずに…。しかし、江沢民は彼らの平和的な陳情を恐れ、法輪功に対して残酷な迫害を始めました。私は心から、全世界の人々が中共の邪悪な本質を認識できることを願っています」と述べた。