【明慧日本2025年5月9日】すべての親は、自分の子供が立派に成長してほしいと願っています。では、どのような子供が将来有望だと言えるのでしょうか。三国時代の劉劭(りゅうしょう)が著した『人物志』(じんぶつし)には、それについて詳しく述べています。
劉劭は、三国時代の魏で実際に人事制度に携わった人物で、『人物志』を著して人の能力・品評・登用について詳しく書きました。劉劭は本書で、平淡無味であらゆる変化に対応できる「中和」や、五徳(仁、義、禮、智、信)をバランス良く兼ね備えた「中庸」の人物を高く評価しました。
劉劭は本に「人の質といえば、中和が最も貴重である。人の気質が穏やかで中和であれば、きっと平和で淡泊でいられて、五種類の人材(仁、信、忠、智、勇)に育成させることができ、変化に応じることができる。人を考察する際、平淡でいられるかどうかを見極めるのが第一で、聡明さは二の次である」と書きました。極端に走りやすい性格の持ち主は、たとえ早くから特定の才能を極めることができたとしても、早熟な苗のように自己の極端な気質に囚われ、その後の成長が難しくなります。極端な性格が一度形作られたら、その弊害に当人は気づきにくく、逆にそれを強化していきます。劉劭は、それぞれの性格の欠点を下記のように分析しました。
強すぎる人は負けず嫌いで決断を下すのも速いのですが、自分の強さが妥当かどうかを考えず、譲歩することを人からの妨害と見なし、ますます人と対立するようになります。このような人は法律やルールを定めるのに適していますが、民情を視察し民の苦情を聞くような仕事には向いていないでしょう。
従順すぎる人は、寛容で優しいのですが、事態が混乱していくかどうかを考えず、迅速な行動を厳しすぎるものと見なし、ますます安楽な状態に甘んじます。このような人は従来の規則に従うのに適していますが、突発な事態に迅速に対応しなければならない仕事には向いていないでしょう。
勇敢すぎる人は、勇ましく奮起しますが、無謀がもたらす損失を考えず、慎重さを恐怖心と見なし、ますますガムシャラに行動します。このような人は困難を克服するのに適していますが、規則を守ることは難しいでしょう。
慎重すぎる人は、危険を避けて安全意識が高いのですが、正義感に燃えて勇敢に行動することができず、勇敢さを軽率と見なし、ますます疑心を強めます。このような人は保身的で、大義の節操を築くことは難しいでしょう。
頑固すぎる人は、ぶれずに自分の意見を最後まで通そうとしますが、その意見に感情的な部分があるかどうかを考えず、周囲からの説得を全部否定して、ますます独自の道を歩みます。このような人は真理を守るのに適していますが、周囲に協力してもらうのは難しいでしょう。
思弁的すぎる人は、話術に長けていますが、多く話す中で「言多必失(げんたひっしつ)」のミスを犯すかどうかを考えず、つまり、言葉を多くすればするほど、不注意や失言する可能性が高まります。規則を束縛と見なし、ますます自由奔放に持論を言いふらします。このような人は弁論・議論に適していますが、規則を確立するような仕事には向いていないでしょう。
八方美人な人は友達が多いけれど、自分がどんな友達と付き合っているのか考えず、正直さを極端だと捉えてしまい、流されやすくなります。このような人は人間関係を上手に取り持つことができますが、世の中を動かすほどの影響力を持っていません。
直情(ちょくじょう)的過ぎる人は悪を強く憎んでいますが、自分の器量が狭いかどうか考えず、団体に溶け込むことを正義を曲げることと見なし、古い考えにますます固執していきます。このような人は原則を守ることに適していますが、柔軟性に欠けます。
活発過ぎる人は大きな夢を持っていますが、自分の能力がそれに足りているかどうかを考えず、静かに過ごすことを停滞と見なし、ますます目立ちたがります。このタイプの人は前進と革新に向いていますが、既成のものを守り、後始末をするのは苦手です。
穏やか過ぎる人は慎重に物事を考えますが、チャンスを逃しているかどうかを考えず、行動に移すのを軽率と見なし、自分の臆病を美化します。このような人は深く考えることに向いていますが、効率的かつ迅速に行動するのは難しいです。
質素過ぎる人は正直で誠実ですが、空気を読めなくて、真実がその場で言ったら適切かどうかを考えず、戦略を偽りと見なし、自分を隠さずにいます。このような人は信頼できますが、機密事項に関わるのは難しいです。
賢過ぎる人は計算高いですが、自分の意図が道徳に背いているかどうかを考えず、質素なことを愚かと見なし、ますます言葉巧みに振る舞います。このような人は見た目は立派で、正義の事業を吹聴する時に使えますが、表向きの顔と裏の顔を持っているため、警戒しなければいけません。
そのため、子供が極端な性格を示したら、将来その性格に悩まされないように、親は早いうちにそれを修正することが大切です。子供を指導する際には、親は中庸の心を持って子供の純真を理解し教育し、子供と共に成長することが重要です。もし親自身がずる賢くて偽善者であれば、かえって子供の素朴さを愚かだと決めつけてしまう可能性があり、そうすると子供に歪んだ教育をしかねません。
成長してしまった子供に対し、性格を変えるのは難しいのです。その時、親は子供の特性に合わせた教育を心がけ、子供に好きなことをさせてあげるべきです。名声や利益のために、親の意思で無理に子供に職業を選ばせると、子供はこれからの人生にきっと多くの挫折を味わいます。そのような子供がもし心を修養することができなければ、自分の人生にきっと不満を持ち、性格の極端さは改善されず、かえって強化していきます。
子供にとって最も良い教育は、本物の伝統文化を学ばせて、心の修養の大切さを教えてあげることです。伝統文化は人間の心を育てる修養の文化であり、伝統文化で自己を磨き、道徳を高めるための物語、哲学、知恵が満載しています。それにより、温和で礼儀正しく、仁、義、礼、智、信を備えた伝統的な中国人が無数育てられました。