【明慧日本2025年4月25日】今年3月13日頃、数人の警察官がパトカーを使わず、制服も着用せずに山東省蒙陰県旧寨郷楊家林子村の村民・楊玉東さん(84歳、男性)の家の近くで張り込みを行い、楊さんを連行した。その後、26日に警察は楊さんを山東刑務所へ送致し、楊さんの妻を果樹園に一人残した。公安・検察・裁判所は秘密裏に手続きを進め、楊さんとその家族に知らせずに、懲役4年の不当な判決を宣告した。
中国共産党(以下、中共)による法輪功への迫害が始まってから、楊さんは5年間放浪生活を余儀なくされ、その後、労働教養処分、数回の拘禁、不当な判決を言い渡された。家族も大きなダメージを受けた。
名利を求めず法輪功を修め 6年に及ぶ訴訟を終結
楊さんはかつて荒れた山地を切り開き、8年の歳月の中で汗だくになって80ムー(約5.3ヘクタール)の栗園を作り上げたことで、人々から「鉄人」と呼ばれていた。
1991年、村長の楊万福と書記の楊玉貴らは結託し、楊さん一家や親族が8年の歳月をかけて開拓し80エーカーの栗園を強制的に分割した。これは契約法に違反する行為であり、楊さんは繰り返し請願を行った。上級部門の指示により、県は速やかに対処するよう要請した。最終的に郷の仲裁により40エーカーの土地を伐採するよう申し出た。(実際には39エーカーを与えた)しかし、伐採された41エーカーの土地の3000本余りの果樹については、一本あたり5元(約100円)で補償金を支払われる予定だったがが、関係者が郷の責任者に賄賂を贈ったため、実際には843本分しか認められなかった。楊さんは受け入れず、さらに県に再調査を求めたが、村の幹部たちは当時の政法委員会書記・公丕宣を買収し、筆頭とした手下たちが村民の面前で一方的に960本と認定した。楊さんが強く異議を唱えたところ、手下の一人に背後から蹴り倒され、「黙れ!」と怒鳴られた。楊さんは納得せず、栗園80ムーを取り戻すまで訴訟をやめないと決意し、1997年まで6年にわたる訴訟を続けた。
しかし、長年の争いや不当な扱いにより精神的ストレスを受け、楊さんは血液の流れが悪くなり、めまいや意識障害を引き起こす病にかかった。注射や薬でも効果はなく、苦悩の中にあった。そんな時、親戚から『轉法輪』という法輪功の書籍を手渡された。
法輪功を学び始めて十数日後、血液の症状は奇跡的に回復した。さらに、45年間患っていた気管支炎や胃炎も次々と快方に向かった。楊さんは、法輪功の師父に新たな命を与えられたと深く感じ、言葉では言い表せないほど感謝した。
法輪功の「善を重んじる」教えは、楊さんの長年のわだかまりを解きほぐし、6年間続けていた訴訟を終える決心をさせた。不満や執着、勝ち負けにこだわる心は消え去り、心には静けさと安らぎが満ちた。身体も回復し、日々は幸福と充実に満たされている。
度重なる迫害 果樹園は略奪される
1999年7.20、中国共産党の江沢民グループは、法輪大法およびその学習者に対する極めて残酷な迫害を開始した。「名誉を失墜させ、経済を断ち、肉体を消滅させよ」という非道な密命が下された。この時、村主任の楊万福と書記の楊玉貴を中心とする一味は、時が来たと見て、さらに私利私欲を満たそうと画策した。李在和と結託し、20人以上の手下を率いて楊さんに対し、3日以内に4400元を支払うよう脅迫した。当時、楊さんの財産はほとんど奪われていた。
1999年の旧暦12月、法輪大法に正義の声を届けるため、楊さんは法に則り北京へ陳情に赴いた。旧正月の元日に北京で私服警察に発見され、蒙陰県公安局へ強制連行され、尋問を受けた。旧寨郷派出所の元所長・劉長波らは、北京に行った他の学習者10人の所持金を没収し、彼らを郷に戻して男女一緒に伝達室に監禁した。夜になると、劉長坤と李明国が指示を出し、学習者たちに対する拷問と暴行が行われた。学習者を雪の上に座らせ、蹴ったり踏みつけたりした。疲れた後もなお、伝達室に閉じ込め、真冬にもかかわらず扇風機を回し、コンクリートの床に座らせた。さらに、法輪功師父の写真に座らせるという侮辱行為、棒での殴打、しゃがむ姿勢の強要、極寒によって凍らせるなどの拷問が繰り返された。熊貴義が使った棒が折れた後、机の脚でさらに暴行を加えた。
学習者らは半年以上もの間、拘禁され、猛暑の時期には風通しのないガレージに監禁され、さまざまな拷問を受けた。その間、旧寨郷政府の職員が楊さんの家に押し入り、家財を略奪した。ポンプや木材など、計2000元相当の物品を奪い、さらに6000元以上の罰金を科した。旧暦2000年7月末、楊さんようやく釈放されたが、家族が果樹の管理ができなかったため、多くの果樹が枯れていた。
旧暦2000年11月、旧寨派出所の警官らが再び楊さんを連行し、蒙陰県公安局に1か月にわたり監禁・拷問を加えた。
2001年4月、旧寨郷政府職員が再度、楊さんの家に不法侵入したが、楊さんは家に不在であった。迫害から逃れるため、楊さんはやむを得ず放浪の生活を送ることとなった。その後、警官は数日おきに家宅捜索を繰り返し、家族は絶え間ない嫌がらせに苦しめられ、安寧な生活は奪われた。
