文/湖南省岳陽市の大法弟子 李蓮(仮名)
一、機縁を大切にして、再び修煉を始める
私は今年70歳で、98年の年の末頃から法輪功の修煉を始めましたが、1999年7.20から始まった中国共産党による法輪功迫害により、当時学法をして日が浅く、法理の理解も浅かった私は、修煉を止めました。そして2003年3月、友人が私に『轉法輪』を渡してくれました。師父は『轉法輪』の中でこう説かれています。「もちろんわれわれは縁を重んじます。皆さんがここに坐っていることは、すべて縁によるものです」私はこう思いました。私は大法と縁があるため、師父は私を放棄せず、同修を通して私を呼び戻させました。
ここ数年、私は絶えず学法、煉功をする中で、修煉者は何をどうすべきかが分かってきました。こんな良い大法を、何故一回目はいとも簡単に諦めたのでしょうか?もっと早いうちにこんな良い大法を修煉し始めたら、常人社会に惑わされて悪いことをせず、自分の体をここまで壊すこともなく、苦しい思いをしながら日々を過ごすこともなかったのにと思いました。今回を機に、私は大法修煉を最後まで堅持し、法を良く学び、功をよく煉り、三つのことを徹底的に実行することにより、自分に遺憾な思いを残さないようにしようとを決心しました。
二、神秘的な力が私を車輪の下から引っ張り出した
2009年10月27日は私にとって忘れ難い日でした。その日の夕方の7時頃、娘婿が足を骨折したため、医者に骨を接いでもらってから市一病院で写真を撮るようにと言われました。私は市一病院の入口付近の階段で娘と娘婿を待っていました。
入口付近の右側に一台の救急車が止まっていって、私の所まで3~4メートルの距離でした。自分でもはっきり分かりませんでしたが、ずっと立っていた私は、いつの間にか何故かしゃがんでしまいました。突然背中に激痛が走り、そして一瞬、暗い洞窟から誰かに引っ張り出されたような感じもしました。私は立ち上がって見ると、先ほど見た救急車は、私がしゃがんでいる所までバックしてきて、ちょうど私の背中を圧迫した所で止まりました。そして、私がそこから引っ張り出されました。
その時私は怖く感じませんでした。師父が『転法輪』の中で説かれています。「このような状況に遭う人はみな怖いとは思いませんが、後になって怖くなるかも知れません」私は運転手さんに叫びました。「どのような運転をしているのですか? バックするなら後ろに人がいるかどうか確認しないといけないでしょう」私の声を聞いて、何人かの保安員が駆け付けてきて、事情を聴きました。私は言いました。「私はここにしゃがんで人を待っていたのに、この運転手さんが後ろを確認もせず、私の背中まで車をバックしてきて、背中が車輪に圧迫されて痛くてたまりませんでした。幸い私は法輪功修煉者です。師父が私を車輪の下から引っ張り出してくれました。師父が私の命を救ってくれました。そうでなければ今日私はここできっと死んでいたでしょう」
私は外套を脱ぎ、彼らに見せましたが、そこに車輪の跡がはっきり映っていました。彼らは私に謝り、病院で検査を受けるようにと勧めましたが、私はそれを断って、これを機に大法の素晴らしさを説明し、この事件を利用しみんなに真相を伝えました。一人がその場で三退しました。
のちに娘と娘婿もこの事件を知り、私に病院で検査を受けるよう勧めてきましたが、私はこう言いました。「大丈夫です。師父が私を守ってくれました。それに、師父が他人のことを先に考えるようにと言われていますので、私はこうして無事ですし、人に迷惑をかけないようにしましょう」保安員の一人が言いました。「あなたのお母さんは本当にいい人ですね。法輪功の学習者ですね。法輪功は素晴らしいです」世の中の人が真相を知ったのを見て、私は気持ちよく帰宅しました。
三、もっと沢山の人を救う
家に戻ったその日の夜、私は昼間経験したことの経緯を主人に言い聞かせました。言いながら、私は当時の状況を思い出し、戦慄を感じました。ベッドに横たわっても体がずっと震え、一晩中一睡もできませんでした。法輪大法を修煉しなければ、私はもうこの世にいなかったでしょう。師父が私に二度目の命を下さったのです。
それから、私は更に精進し、延長して頂いた命は三つの事を実行する為にあると悟りました。今回の事件を利用し、私は周りの親戚、友人達に真相を伝え、三退を勧めてきました。(私には親戚だけでも十数世帯います)その中に、銀行の頭取、裁判官、警官、学校で行政を担当する人、そして政治法律委員会の書記もいます。皆が三退し、自分の為に良い未来を選択しました。
今の私は、知らない人にも対面して真相を伝えることができるし、私の勧めで三退した人も結構います。実質、これらの事はすべて師父がされていることで、私はただ、口と足を動かしているだけです。師父は、今、法を正す時期の最後に来ているので、もっと沢山の人を救うようにと言われています。私は師父の教えに従い、大法弟子として担うべき責任を担い、もっと、もっと、沢山の人を救うことに精進していこうと思います。