再び大法の修煉をはじめ、師父が按排してくださった道を歩む(一)
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 文/中国 黒竜江省の大法弟子

 私は中国の東北地方に住む大法弟子です。話せば恥ずかしいことですが、私は早くから、19965月に大法の修煉を始めました。「7.20以降、北京へ陳情に行ったこともありました。しかし、労働教養所で迫害を受けていた時、私は道に迷って大法の修煉から離れてしまいました。私は20088月に再び大法の修煉に戻りました。私が再び修煉を始めてから、師父が按排してくださった修煉の過程での、衆生を救い済度した体験をまとめ、法を実証したいと思います。

再び大法の修煉に戻る

 
 20088月、私は『転法輪(巻二)』を再び学ぼうと思い、本を借りるために以前、労働教養所で知り合った同修の家を訪ねました。驚いたことに、同修はすでに貴重な大法書籍を7冊準備してくれていました。それは、『各地での説法一』から『各地での説法七』まででした。その当時、ほとんどの同修はこれらの経文を持っていませんでした。そしてこの同修は、私と同様に修煉から離れ、再び修煉に戻った同修との交流の機会を按排してくれました。私は同修の支援の下で学法を行い、真の修煉を新たに開始しました。
 
 私が再び修煉を始めてから数日間、夫は仕事の都合で家に戻ってきませんでした。その数日間、私は集中して師父の『各地での説法一』から『各地での説法六』まで学法し、1度も外出しませんでした。昼夜を問わず、眠たくなったら寝て、起きたら学法をする日々を続けました。『各地での説法六』まで学法した時点で、私は大法の真相を伝え、衆生を救いたいと思うようになりました。しかし、私6年間を無駄にし、修煉を遅らせていたこと分かっていましたので、真相を伝える、相手よく分かってもらえるように伝えられるか不安でした。そこで私は、同修から真相資料をもらい、もし私が説明して分かってもらえなければ資料を読んでもらえばいいと考えました。翌日、同修の家へ行き、『転法輪』を一緒に学法していた時、私は自分自身の身体が複雑かつ四方八方に枝分かれしている木の枝のように見えました。さらに学法するにつれて、レーザーのようなものが、ばらばらになっていた私の身体を素早く調整している光景が見えました。
 
 この日は多くの資料を持ち帰りました。さらにこの同修は、当地の非常に精進している同修を私に紹介してくれました。この同修(以下さんと呼ぶ)は三つのこと非常によく行なっていました。それ以降、私は姉さんと連絡をとっています。彼女はとても多くのことを手助けしてくれます。
 
仕事の機会を利用して 大法の真相を伝える
 
 真相を伝えるには、まず知人から始めようと思いました。もし1度ではっきり説明できなくても、まだ説明する機会があるからです。私が最初に「三退」を勧めた人は、私の同級生でした。ある日、同級生から電話があり、遊びに来るようにと誘われました。それを聞いた私の最初の一念は、「彼女は真相を聞きたがっている」ということでした。そして、私は喜んで彼女の家へ向かいました。私は「三退」の理由をそんなに話しませんでしたが、彼女の方からよく質問してきました。聞かれたことは全て、私が知っていた迫害以前のことでした。私の話を聞き、私の知識が豊富だと言って彼女はとても感心していました。彼女と話しただけで、彼女はすんなりと「三退」に同意しました。
 
 その後、親戚が炊事の仕事を紹介してくれました。私はこの話を聞いて、師父が按排してくださったのだと思いました。私は親戚に仕事を探してくれるよう頼んでいませんでした。親戚は物流会社を経営しています。私は先に、この親戚の会社で毎日2時間ほど掃除の仕事をして、その後、食事を作りに行きました。会社に出入りする顧客は多いのですが、ほとんど同じお客さんでした。私は慌てず、まず私のことを知ってもらい、親しくなってから真相を伝えようとしました。2カ月後、ある運転手さんが商品を受け取りに来ました。この時、ちょうど姉さん同修がいましたので、彼女が大法の真相を伝え始めました。私はこの時、初めて他の同修が真相を伝える現場に立ち会ったのです。その運転手は大法の真相を理解し、何度も感謝して「三退」に同意しました。その運転手は帰る時、とても喜んで姉さんに感謝し、姉さんが付けた仮名を何度も繰り返し、大きな声で言っていました。
 
(続く)
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/9/17/246841.html)     更新日付:2011年9月30日
 
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