中国科学院研究専門家が「4.25」をふり返る(写真)
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  11年前の4月25日、法輪功修煉者たちは当たり前に憲法で保障されている修煉の場所と信仰の自由を守るため、1万人以上が中国国務院陳情の窓口へ向かい、平和的陳情を行った。中共(中国共産党)の圧力・強権の前でも自分の信仰と自由を守る精神、平和、理性的行為、デマと嘘に騙されている人々に必ず真相を伝える精神が世界中を感激させた。しかし今でも、4.25にもし法輪功が中南海を囲まなかったら、中国共産党が法輪功を弾圧しなかったと言う人がいるかもしれない。

  実は、これこそ中共が事前に計画した、法輪功を迫害するための落とし穴である。11年前の陳情に自ら参加した、元中国科学院リモートセンシング研究所の副研究員・劉静航さんは、どうしても忘れられないその11年前のことをふり返った。


煉功をする劉静航さん

 劉さんは夫と共に1999年「4.25」の法輪功修煉者たちの平和的陳情に参加していた。彼女は11年前のできことを記者にふり返った。下記の記述はその詳細である。

  陳情の起因

  1999年4月11日、何祚シウは天津市発行の『青少年科学技術博覧』という雑誌に法輪功を中傷する内容の文章を載せた。天津市の法輪功修煉者たちはそれを見つけ、出版社側に真相を伝え、事実関係を明らかにするように求めた。しかしながら、この行為が公安局の弾圧を受け、説明に出向いた修煉者たちは暴行を受け、逮捕された。当時、45人の法輪功修煉者が不当に逮捕された。何祚シウは中国科学院に勤めており、中国科学院に働く修煉者たちは彼に電話をかけて面会を要求したが、彼は拒否した。我々は続いて中国科学院院長に手紙を送り、彼が科学の精神に背いて、意図的に法輪功を中傷していることを明かした。

  落とし穴

  1999年4月24日の夕方、多くの地方にいる法輪功修煉者たちが陳情のためにバスに乗って上京した。政府は道路のいたる所やサービスエリアに検問所を設けていた。北京市内は外からくる人々であふれていた。はじめて上京した人ばかりなので、陳情の窓口はどこかと尋ねる人が多かった。先に来た人はすでに中南海の国務院の陳情窓口である「信訪弁」周辺に集まっていた。しかし、今までと違って、そこの警察は彼らがやってくるのを知っているように、追い払わないし、何のために来たかとも訊ねず、知らんふりをしていた。こうして、多くの人が中南海周辺に集まっているのに、警察が聞こうともしないことは、警備体制が厳しい北京ではあり得ない。

  ある記事ではその時のことをこのように書いている。「公安部は法輪功修煉者たちが上京する以前からの行動を全部把握していた。決して、中国国内で言われているように何も知らなかったのではない。中国中央テレビ局が法輪功を弾圧する時に放送に使った映像からも明らかになっているように、公安当局は法輪功修煉者がどこのバスに乗り、どこで降りたか、何時に北京に到着したか、どのルートでどこを経由し、『信訪弁』に集まるかを全部把握していた。当局はすべてをビデオに納めていた」という。上述から、明らかに公安当局は意図的に落とし穴を設置し、法輪功を弾圧するための「証拠」を集めていたのだ。

  警察が府右街道路まで誘導、中南海を囲ませた

  「4.25」朝6時過ぎ、私は夫と共に国務院の「信訪弁」に陳情のために向かった。下車すると、西安門大街歩道の両側は多くの修煉者たちであふれていた。昨夜来た陳情者たちは一晩ここで待っていたという。修煉者たちはきちんと並んで「西安門大街」歩道に立っていた。「信訪弁」はここだった。当時、府右街には人がいなかった。我々の目的は国務院の「信訪弁」(「西安門大街」)に行って陳情することであり、決して後に言われたように中南海を包囲するためではなかった。

  その時、警察は「西安門大街」東側に立っている修煉者たちを南の方向に誘導し、府右街方面に並べた。私は当時すぐに、おかしい、変だと感じていた。しかし、それ以上は考えなかった。法輪功修煉者たちは組織して来たわけではないので、警察の誘導に完全に従っていた。私も前に立っている修煉者の後を追って、南側の府右街からさらに南へ歩いていた。しかし、続いて、別の警察が、向こう側からほかの修煉者たちをこちらの方向へ誘導していた。こうして、両方が繋がった。警察は我々に府右街の道に立ちなさいと命令した。我々は自発的に三列に並び、間に人が通れる歩道、芝生と池を避けて立った。当時1万人が集まっていたので、長安街、西四、西単、北海、および小路は集まった法輪功修煉者たちであふれていた。結果からみると、警察に誘導され、中南海を包囲したように並べられたにすぎない。修煉者たちはみんなとても優しく、これが落とし穴であることをだれもが想像もしなかった。

