93、99、2011、生命の三度の飛躍(二)
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文/中国の大法弟子・鐘言

 (明慧日本2012年1月11日)1996年のある日の昼、私は全市の集団大煉功の後、公園の一つの小さい丘の上に立ったとき、突然一陣の強大無辺な宇宙の深いところからの慈悲なるエネルギーが満ち、自分が灼熱の鋼水に落ちたように感じました。これは法のエネルギーが私を浄化しているのだと分かりました。そのとき、師父がなぜ宇宙の特性が真・善・忍であるとおっしゃったかはっきり分かりました。その全過程で、私は完全にすべての思惟がなく、ただ自分がいることだけが分かっていました。この真・善・忍のエネルギーが私を離れて宇宙の中へ戻っていった後、私は完全に浄化され、どんな観念も、どんな執着も、どんな人心も見えず、全身の一つ一つの細胞がみな慈悲で満たされ、誰かを思うと涙が流れ、完全に静かで何も考えず、慈悲の状態にいま した。

 私がまだこの純粋な状態を安定させていないうちに、悦楽と順調な環境が突然大きく変わりました。両親は毎日、私に恋人を探すことを迫り、私が動かないのを見て、すべての親友を呼んできて私に勧めましたが、私が相変わらず動かなかったのを見て、煉功場所に行って大騒ぎしました。煉功場所の同修は皆私に反対し、大法のイメージを破壊し、常人の状態に符合していないと指摘しました。「大法を破壊した」という汚名を被せられ、私は怖くなってすぐ結婚しました。結婚して気がついたのは、自分に徐々に常人の観念、常人の執着が生じ、常人の状態になってしまったことです。

 それから息子が生まれ、あまりにも可愛く、ベビーカーに乗せて街に出ると、美女より振り返る人が多く、妻の関心は完全に息子に向いていました。輔導員になった私は再び多くの時間がありました。1999年の初め、私は再びとても静かな状態の中におり、街で一棟一棟のビルを見て、遠くて不思議だと感じました。人々はなぜ世間でこんなに興味津々に生きていて、他の人が私と話すとき、私はとても遠いとよく感じ、他の世界の人は私と関係のない話をしているようで、私は頑張って耳を傾けなければならず、はじめて自分の注意力をこの世間に留められたのです。当時、私は見れども見えず、聞けども聞こえず、心ここにあらずの状態にいました。私はときには自分がこの社会と何も関係なく、非常に遠くて不思議に感じていました。ある日、私はバスから高層ビルを見て、隣の同修に「人々があんなに多くの部屋にいるのは何のためでしょうか?」と不思議に思って聞きました。私は人々の欲望と執着を感受できませんでした。

  1999年2月、私は座禅するとき手で足を持ち上げなくても、両足だけで組み、足はほとんど痛くなく、よく組めました。ある日、全市の数百人の集団大煉功で、皆で座禅をしました。私はすぐ入静し、まだ禅定に入らないうちに、体はすでに空になり、突然無比で強大なエネルギーが体内に満ち、体は完全にエネルギーに変わり、 体の存在がすでになくなり、同時に胸部にある巨大なエネルギーが突破して頭のてっぺんに到達したとき、私は我慢できず号泣しました。それはつらい感覚ではなく、慈悲のエネルギーに包まれていました。その後、地面から強大な光が放射し始め、私の体内にも強大な光が放射され、全身が光になり、ますます明るくな り、さらに体の一つ一つの部位の光さえ極めてまぶしくなり、自分はまもなく功を開くと強く感じました。しかし、その肝心なとき、私の頭の中に突然一念が生じました。私は大根基の人で、頓悟がいい、閉めていただくよう師父にお願いしました。この一念を出すと、体内外のすべての光が一瞬に消え、私は新たに暗黒に戻りました。

 そのときから私は座禅をするとき全然痛くなく、 毎日朝4時に起きてテープレコーダーを持って煉功場所に行って煉功し、当時の私は2時間座禅ができました。その煉功場所は全市で最大の煉功場所になりました。 4.25の後、私は煉功場所の協調人と一緒に全市の同修を連れて大法を実証しました。ある日、省への陳情から帰ってくる途中、私の頭は突然真っ白になり、 静かで思惟が何もない状態でした。当時、私はホテルである青年輔導員を待っているとき、ちょうどソファの上に『転法輪』があり、「論語」を半分拝読していたところ、各層各層の異なる境界の内涵が見えました。家に帰った後、同修が法に対する理解を話すと、私はすぐこの同修がどの次元の理解と認識であるか分かりました。それから、私は1カ月のうちに一つの念も生じず、頭は完全に静かで真っ白で、同時に周囲の一人一人の思惟を感受できました。

  共産党の迫害の激化につれ、私も法を実証する多くの仕事に参加しました。そのとき、私は自分が情もなく、慈悲もない状態にいると気がつき、不思議に思い、同修に「なぜ、私はこの状態なのでしょうか」と同修に聞きました。皆は笑って、「それは不可能です、あなたには情が必ずあります。だから、慈悲もないはずです」と言いました。その後、私が参加した大法の仕事が迫害され、私も中共に不法に労働教養を強いられました。出所後、私は自分に新たに常人の各種の観念、欲望、執着が形成され、再び常人の境地に堕落し、どんな微小な執着もどんどん拡大、強化されました。旧勢力は全力で私の経済状況を破壊し、私にたくさんの金銭での落とし穴を造って巨額の債務を負わせました。債権者は私を追って債務の返済を求め、私は経済と名誉、生活や仕事や家庭が完全に破壊され、とてもみじめでした。そして、私は再び煉功するとき、以前のような神聖さとすばらしさは完全に消え、大法書籍の内包も見えなくなり、表面の意味だけが分かるだけでした。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/22/248894.html)     更新日:2012年1月11日
 
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