「四・二五」五周年を迎えて(その一)
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  五年前の1999年4月25日、一万名あまりの法輪功学習者は法律に与えられた公民の権利に従い、北京府右街にある国務院の陳情取扱事務所まで上申を行った。当時法輪功学習が表した平和・理性・寛容・自律・忍耐と高徳の行為は国際社会を震わし、海外のマスコミに高く評価された。

 しかし、同年7月20日に江沢民らは突然法輪功に対して全面的な弾圧をはじめた。政府がコントロールしていたあらゆるマスコミを使用して、法輪功に対して天地を覆い隠すかのように誹謗中傷し、中国乃至世界に中国政府の虚言があふれており、法輪功はこの時から無実の罪を着せられてしまった。4.25事件は法輪功が政治に参与した証拠およびその後の弾圧を引き起こした引き金であると、一時数多くの人々に思われていた。

 4.25事件の五周年を迎えるに際して、当初の4.25事件の経緯を振り返り、4.25の真相を明らかにすると同時に、より多くの人々に中国で発生しているこの災禍と4.25事件の意義をご理解いただければ幸いである。

 一九九九年四月二五日は歴史に銘記されるべき日である。

 目次:

 一、4.25上申の歴史的背景
 1. 法輪功が広く伝わる
 2. 暗流が沸き返る黒幕で行われた調査
 3. 政府の調査、法輪功を高く評価

 二、4.25平和的な上申、共通認識を達成、円満に解決
 1. 事件の引き金:天津事件
 2. 互いに信頼し合い、平和・理性が現れ

 三、弾圧に口実をつけるために落とし穴を作る
 1.4.25事件は政治的な陰謀
 2. 警察の指揮で法輪功学習者は中南海を取り囲んだ
 3. 山雨来たらんと欲して風楼に満つ

 四、江沢民は政府の決定を無視し、独断でジェノサイドを起こした

 五、4.25は江沢民らが作った法輪功への弾圧の口実であり、同時に法輪功学習者が時代の脚光を浴びるきっかけとなった。

* * * * * * * *

 一、4.25上申の歴史的な背景

 法輪功の4.25平和的な上申活動は決して突発事件ではなく、江沢民らが大げさに言ったような、法輪功学習者が中国政府所在地である中南海を取り囲んだ政治的な事件でもない。法輪功が伝えだされてから1999年7月20日弾圧されるまでの間、迫害は1996年7月の「光明日報」が法輪功を非難し始める事件から1999年4月の天津警察は法輪功学習者に対して暴力を行使する事件までエスカレートし、この過程は三年間も続いた。

 1. 法輪功は広く伝わる

 1992年5月13日、法輪功創始者である李洪志先生は長春で一期目の法輪功講習班を開き、正式に社会に法輪功(法輪大法とも呼ばれ)を伝授し始めた。その後、法輪功は中国大陸で広く伝わっており、幾千幾万の人々は身心共に健康になり、道徳水準が高まった。政府は公に法輪功を支持して普及させ、法輪功の素晴らしい効果に対して表彰した。

 政府側の中国気功科学研究会が、李洪志先生に気功師証書を授与し、1993年北京の法輪功研究会に“中国気功科学研究会の直轄功法登録証を交付し、法輪功研究会を“学術団体”として認定し、業務範囲が“理論研究、功法の普及、気功の各種相談”であると、正式に表明した。

 1993年8月31日、中国公安部に所属する“危険に陥る人への助けを励行する”基金会は中国気功科学研究会に書簡を送り、李洪志先生が当該組織に表彰された方々に無料治療を行ったことに対して感謝の意を表した。公安部の発行する「人民公安報」は1993年9月21日にこれについて特別報道を行った。同年12月27日、当該基金会は李洪志先生に表彰状を授与した。
 
