一年を通して、神韻チケット販売に励む(二)
■ 印刷版
 

文/米国イリノイ州の大法弟子

 【明慧日本201283日】それから、私は会社を訪問するたび、先ず受付郵便物受け取りの部署に行くようにしました。小さ会社では受付部署がなくても、資料を受け取りに来る人がいます。彼らは皆、神韻の資料を見て喜んでいました。私は早速にこのやり方を現地の協調人に話し、続けていいかどうかを伺いました。協調人は即座に「問題は全くありません!」と答えました。またここはとても暑く、まるでオーブンの中にいるような感じなので、出かける前に必ず氷を多めに入れて持っていくようにと注意までしてくれました。この協調人は正念がとても強く、神韻を広めるに有利な活動であればいつも激励してくれたり、またこのやり方はきっと上手くいくと励ましてくれます。皆お互いにこのように正念を持っていれば、きっとチケットの販売に繋がるに違いないと思います。

 10数日後、私をヒューストンに誘ってくれた同修が神韻の宣伝の件でフェニックス行くことになりました。この同修は自分の新車を私に残してくれたため、私は街を歩かなくてよくなり、時間の節約になりました。衆生を急いで救わなければならないと知った私は毎晩戻ってくると、まず同修が提供してくれた翌日の訪問場所78カ所をナビに入れておきました。この78カ所78軒の大型ショッピングセンターを意味しています。こうすれば自分を戒めることができ、「早く衆生を救い出す! 時間的な余裕はない! 今日の任務は必ず今日に終わらせる」ことを忘れないためでもあります。この間、私はる程度の妨害も受けました。例えば、iPadを無くしたり、デビットカード使えなくなったりして、さらに持ち合わせの現金も底を尽き、窮地に陥ったこともありました。

 約4週間で、私は約4千枚のポスターを貼り終え、現地同修の第一回目のポスター貼りに協力できました。スポンサー担当の同修の話によると、スポンサー達は街のあちこちで神韻のポスターを見たと話したそうです。

 私はヒューストンでの手伝いを終えると、オースティン神韻公演の協調人から、ポスター貼りに来て欲しいと誘われました。私は現地の若い同修と年配の同修3人で班を組みました。私達はよく協力し合っため、僅か8日間で、1回目のポスターを貼り終えました。週末は市中心でちょうど公演の宣伝活動があり、訪れた人々は至るところでポスターを見たと話しました。

 ヒューストンに戻った私はセントルイスからきた1人の同修と班を組んで、月曜から金曜まで各店と会社を回り、週末には住宅地に行ってパンフレットを配る計画を立てました。協調人はこれらの仕事を11月末までに終るよう指示しました。時間が差し迫る中、他の公演都市からも手伝いの要請来た為、時間を少しでも無駄にすることができませんでした。私達は同修が作成した計画通りに行い、ビルを見つけたら入り、各階にパンフレットを配り、終えると地図にを付けるといういかにも簡単なやり方でした。やり方は簡単ですが、やり通すには気力・理性・穏やかな気持ち・強い信念と勇気が必要です。10月の始めに私達2人は任務を終え、約1カ月半あまりで約8千軒の中小大手会社を回りました。要求された日程の1カ月半前に終了し、次の仕事のために貴重な時間を作りました。回ったビルの横を車で通ったとき、私は感慨無量の気持ちで一杯でした。10月中旬までに私達2人は2回目のポスター貼り付けの任務をまた終えて、約3千枚ポスターを貼り付けました。

 10月末、同修は私を連れてフェニックスにやって来ました。この都市は砂漠の中にあります。時間的に余裕がないため、現地の協調人は早速、私達にポスター貼りの仕事を与えてくれました。さらに中流と上流社会向けのショッピングセンターのデータも用意してくれました。合計256箇所もありました。私達は毎日14時間働いて、用意された箇所より多く回り、以前より2倍働きました。以前私達は迅速やっていましたが、今回は神よう早い行動力を要求されました。精神と肉体が限界に達したと感じた時、私はいつも師父に、弟子を加持してくださるようお願いをしました。後にある同修が「さっき車から降りたばかりなのに、もうこの当たりを終えました。どうしてでしょう!?」と不思議そうに話していました。