2002年、新任の旧寨郷「610弁公室」の鞠朋懐は、楊さんの従兄弟が楊さんを家に泊めたのではないかと疑い、従兄弟を連行して拷問にかけた。さらに、楊さんの二番目の妹も連行され、十数日にわたり取り調べを受けた。それ以降、迫害をさらに強め、「人口調整による土地回収」という名目を掲げ、楊家の果樹園を勝手に分配し、200本以上の果樹を奪った。冬になると、楊万福とその一味は、東嶺の21ムー余りの土地、栗園46ムー余り、その他の果樹園20ムー余りを奪い、計5800本以上の果樹を侵奪した。すべてにおいて一銭の補償もなく、逆に「村に借金がある」と言いがかりをつけられ、小麦の収穫後には4000元以上を強制的に支払わせられ、何の法的根拠もなかった。
2002年9月、中共関係者は、法輪功を修煉していない楊さんの息子を拘束し、「楊さんの所在を教えろ」と脅した。見つからないとわかると、1万元を支払うよう強要した。息子に金がなかったため、収監された。続いて、同じく修煉していない妻と三女も連行され、2か月以上拘禁された。最終的に、親戚たちが5000元をかき集め、ようやく三人は釈放された。
長年にわたる高圧、脅迫、恐怖、そして財産の強奪の中で、楊さんの家族は精神的・経済的に追い詰められ、やむなく協力して楊さんの行方を探すようになった。家の土地は奪われ、金は巻き上げられ、息子とその妻は生活手段を失い、やむなく県城で果物を売って生計を立てるようになった。
労働教養3年 拷問を受けた
2006年12月初旬、流浪生活を余儀なくされていた楊さんは、坦埠鎮で交通事故に遭った。救急搬送された際、坦埠鎮医院の医師が彼が法輪功学習者であることに気付き、悪意をもって通報した。直ちに楊さんは坦埠鎮派出所の警察により拘束され、臨沂市の洗脳班へ強制連行された。その過程で、約2000元の現金、携帯電話など(総額約4000元相当)が、派出所の警官および医師らによって強奪された。
2007年、楊さんは3年間の労働教養処分を受け、蒙陰県公安局国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)により王村労働教養所へ送致された。そこでは、精神的にも肉体的にも過酷な拷問を受けることとなった。
楊さんは硬い木製の腰掛けに十数時間座らされることを強要された。その間、警官は囚人である蔡樹涛を監視役につけ、楊さんに対して日常的に侮辱や暴力を加えさせた。蔡は楊さんにわざと前を歩かせ、後ろから靴を踏んで脱がせた。楊さんが靴を履き直そうとすると、楊さんを殴り蹴りつけた。楊さんが水を飲んだだけで暴力を振るい、髪を切ってほしいと頼んでも暴力で返した。また常に「お前に発言権はない」と侮辱した。
第八大隊の劉林、鄭某ら警察数人は、楊さんをトイレに引きずり込み、綿入りの上着を脱がせたうえで殴打し、さらに両手を上下にずらして吊るし上げ、20時間以上にわたり冷気にさらして凍えさせた。
このような労働教養所での拷問により、楊さんは深刻な健康被害を負った。警察らは責任追及を恐れ、楊さんの家族から1000元以上をゆすり取ったうえで、ようやく楊さんを釈放した。
出所後も続く嫌がらせと不安な日々
2009年2月、楊さんは再び不当に連行された。
2010年8月26日午前、蒙陰県「610弁公室」、旧寨郷「610弁公室」、および派出所の関係者らが鞠朋を中心として楊さんの自宅に侵入し、何の理由もなく嫌がらせを行った。
2015年6月30日午後2時ごろ、蒙陰県旧寨郷「610弁公室」の鞠朋を含むおよそ10人が再び楊さんの家に不法侵入し、家宅捜索と脅迫を行った。今回の家宅侵入で、法輪功の師父の写真1枚とカレンダー2冊が押収された。
おおよそ2020年の旧暦2月9日、蒙陰県旧寨郷派出所の関係者らが再び楊さんの自宅に押し入り、家の中をめちゃくちゃに荒らした上、楊さんを連行した。数日間の拘禁の後、楊さんはようやく自宅に戻された。
真実を伝えたことで4年の不当判決
2024年のある日、楊さんは法輪功の真実の資料を配布していたところ、旧寨郷派出所の警察により連行された。拘禁中、楊さんは大声で「法輪大法は素晴らしい」と叫び、警官に対しても法輪大法の真実を語った。その後、楊さんは無条件で釈放された。
2025年正月、楊玉東は再び坦埠鎮の市場において法輪功の資料を配布していたところ、旧寨郷派出所の警察に連行された。楊さんは派出所で警官に真相を伝えたが、その日の午後には釈放された。ところが翌日、警察は再び楊さんの自宅に押しかけ、家族に「楊さんはどこに行ったのか」と尋ねた。妻が「旧寨の市場へ行った」と答えると、警官らは市場で楊さんを再拘束し、数日間の拘禁の後に釈放した。その後、楊さんは自宅の安全に不安を感じ、7〜8日間外に身を隠した。
警察は警察車両を用いず、制服も着用しないまま、楊さんの自宅付近で待ち伏せしていた。2025年3月13日頃、楊さんが帰宅したところを私服警官によって再び連行した。そして、蒙陰県の留置場に収監された。
蒙陰県公安局は極秘裏に立件を行い、検察庁は起訴審査手続きを一切経ず、裁判所も審理を行わないまま、公検法三者が結託して密室裁判を行い、楊さんに対し不当に懲役3年の判決を下した。この一連の過程について、楊さんおよびその家族には一切知らされず、ある日突然、懲役4年の実刑判決を知らされた。
2025年3月26日、楊さんは山東省の刑務所に移送された。
現在、80代の高齢者である楊さんは、山東省刑務所においてなおも不当な拘禁と迫害を受けている。
(注:法輪功学習者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)