 1993年、李洪志先生は北京で開催された東洋健康博覧会の最高賞である「学際科学進歩賞」と博覧会のグランプリを獲得し、「最も歓迎される気功師」の称号を授与された。
 
 李洪志先生の著作『転法輪」は1995年政府側の中国放送出版社に出版され、1996年1月、「北京青年報」に北京の十大のベストセラーとして挙げられていた。
 
 1999年初まで、中国政府側の統計によれば、中国大陸において少なくとも各階層にわたる7千万人以上の人々が法輪功を修煉していたという。

 2.法輪功の名誉を毀損することを仕掛ける

 数年の間、法輪功学習者が数千万人まで増加し、すさまじい勢いを見せたため、中国共産党の幾人の指導者はこのことが政治問題まで発展してしまうことを懸念していた。一部の指導者はこの情勢を利用して、絶えずトラブルを起こし、自らの政治資本を手に入れようと企み、徹底的に調査しながら、不当な宣伝を流すなど、法輪功の名誉とイメージを損なう事件はしばしば起きていた。

 1996年6月17日、国務院の機関紙『光明日報』は社説を発表し、法輪功を批判した。1996年7月24日、中国新聞出版局は全国に「法輪功の出版物の発行を全面的に禁止する」という通達を下した。

 1997年の始め頃、公安部は全国で調査を行い、法輪功を「邪教」に定めるための証拠を集めようとしていた。全国の公安局は調査を経て、「問題はない」と報告し、調査は終了した。

 1998年5月末、悪名高い悪徳な科学者である何祚?が北京テレビ局のインタビューで法輪功がいかに有害であるかをさんざん言い触らしたため、その後北京テレビ局は法輪功のある煉功点を取材した番組の中で、法輪功が「迷信」であると言い切った。この番組が放送された後、何祚?に言及された当事者をよく知っている学習者はすぐ「その人が法輪功学習者ではないため、事実無根な報道である」と何祚?本人と北京テレビ局に対して指摘した。その後、一部の学習者は中央政府の気功に対する「批判しない、議論しない、報道しない」という政策に従い、テレビ局に書簡を提出したり、直接テレビ局を訪問したりして、自分の経験から法輪功の真実を話した。北京テレビ局の指導者は「これは北京テレビ局史上最大の誤りだ」と非を認め、その後法輪功学習者が朝公園で穏やかに煉功し、他の人と一緒に朝の健康運動に取り組む番組を放送した。

 1998年7月21日公安部一局から公政「1998」第555号『法輪功への調査に関する通知』を発行した。『通知』は、調査に先立ち、罪をまず定めてしまうという手順を取った。『通知』の中で、まず法輪功の創始者李洪志先生が虚言と邪悪を広め、一部の中堅の法輪功学習者は法輪功を利用して不法活動を行っていると結論付けた後、内部の状況をよく調べ、法輪功を利用して不法な行為と犯罪の証拠を掴み、各地の公安と政府部門が徹底的に調査するようにと書いてあった。

 この『通知』をきっかけに、全国の多くの地区の公安部門は何の証拠もない情況下で不当に法輪功の煉功点を取り締まり、学習者を追い散らしたり、家宅捜査をしたり、個人の財産を押収したりしていた。国のマスコミが「報道しない」という態度を取っているため、煉功していない絶対多数の人はこの異変に気づかなかった。

 3.政府側の調査、法輪功を高く評価
 
 98年の下半期、法輪功学習者に対する公安の間違った扱いに関して国民から大量の書簡が政府に送られた。これらの書簡に基づいて、喬石を始めとする第一線を退いた全国全人代の元幹部は、法輪功に対して詳しく調査し研究を行った。その結果、「法輪功は国民に百利あって、一害なし」と結論づけ、98年の年末、江沢民を始めとする政治局に調査報告を提出した。

 これまで、国家体育総局も1998年5月に法輪功に対して全面的な調査を行った。9月医学者から構成されているチームは今回の調査に協力して、広東の12553名の法輪功学習者に対してアンケート調査を行い、その結果、法輪功の病気治療と健康保持の有効率は97.9%に達していることが分かった。10月20日長春とハルビンでの調査の担当者は「法輪功の効果が非常に素晴らしいのであって、社会の安定と精神文明の促進に著しい効果があった。この点について十分評価すべきだ」と述べた。大連と北京で行われた法輪功に対する調査も同じ結果を得た。

  (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2004/4/22/72943.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2004/4/26/47425.html)     更新日付:2011年9月27日
 
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