初心を忘れず修煉する
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012116】大法弟子は最大限常人の状態に合わせて修煉しますが、一時期はうまくできて修煉状態も悪くなく、心性も守れていると思うものの、ある日突然、何もかもうまくいかなくなり、常人とあまり変わりないではないかと感じるのです。もし学法を続けず、正念が強くなければ、この状態は理解できないと思います。なぜ自分の修煉には何の成果もなく、修煉しても変わらず、神のようにならないのでしょうか。

 学法を通じて、答えがでました。これは師父が私たち弟子の修煉ために特殊な方法を作ってくださったのです。すなわち、一部を修めてよくなると、できた部分が再び汚染されないように、その部分を隔離し、できていない部分を続けて常人社会の中で修煉するのです。

 あまりいいたとえと言えないかも知れませんが、たとえば第一次元の基準に達したら、師父がこの部分を巨大な時間と空間を使って隔離して、汚染されないようにされます。それから第二次元、第三次元まで修めるためには、第一次元に立って修煉するのではなく、やはり常人社会の中で修煉するのです。

 毎回高い次元まで修めても、それは常人のレベルから修煉し、初級の段階で修煉しています。師父は「初心を忘れずに修煉していけば、必ず正果を得ることができる」とおっしゃいました。このように修めるしか自分の修煉はできないと私は悟りました。過去の歴史上の修煉は今日大法が広がる基礎を作ったのです。以前の修煉方法では本人が修めても、円満成就できず、せいぜい副元神の修煉です。師父の方法で、絶えず修煉し絶えず隔離され、絶えず初心に戻り、こうしてはじめて今日の大法弟子は自分の修煉を通じて円満になるのです。

 この修煉の方式を、私たちは必ず理解しなければなりません。長い間の修煉を通じて、師父の広大な仏恩、慈悲の済度をいただきました。しかし、よく修めてできた部分はすでに見えなくなりました。この世見える部分はずっと修煉者としての人間の現れです。だから常人の心、常人の執着心があるのです。

 同修間で互いに協力し合うときに、うまくいかない時には必ず正念を持って対処しなければなりません。自分とうまく協力できない同修に対して慈悲対処すべきです。同修も修煉者なので、正しくないところもあります。トラブルがあっても悪いことではありません。両者がともに正念を持って対処し、内に向て執着心を探せば、次元を突破できるのです。

 一方、自分自身はこの修煉方法を正しく認識することが必要です。自分の修煉の成果が見えず、巨大な変化が見えなくても真実の自分は巨大な果位を成就したかもしれません。落ち込まず、意気消沈しないようにしましょう。

 以前常人の状態から法を得て、その時に宝を得たように大事にし、煉功も絶えずやりました。いつも自分の一存一念を正して良くない念を克服し、殴られてもやり返さず罵られても罵り返さないように内に向て探しました。このような状態を、初心に戻ってしっかり修め、絶えず向上する上で三つのことをして法を実証すれば、必ず精進できて、成果を得られるに違いありません!

 もちろん巨大な成就を成したと理解しても、歓喜心を起こしてはいけません。自身から魔が生じないようにと師父は注意されました。

 次元限られていますので、妥当ではないところは慈悲ご指摘ください。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/12/27/251062.html)     更新日:2012年1月17日
 
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