文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年4月21日】私は2019年末から法輪大法の修煉を始めました。1998年に母が修煉を始めた時、私は大法の不思議な力を目の当たりにしました。母は修煉を始めて間もなく、10年間も苦しんでいた病気が消え、それ以来、私たちの家庭はもはや悲しみに包まれることはなくなりました。そのころ、私はただ法輪大法はすばらしいものだと感じており、いつか私も修煉するだろうと思っていました。
しかし、間もなく法輪大法は中国共産党(以下、中共)による弾圧を受け、同時に当時の私は世俗の美しい生活に憧れていたため、大法に対して関心はありつつも積極的に関わることができませんでした。旧正月などの帰省時に母親が印刷してくれた「大法が世界中で広まっている」ことに関する情報や、同修が書いた修煉体験の交流文章を見るだけでしたが、2019年になって、私は自ら大法の修煉を始めたいと申し出ました。
大法の修煉を始めることの難しさ
修煉を始めたとは言っても、修煉について何も概念がなく、着実に修めているとはとても言えませんでした。両親とは別の都市に住んでおり、普段ビデオ通話でも修煉に関することについて話すことができず、1人で修煉している状態でした。ちょうど大法を学び始めて1カ月後にコロナが突発し、ロックダウンや移動制限が強化されたため、1年近く母親と一度も会うことができませんでした。そのため、当時は修煉は続けているものの実際には修煉していないような状態でした。
修煉を始めたばかりのころは、毎日寢る前に30分ほど『轉法輪』を読む程度で、1週間かけてようやく一通りの功法を煉功するような状態でした。毎日相変わらず常人が追い求める様々なことに夢中で、自分ではそれでも最低限のことはやっていると思っていました。たとえそれでも慈悲深い師父は、法輪が回転する巨大な力を私に感じさせてくださいました。
当時はどう修煉すればいいのか分からず、多くの機会を逃し、多くの心性の関門を乗り越えられなかったため、当然多くの問題が発生しました。
二度、私の頭の中に修煉を放棄したいという考えが浮かびました。二度目の時は、2021年7月のことだったと記憶しています。私が心を修めることができなかったため、長い間様々な執着に悩まされ、旧勢力はこれを機に私を迫害し、私は不眠症になりました(修煉する前のしばらくの間、不眠症に悩まされていたが、大法を学んでから不眠症はなくなった)。毎晩眠れないのではないかと恐れ、恐れれば恐れるほど眠れなくなり、頭の中は様々なことで一杯になり、一時も休むことができず、とても苦痛でした。
家族は普段実家で暮らしており、私の家にはほとんどいませんでした。しかし、当時は慈悲深い師父が母親である同修を私の家に住まわせるように按排してくださり、毎晩眠れず辛い思いをしている私を母は諭してくれました。ある時、私は「もう修煉したくない」と言いました。「普段しなければならないことが多すぎて、大法を学んだり煉功する時間もなく、精神的負担が大きすぎる」と言いました。母は私の言葉を聞いても、無理強いせず自分で決めるようにいいましたが、「今が適切でないと感じるなら、後で学んでもいい」とも言いました。
その時、私は思わず「だめだ、諦めるわけにはいかない、学び続けなければ、師父から見捨てられてしまう!」と言いました。母親は、「あなたは常人の考えで問題を考えている」「師父は慈悲深くあなたが考えているような方ではない」と教えてくれました。
当時の私は、常人の考えを持っていましたが、私が修煉を続けようとする信念が旧勢力による妨害を打ち破ることができたのかもしれません。師父は、私が修煉を続けられるようにしてくださいました。それ以来、母親は私に発正念の方法を教えてくれました。四つの正時すべてで発正念することはできませんでしたが、発正念をする時、特に正法の口訣を心の中で念じている時、恐れという物質が減っていくのをはっきりと感じました。そのため、念じている時は恐れを感じませんでした。
同時に、私はその時に執着していたことを探し出し、ずっとこだわっていた海外投資で家を買う(利益心)という考えや、現実逃避のために海外に移住したいという心を完全に手放しました。そして、普段の仕事や生活の中で、闘争心、虛栄心、顕示心、そして、情を見つけ出しました。
