善行を多くすれば運命は変わる
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 【明慧日本 2025年5月9日】人の運命は天によって定められており、自分の運命を変えることは不可能で、天命には逆らえないと思われています。しかし、善行を積むことで自分の運命を変えることができます。特に、人の命を救うような大きな善行を行えば、運命は変わり、悪い運命が良くなり、元々良い運命はさらに良くなります。この理を証明する二つの実話があります。

 一つ目は『輟耕録』から摘録した物語です。元の陶宗儀は戦乱を避けて、江蘇省松江一帯で半耕半読の生活を送っていました。農耕の間に木陰に憩った時、気づくままに木の葉に記した10年間のメモを、凡そ1366年の時に随筆集・『輟耕録』(てっこうろく)にまとめました。「輟」(てつ)とは、「停止」、「止める」という意味で、農耕の休憩時間にこの随筆集を書いたことを語っています。

 『輟耕録』にこう記載しました。浙江省瑞安市に飛云渡(ひうんと)という渡し場があり、ここの浪風は非常に強く、しばしば船が転覆し人が溺死する悲劇が起こります。ある放蕩不羈(ほうとうふき・何も制限も受けずに、自分の好きなように行動すること)な少年が飛云渡の周辺でよく遊んでいました。占い師は彼に、あなたの寿命は30歳を超えないと告げました。少年は、「長く生きられないなら、結婚して子供を持つ必要もなく、一生懸命働かなくてもいい」と思いました。そこで少年は散財して善行を行うことに専念しました。

 ある日、少年が飛云渡へ向かう途中で小さな包みを拾いました。開けてみると、中には銀貨と宝飾品が入っています。少年はその包みを持って、所有者が現れるのを待っていました。数時間後、使用人の格好をした少女が飛云渡にやって来て、岸辺を悲しげに歩き回り、川に身を投げようとしていました。

 少年は「なぜ、そんなに軽はずみに命を断とうとするのですか」と尋ねると、少女は「私はあるお宅の使用人です。お宅に婚礼があり、親戚から真珠のイヤリング2セットと、銀貨30余りを借りました。今日は返すことになっているのに、私は途中で紛失してしまいました。ずっと探したけど見つからなくて、主人の家に戻る顔がなく、死ぬしかないと思いました」と答えました。

 少年は拾った包みを開けて、中身を確認したら、それは少女が失くしたものだと分かりました。そこで少年は少女を家に送り、その家の主人に会いました。主人は深く感謝し、銀貨を贈ろうとしましたが、少年は断りました。

 しばらくして、何らかのことで主人は少女を怒って、少女を嫁に出そうとしました。嫁ぎ先は飛云渡からそれほど遠くない場所にあります。

 1年後のある日、船に乗るため、少年は28人の友人と飛云渡の渡し場に来ました。そこである婦人に会い、婦人は少年にお辞儀をしました。よく見ると、以前にイヤリングと銀を失くした少女でした。婦人は結婚することになった経緯を話し、少年を自分の家に招きご馳走をしたいと言いましたが、他の人は先に船で川を渡ることになりました。船が川の真ん中に行った時、急に強風が吹き荒れ、大波が船を襲い、乗っていた人は全員落ちて亡くなりました。少年だけが奇跡的に生き残り、それから平穏な生活を送って、30歳を超えて長生きしました。

 次の話は、「善行を積むことで運命を変えられる」道理をよりはっきりと示しています。清の時代、昭勇将軍の号を授かった阮玉堂は、大将軍と共にミャオ族の村を攻めた際、数千人の村人が降伏しました。大将軍は村人を全員処刑しようとしましたが、阮玉堂は命をかけて大将軍に請願し、やっと数千人の命を救いました。阮玉堂は在職中に亡くなりましたが、家族には何の財産も残しませんでした。

 彼の息子、阮湘圃は正直な人で、質素な生活を送っています。ある日、阮湘圃は渡し場で布袋を拾うと、中にはたくさんの銀貨と公文書が入っています。この件は国の緊急事態に関わり、また銀を紛失した人の命にも関わると考え、阮湘圃は持ち主が現れるのを待ちました。

 夕方まで渡し場で待っていると、本当に自殺しようとするある男が現れました。話を聞くと男は、「公文書と銀を失くして、自分だけでなく上司にも迷惑をかけます。死ぬしかありません」と泣きながら言いました。阮湘圃は布袋を返し、自分の名前を特に明かしませんでした。

 数日後、阮湘圃は湖北省の漢口に旅をしたとき、そこに住んでいる古い友人の娘が、家が貧困のために遊郭に売られそうになっており、身売りの値段は銀200両でした。娘は家で自殺しようとしていました。偶然にやって来た阮湘圃はすべての所持金を友人にあげて、その金で娘に嫁入り道具を用意し、若い書生と結婚させました。

 阮湘圃の息子は阮元といいます。祖父も父も人を救ったので、阮元の代になると、良い報いが現れ、阮元は出世して朝廷の重要な官僚となりました。

 一つ目の物語の主人公である少年は、人生の挫折に直面しても落ち込んだり諦めたりせず、楽観的で優しい心を持って、残り長くないと言われた人生に立ち向かいました。運命を信じて改心した少年は、現世の運命に逆らわず、自暴自棄にならず、来世のために善行を行い福を積もうと決心したのでしょう。彼は正しい生き方を選びました。二つ目の物語の阮氏三世代は、「善を積む家には必ず幸福が訪れる」ということをさらに証明しました。

 少年の善意と行動、阮氏一家の大きな善行に、天の神々は気づかないはずがありません。天が人間に与える恩恵は、想像もつかないものです。少年に対して、天は少年の命を守り、さらに寿命を延ばしました。阮氏一家に対しては、天は良い報いを与えました。天は慈悲深いのではないでしょうか、天は公正ではないでしょうか。

 二つの実話から、私たちは一つ大切な教訓を学び取ることができます。それは、心から善いことをし、悪いことをしないよう自分自身を律する人は、現世も来世も間違いなく良い方向に進むということです。

 
翻訳原文(中国語):http://www.minghui.org/mh/articles/2012/2/19/253272.html