 私はこのように悟りました。私は法を正す時期の大法弟子である以上、自分の言動をいつも法に照らすべきで、不足があっても、人心が混じっていても、自分を神と見なすべきです。修煉者が法に近付けば近づくほど、神韻公演に関わる仕事が順調に進んでいくものです。

 フェニックスで貼り付けたポスターについての常人の反応は他の都市と同じく至るところでポスターを見えたというものでした。夜、私は宿に帰ると急いで煉功を済ませ、ネットで他の都市の神韻公演主催者達と交流を行いました。目的はやはり衆生を多く救い済度できるように、良い経験を分かち合いお互いに励みました。師父がアメリカの主流社会に入る道をすでに用意てくださったので、私達は成功させなければなりません。

 フェニックスの主な産業は電子産業であるため、セキュリティレベルが非常に高く、ビルに入るのはとても苦労しました。車に乗って入れない場合は、資料を背負って様々な方法を試して入るようにしました。私達は、人心に動揺されず、常人のルールに妨げられないように、いつも冷静さを保つよう努力しました。ある日、私は四角い形のおしゃれなビルを見つけました。しかしビルの入り口は、地下駐車場と繋がっている鍵のかかった小さいドア以外に通路がありませんでした。そのうえ警備員も配置されていました。入るのに困っていちょうどそのとき、一台の郵便配達車が私の横に止まり、配達員は降りて一箱の郵便物を抱えてドアのところに行き、カードを当てて入りました。私は迷わず配達員の後ろに付いて入りました。配達員がエレベーターの数字を押すのを見て、私も真似て押してみました駄目で、エレベーターにも暗証番号が設置されているようでした。横で見ていた配達員は「どこに行きたいですか?」と聞いてくれました。「あなたと同じ配達員です」と私が答えると、「私に付いてきて下さい」と言われました。迷路のような廊下を通った後、ようやく受付に到着しました。受付けの女性は嬉しそうに私に挨拶し、私の手から自ら資料を受け取りました。また、この資料をどのように配ったらいいのかと聞きました。私は「各事務所に配って欲しい」と答えると、受付員は「任せてください」と2回も言いました。私達は衆生を救い済度する緊急性を知っている同時に、人と接触する時、礼儀正しく、謙虚な気持ちも持つべきです。常人社会で、私は航海の仕事に従事しているため、事務所に国際公約・各国の法規・規定に関する書類が多く置いてあります。これらは人命に関していずれも安全を最優先としています。人の命が最も尊いもので、人を救うことが最も光栄なことです。だから、私達は神韻を紹介するとき、正々堂々に行うべき同時に冷静さと理性を保ちつつ、邪悪に隙を与えないことも大事だと思います。

 12月末、私はここの約6,000軒の会社を回りました。この時、ヒューストンとオースティン神韻公演も終わりました。2都市の公演は現地の同修の努力によってすべて満員または超満員となり、後の公演地の同修の励みともなりました。

 続いて、ナッシュビルの協調人から早く来てほしいとの要請が来ました。私は空港に着くと、行く支度の用意をするため、真っ直ぐ家に帰りました。午前、冬用の服を用意した後、夜にはバスに乗って家を後にしました。妻は「こういうとき、あなたはわざわざ家に帰らなくていいです。私は必要なものを駅まで届いてあげるから」と言ってくれました。

 私達はナッシュビル地域の協調人から受けた仕事をきちんとやり遂げました。現地の同修と他の地方から応援に駆けつけてきた同修達の修煉状態は非常によく、正念も強いです。やっているうちに皆は早くから常人を超えた状態に入りました。1月中旬、私達は与えられた仕事を見事に終えて、期待していた効果も達成できました。

 (続く)

 2012年アメリカワシントンD.C.法会の交流文)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/7/17/260328.html)
 
関連文章