その頃、私は妨害を受けたために大法書籍を読みたくありませんでした。ある日、理由は分かりませんが、本棚に置いてあった「喩世明言」(訳注:中国の明代末期に馮夢龍によって編集された短編小説集)を読みたいと思ったのです。その本は本棚に置いてから何年も経ちますが、一度も開いたことがありませんでした。その時、手に取って開くと、偶然にも「陳希夷四辭朝命」(訳注:意味=陳希夷が四度にわたり皇帝からの召命を断った、内容:世俗的な欲望や名誉にとらわれない尊さを説いている)と「張道陵七試趙晟」(訳注:意味=張道陵が弟子の趙晟を七度にわたって試した、内容=道教の修行における試練や忍耐の重要性を説いている)の二つの章を読みました。この二つの章を読むと、突然非常に心が晴れやかになり、私を悩ませていた多くの執着を完全に手放すことができ、私を眠れなくさせていたものが消え去りました。同時に、本に出てくる修煉者の状態に感動しました。それ以来、私は眠れるようになり、夜も恐くなくなりました。その時の魔難は1カ月以上続きましたが、私は生まれ変わったような感覚を覚え、同時に今後は心性を修めることに注意を払うべきだと悟りました。
私は一人で修煉していましたが、母親も長年修煉しており、よく「內に向かって探す」という言葉を耳にしました。「內に向かって探す」という言葉は知っていましたが、修煉を始めてから1年以上経っても、本当に「內に向かって探す」ということがほとんどできていませんでした。
何か不愉快なことがあればいつも憤慨していました。私の職場で、直属の上司は私が見下していた人物で、ずる賢くてわがままだと感じていました。いつも他人に仕事をさせて、自分は手柄を橫取りしようとし、常に他人を貶めて自分を持ち上げようとしていました。そのため、当時は上司からどんな仕事を割り当てられても反発し、公然と反抗したり陰で抵抗したりしていました。
ある日、上司がまた私に仕事を割り当ててきたのですが、私は彼がこれを一時的に割り当て、私の仕事の計画を乱すだけでなく、この仕事の締め切りまであまり残りがなく、わざと私にこの仕事を完成させたくないのだと思いました。そのため、私は非常に腹を立て、「なぜもっと早く教えてくれなかったのですか、何を求めているのかも教えてくれないのに、どうすればいいのか分からないです」と非常に悪い態度で上司を非難しました。上司は私に「分からなければ聞けばいいですよ」と答えました。この言葉を聞いた瞬間、私は耐えられなくなり、上司が私を陥れようとしていると思い、心は激しく動揺し、どうしてこんな屈辱に耐えなければならないのかと思いました。
明らかに上司が仕事の指示を出すタイミングが遅かったのに「まるで私の問題であるかのように言っている」と思いました。私はすぐに上司と喧嘩を始めたいと思い、目の前でテーブルをひっくり返し、パソコンを叩き壊したいとさえ思いました。
その時、突然師父がかつて説かれた説法が頭に浮かびました。師父はこう説かれました。「相手の話は非常に刺激的かもしれませんが、あなたの痛いところに触れたから、刺激的だと感じたのです。本当に不当な扱いを受けたかもしれませんが、その話は必ずしもその人が言ったのではなく、私が言ったのかもしれません。(皆笑って) そのとき、あなたがどのようにこれらのことに対処するのかを私は見ており、相手に口答えをしたら、実は私に口答えをしたことになります」(『各地での説法十』「マンハッタン説法」)
師父の説法が頭に浮かんだ瞬間、私はかなり冷静になりました。冷静になってこの説法を考えてみると「全くその通りではないか! 要求が分からないなら、自分から積極的に聞くべきなのに、なぜ人に言われるのを待つ必要があるのだろうか? なぜ自分は腹を立てているのだろうか?」と思いました。
そのような考えに変わると、私は直前の瞬間の噴火寸前の火山から、まるで静かな湖面の状態に劇的にかつ瞬時に変化し、そして乗り越えることができた喜びを感じました。
その後、私は長い間、より高い次元の精神状態と喜びを持って同僚と協力して仕事を行いました。私は、師父の『洪吟』「新生」の中の「観念転ず 腐敗物は滅され 光明が顕れる」という奇跡を初めて体験しました。私が內に向かって探し始めたのを師父がご覧になり、「闘争心、独りよがりの心、怨恨心などの悪い物質を取り除いてくださったのだ」と後で理解しました。
この出来事の翌日、私は夢の中で、講堂のドアのような大きなドアを自分で押し開け、講堂の中に入って行くのを見ました。師父が講堂で説法をされており、私は自然と中に入って説法を聞いていました。夢の中でとても自然に感じました。目が覚めた後、右上の空中にピンク色の小さな蓮の花が見えました。現れた時間は非常に短かったのですが、私は確かに見たと確信しています。とても嬉しく、私がようやく自分の問題を探せるようになったことを師父がご覧になり、励ましてくださったのだと悟りました。私がドアを押し開けて講堂に入ることは、私がようやく本当に大法修煉の道に入ったのだということを教えてくださっているのかもしれません。