  スローガンはなく、叫び声もない

  その日の天気はとても良かった。私は太陽光の色が奇妙に変わっているように見えた。オレンジ、ピンク、藍、緑・・・。私は上を向いて天空を望みながら心は少し興奮していた。我々を神様が天空から見守っていると感じていた。我々はとても静かに立っていた。スローガンや叫び声は全くなかった。憎しみや怒りは全くなかった。みんなが手に『転法輪』を持って読んでいた。我々は心から政府を信じて、法輪功の真相を理解し、天津で逮捕された仲間を釈放してくれると、誰もがそう思っていた。

  朝8時ごろから周辺に戒厳令が出された。府右街周辺にたくさんの警察車両が止まっていた。集まってきた警察と修煉者たちが緊張した雰囲気の中で対面しながら立っていた。警察の車両が先頭を走り回り、ビデオ撮影を始めた。1人も逃さないように撮影をしていた。その時、みんなこれはのちの弾圧のための証拠集めだと知っていた。路上は警察と私服警察であふれ始めた。許可なしで誰もここ(修煉者がならんでいる中)へ入ることもできないし、外へ出ることもできない。海外のマスコミも入れない。中の雰囲気はとても恐怖に満ちていた。

  午前8時ごろ、「信訪弁」のスタッフが正門から出てきて修煉者と会い、代表の人を中へ呼んだ。修煉者たちは互いにあまり知らないし、だれが代表とも分からない。誰でも手を挙げて中へ入って真相を伝えたかった。「信訪弁」のスタッフはこの様子を見て、先頭に立っていた3人を指名した。指名された3人の法輪功の代表が「信訪弁」の担当者に三つの要求を提出した。一、天津で逮捕されている法輪功修煉者を釈放すること。二、法輪功修煉者に公正、合法的修煉のできる環境を確保すること。三、法輪功の書籍を一般書籍のように出版、発行できるようすること。

  法輪功修煉者たちの慈悲、安らかさは、人々を感激させた

  警察の行為はまるで敵と戦っているように緊張した雰囲気を感じたが、対照的に、法輪功修煉者たちの行為は慈悲で、とても安らかさを感じさせた。自ら秩序を保っていた。道路のルールを守り、ゴミやくずを何も残さずにきれいに保っていた。他の人の落としたごみまで拾う人もいた。私の前に立っていた修煉者は朝から晩までずっとそのまま立っていた。夫は60歳を過ぎているのに、朝の7時から夜の9時まで、水も飲まず、何も食べずに、トイレすら行かなかった。動くことはなかった。しかし、非常に元気だった。不思議としか思えない。

  警察はそのようではいられなかった。しばらくしたら、水を飲んだり、座ったり、お互いに話し合ったりしていた。中に、修煉者たちに声をかける人もいて、笑顔で話かけて煉功のことを尋ねていた。中に法輪功修煉者の行為を理解して誇りに思っている警官もいた。

  問題解決、危機を乗り越える

  午後、北京の列車駅周辺で私服警官が見張りをしていた。私服警官たちは自分が法輪功修煉者だと装い、法輪功修煉者だと名乗り、列車から降りた人々を「信訪弁」まで送ると話しかけていた。しかし、地方から来た修煉者たちは、警察が用意した大型のバスに乗ると騙されたことに気付いたが、降りようとしたら殴られ、逮捕、連行された。どこへ連行して監禁したかは不明だが、多くの人がこうして逮捕された。中の1人が自力で逃れて外に出てからこのことが発覚した。中国共産党は修煉者たちに暴力を振るって連行し、不当逮捕を始めた。

  ある修煉者の親戚は、中南海の警備部隊の隊員だった。夕方、彼の家族が緊急連絡を入れた。直ちに自宅に戻るように言われた。警備部隊に機関銃で打つ命令が下されたという。帰宅しないと撃たれる危険があると電話の向こうで話していた。中国共産党はその時、暴力と殺人の準備をしていた。しかし、慈悲で平和な修煉者を撃つきっかけが見つからなかった。法輪功修煉者たちの平和で慈悲な行為が今回の流血を避けた。後に明らかになったが、当時の江沢民中国共産党主席は防弾車の中にもぐり、現場近くで外の様子を覗き見していたという。

  ほら見て! これこそ道徳だ

  夜9時ごろ、中に呼ばれた修煉者の「代表」が「信訪弁」から出てきた。「信訪弁」のスタッフの話では、天津に逮捕された法輪功修煉者たちを釈放したという。政府は法輪功の修煉の自由、信仰の自由を認め、関与しない政策に変わりはないと述べた。そして、何かあったらそれぞれの地方の「信訪弁」の窓口に行って陳情するようにと伝えた。皆は問題が解決されたと思い、解散し始めた。すぐに解散した。1万人以上もいたが、静かで混雑や叫びはなく、すみやかに解散した。紙くず一つも地面に残っていなかった。中国社会において、これは本当に不思議としか言えない。ある女性警官は、当時去って行く修煉者たちを指さして、仲間の警察に「ほら見て、これこそ道徳よ!」と話した。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2010/4/23/222034.html)     更新日付:2011年9月27日
 
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