【明慧日本2025年4月22日】河北省承徳市の法輪功学習者・馮暁奇さんは、法輪功(ファールンゴン)を学び続けたとして2003年8月31日に警察に不当に連行された。その後、承徳市双橋区法院(裁判所)により不当に懲役14年の判決を受け、同省保定市の第14刑務所で迫害を受けた。2020年からは、承徳市社会保険局が馮さんに対して経済的な迫害を行い、年金を強制的に差し押さえ、双橋区裁判所はさらに95カ月分の年金返還を不当に命じた。馮さんは控訴中だが、今年2月23日に亡くなった。享年74歳。
2003年8月31日から9月1日にかけて、馮さん、王継涛さん、曲守成さん、李春芳さん、李継成さんなど10人以上の法輪功学習者が資料を作成していたとして、承徳市の「610弁公室」、国家安全局、公安局の警官らに連行され、不当に拘束された。王継涛さんは承徳県の拘置所に連行され、死刑囚用の独房に入れられ、さまざまな残虐な手段で拷問された。食事を与えられず、眠ることを許されず、数本の電気ショック棒で全身と頭部を同時に電撃され、水頭症を引き起こした。その後、王さんは滦平県の拘置所に移され、寒冬の時期に、刑務官は受刑者に指示して王さんの服を引き剥がさせ、冷水を頭から足まで浴びせ、33本の桶の水をかけさせた。その結果、王さんはその場で意識を失った。その後、再び「610弁公室」により承徳市の大トラ溝拘置所に移され、そこで刑務官はさらにひどく暴行を加え、王さんは血を吐き、長期間頭部が腫れ上がり、内外に深刻な傷を負った。それから王さんは2007年4月30日に亡くなった。享年54歳。
2004年6月11日、馮さんと曲守成さんは双橋区裁判所で審理を受けた。審理前、馮さんと曲守成さんは拘置所で弁護文書を準備していたが、双橋区裁判所は公開審理を行わず、彼らの弁護権を奪った。彼らはその場で裁判官に「無罪弁護書」を手渡した。馮さんと曲さんは弁護書の中でこう述べた。「2003年8月31日、法輪功の資料を印刷していたため不当に逮捕され、9カ月間にわたる鉄格子の中での生活、9カ月間の心と体の屈辱と苦しみを経験しました。今日、法廷と裁判官に直面して、私たちは心の底から言います。真・善・忍を修めて良い人になることは無罪です! 法輪功は民間で自発的に形成された修煉団体であり、何の有形な束縛や規律もりません。各メンバーは学びたいときに学び、去りたいときに去ることができます」
「陳情(上京して政府に訴えること)する道が閉ざされ、すべての正常な手段が封じ込められた状況で、大法弟子は逮捕や暴力、判決を受ける危険を冒して、人々の善念や良知を呼び覚まし、正義と良知を呼びかけています!」
しかし馮さん、曲守成さんは承德市双橋区裁判所により懲役14年の判決を受け、2004年10月15日に保定刑務所に監禁された。
馮暁奇さんに対する経済的迫害の概要
馮さんは2012年に退職し、毎月年金を受け取っていた。しかし、2020年8月から承德市社会保障局は突然、馮さんがかつて刑務所に入っていたため年金を受け取る権利がないとし、年金を差し押さえた。さらに、承德市社会保障局は不法に馮さんの退職資格を取り消し、すでに受け取った95カ月分(約8年)の年金を返還するよう強制した。馮さんは年金を剥奪され、生計の手段を失った。
馮さんは2007年から規定通りに全額で年金保険料を納付し終わった。社会保障局が発行した『河北省の保険加入者の基本年金計算発表』には、彼がすでに納付義務を履行した年数と金額が明確に記載されており、退職資格を有していることが確認されている。
年金は個人の資産に属するため、馮さんは社会保険局に法に基づいて年金を支払うよう要求した。しかし、これに対する返答がなかったため、馮さんは承德市社会保険局を提訴した。しかし、承德市双橋区裁判所は馮さんが95カ月分の年金を返還すべきだという違法な判決を下した。馮さんはその後、この判決に対して承德市中級裁判所に控訴した。
74歳の馮さんは、極度のプレッシャーの中で、毎日裁判所と社会保険局を往復し、関係者に法律に基づいて説明し、訴え続けた。しかし、社会保険局の関係者はそれに耳を貸さず、馮さんの家を競売にかけると脅迫した。仕方なく馮さんは行政復議を行い、2024年9月13日に開廷された。しかし、前日の2024年9月12日、馮さんは脳溢血を発症し、意識不明の状態で病院に運ばれ、1カ月以上の間治療を受けた。退院後も回復せず、今年2月23日に冤罪を晴らせぬまま亡くなった。
馮さんが亡くなってから1カ月後、承德市中級裁判所は今年3月4日、不当に原判決を維持する行政判決書を下した。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)