携帯電話やインターネットへの執著を取り除く
現代の多くの人と同じように、私もかつてはいつも携帯電話を手放せず、一瞬たりともインターネットから離れられない人間でした。私は子供のころからテレビや映画を見るのが好きで、特に奇抜なストーリーに夢中になっていました。1人で慣れない土地に住んでおり、普段家で話す人もいないため、家に帰るとすぐに奇抜な映像を探して見ていました。トイレや入浴中も手放せませんでした。見る映画がなくなると、WeChatのモーメンツ(訳注:友人との情報共有機能)や様々な公式アカウントをチェックしました。
修煉を始めたばかりのころは、携帯電話を見る時間をあまり減らすことができませんでしたが、その後、映画の内容が血なまぐさすぎて良くないと感じ、このような種類の映像を見るのをやめました。いわゆる古典的な伝統映画やテレビなら見ても良いかと思ったので、携帯電話を触る時間は全く減りませんでした。毎日、携帯電話を触るために1時間を専用に確保しなければならないと感じていました。そうすることではじめてリラックスできると感じていたのでした。
ある時、毎晩のように午前3時に悪夢にうなされて目が覚めるようになりました。夢の中に様々な恐ろしい光景が現れ、魔物のようなものが登場するわけではありませんでしたが、夢の中の多くの人々、私の周りの人々が魔物に変化したように感じました。私は毎日苦しめられ、その原因は普段インターネットや携帯電話を見過ぎていることにあるのではないかと考えました。
そこで、ノートパソコンを片付け、映画やテレビを見るのをやめ、携帯電話の様々なアプリを削除し、WeChatのほとんどの購読アカウント(訳注:WeChatにおいて特定の情報発信者の投稿を定期的に受け取るために登録しているアカウント)を閉じ、さらに正念を発しました。するとすぐに、夜にこのような恐怖を感じる悪夢を見ることはなくなりました。こうして、自分の多くの時間を節約でき、その時間を法を学んだり、煉功したりすることに使うことができました。
しかし、インターネット上の誘惑は常に人々を誘い込んでいます。その後しばらくして私は我慢できなくなり、仕事中に会社のパソコンでネット検索をし、百度のホット検索(訳注:現在注目されているキーワードの検索ランキング)をクリックして見るようになりました。徐々に毎日積極的にホット検索を見るようになり、再び夜によく眠れない状況になりました。そこで、ウェブページをクリックしようとするたびに、自分に「やめよう、見るな、全部ゴミだ」と言い聞かせました。そうすることで、徐々に我慢できるようになりました。
その後、中国のメディアを通じて報道されるニュースは党文化に染まっているため見なくなったものの、フォックスニュース(訳注:米国のニュース専門チャンネル)をずっと見続けていたことに気づきました。特に毎朝6時に正念を発した後、またベッドに戻ってフォックスニュースの様々な報道を閲覧したり、音声ニュースを聞いたりしていました。その理由として、国際的な動向を把握するためと、英語力を維持し鈍らないようにするためだと言い訳していました。
しかし、これも良くないことに気づきました。海外のウェブサイトには中共が主張する思想や価値観はありませんでしたが、それでも様々な雑多な情報があり、積極的にそのようなものを体內に取り入れるべきではありませんでした。修煉者は世俗的なことに心を奪われるべきではありません。
旧正月に実家に帰って母と話した時、母は「大法のウェブサイトである動態ネットでさえも常人向けのものであり、修煉者は過度に注目すべきではなく、この時間をもっと学法に使うべきです」と言いました。そこで、私はこの朝の時間を『洪吟』や『論語』を暗記したり『洪吟』を書き写したりすることに使い、以前化粧をしていた時間を明慧ラジオを聴くことに使い、その後仕事に行くようにしました。現在、これを1年間続けています。
以前の私は、テレビや映画を見るのが大好きだったので、それらを完全に手放した時、とても清々しい気持ちになりました。しかし、邪悪、魔、卑しい鬼がそう簡単に手放してくれるはずもありませんでした。特にテレビや映画を放棄したばかりの頃は、夢の中でドラマを見たり、映画を見たり、カラオケボックスで歌われているような恋愛ソングを歌ったり、バラエティ番組を見たりさせようとしました。最初は夢の中でそれらを否定することができませんでしたが、実際の日常生活ではそれらを聴いたり、見たり、考えたりしないようにしました。頭の中に映画のシーンが浮かび上がると、それらを打ち消すようにしました。そして心の中で、映画を見ない、テレビを見ない、歌を聴かない、バラエティ番組を見ないと念じました。
(続く)