四川省成都市に在住の法輪功修煉者・王明蓉さんは、2011年9月7日前後に新津洗脳班に拘禁され、施設内で残虐な迫害を受け、9月17日前後にこの世を去った。
現在、金牛区610弁公室は、王さんの家族に巨大な圧力をかけており、そのため王さんの家族は王さんが死亡したことを誰にも伝えることができないという。王さんの多くの友人は、いまだに王さんが迫害されてすでに亡くなったことを知らない。
王明蓉さん(53歳女性)は、成都市金牛区茶店子蜀躍路6番普羅旺斯団地に住んでいた。王さんは成都市リハビリテーション病院の看護婦長を務めており、2011年9月7日頃、成都市金牛区金泉街道オフィス、金泉派出所、610弁公室の警官らによって、新津洗脳班に不当に連行された。その後、王さんは拘禁されてから10日も経たないうちに迫害されて死亡した。
事情を知る人によると、王さんは生前、断食を行い迫害に抗議したが、野蛮な灌食の拷問を受けた上、リンチを受け、王さんの遺体は全身傷だらけだったという。
新津洗脳班は法輪功修煉者に対して、各種の拷問を実施し、不明薬物を注射するなどの迫害を行なっている。新津洗脳班によって迫害されて死亡した事例は、何度も伝えられている。原成勘院の退職エンジニアで法輪功修煉者の謝徳清さんは2009年4月29日に成都勘院と府南街道オフィス、610弁公室、石人南路コミュニティ、府南派出所の連携の下で、身柄を拘束された。謝さんは派出所で、所長・劉川などに殴打され、傷を負わされた後、新津洗脳班に送られ、20数日後に迫害の末死亡した。謝さんは生前、新津洗脳班により強制的に病院に送られ、いわゆる身体検査を実施され、不明薬物を注射された。謝さんはその後、「十日近く水を飲むことも、食事を取ることも難しくなった」と苦しみに耐えながら語っていたという。謝さんは亡くなるとき、両手が黒くなり、死後もその遺体は少しずつ黒く変色していった。
新津洗脳班で迫害された謝徳清さんは、釈放後まもなくこの世を去った
新津洗脳班は四川省成都市新津県花橋鎮菜湾村に位置している。新津洗脳班は1999年7.20以降、一貫して法輪功修煉者を不法に拘禁して迫害を行なっている。また、迫害による死亡事件も何度も発生している。5.12四川大地震の発生後、6階建ての新津洗脳班のビルは内部に亀裂が発生し、危険なビルと判断されたが、四川省成都市共産党委員会は近くに位置していた亜非歯科技術学校と合併して新たに洗脳班として利用し、引き続き法輪功修煉者を迫害した。
四川省成都市新津県花橋鎮菜湾村に位置する新津洗脳班
新津洗脳班の頭目・殷舜尭は、一部の法輪功修煉者の家族が面会のために洗脳班に訪れると、親切さを装って、修煉者の家族に、親族の修煉者を転向させるよう言いくるめ、協力させようとした。自分の信仰を堅持し、法輪功を放棄しない修煉者に対しては、手段を尽くして迫害し、面会も許可しなかった。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)