時間を大切にして着実に修煉し、人を救う(二)
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文/ミシガン州の大法弟子

 【明慧日本2014年9月22日】(前の文へ

 全体が協力して人を救うと力強くなる

 ある時、私たちの地区の同修はある週末に三つの活動に参加し、39枚のチケットを販売しました。私たちの所では16枚売れました。その時、真に皆が一体をなしたことを感じました。私たちが参加した活動は当日3人しか現場にいませんでした。多くの同修は黙々と支援してくれました。当日、活動に必要な児童たちの手仕事に使う原材料といろんな小道具を用意してくれた同修、Wi-Fiルーターを買い、関連するソフトウェアを午後までインストールしてくれた同修、テントとテーブルを提供してくれた同修、チケット販売に必要な情報がそろったファイルを用意してくれた同修、活動前日の夜9時くらいまで別のチケット販売店にいたが、こちらに販売用のチケットを持って来てくれた同修がいました。その同修はここから自宅まで帰るのに45分かかって、それから夕食を食べました。また、とても遅くなって、子供は車で寝ていましたが、劇場の座席図を持ってきてくれた同修もいます。活動の当日の朝早く、数日間かけて製作した手作りの大きな神韻のポスターを持って来てくれた老年同修もいました。活動の当日、英語があまり流暢でないひとりの同修は2回も手助けにきて、水も持って来てくれ、とても素晴らしいアドバイスをくれました。また、チケット販売を支持してくれた同修、定時に発正念してくれた同修もいました。その活動のとき、私たちは発正念の重要性を感じました。同修が2人以上になると、その場はとても良かったのです。同修が周りで発正念すると更に良くなりました。私たちの所には英語が出来ない同修が一人いましたが、彼女は子供たちに手仕事を教えながら、発正念していました。出来る時間をすべて使って、彼女はずっと発正念しました。すべての協力が合わさり、当日の神韻の宣伝とチケット販売は非常に順調でした。私はまた、一回のチケット販売活動を協調するのに、これほど多くの時間を費やして、電話したり、メールを送ったりしないといけないことに気づきました。長期に渡り、各種の協調の仕事をしている同修は本当にお疲れ様でした。

 その後、私は「神韻と伴に世界を遊覧する」などの文章を書き、神韻の取材した報道を書いたり、同修に協力して神韻のスポンサーに連絡したり、クラブなどの機構に中国の文化や、歴史を紹介し、真相を伝えたり、神韻を紹介するプレゼンをしたり、オフィスビルに、神韻資料を置いたり、RTCプラットフォームで真相電話をかけたりしました。今振り返ってみると、師父は私を鍛えて、成熟させ、私がその後、現地の大紀元で記者、販売の仕事をし、海外の華人に真相を伝え、コミュニティの活動に参加して、法を広め、人を救い済度するようにされていたと思いました。

 差異を探し 自らを修める

 この交流原稿を書くとき、同修と私は『差異』という文章を一緒に読むことができました。私はこれが、師父から、私に精進するよう悟らせるためのものだと認識していました。毎回、その文章を読むと私は焦る気分になり、また毎日私を励ましてくれます。

 最近のメディア本部のトレーニングのなか、私は他の地区の販売業績と比べて大きな差異があることが分かりました。現地でセールスをやっている同修との間にも大きなギャップがありました。それは準備の仕事にしろ、訪問記録にしろ、カスタマーのサービスにしろ、心を尽くしていないことです。一部の商店は何回も訪問していましたが、拒否されたので、それで挫折してしまって、続けることができなかったです。今回は本部ではじめて系統的な、精細なトレーニングをすることになります。私はしっかり学び、復習して、業務と修煉において、自分を向上させようと思います。

 修煉をはじめた当初から、私は「内に向けて探すことは宝物」としっかり覚えていました。師父は私たちに、これは私たちと常人との根本的な区別だと教えられました。しかし、自分の心に触れることになり、更に大きな根気が必要な時になると、やはり色々な方法に対して、忍耐が足りませんでした。善が欠けていたやり方、またずっと取り除いている顕示心、自我を実証する心(この心は数週間前に「他人の手柄を横取りする」という文章を読んで、多く修められました)、嫉妬心、闘争心などなど。また、人に言わせない心、私は修煉してからこの心がなくなったと思っていましたが、2人の同修から、異なる方式で私にアドバイスがありました。内に向けて探すと、私は他人が私のことを言うことを拒否するのではなく、理由と口実も持って、私は彼女らが言っているような人ではないと解釈していました。実際、それはすべてとても貴重な意見であり、自分がずっと見つけてなかった執着かもしれません。

 今回、私は師父に報告し、同修と交流する機会を再び見失ってはいけないと思いました。昨年は忙しい、修煉状態がよくないという理由でその機会を見逃しました。私はかつて多くの同修との交流より、交流文章を書く過程は、自分の修煉過程をまとめ不足を見出し、向上する機会であると知っていました。この交流文章を書くとき、私は同様な体験がありました。異なる邪魔がありました。ずっと大法を堅持し、それらを排除しました。本当に書こうとすると、実際書くべきものがとても多いと感じました。

 私が交流したタイトルは『時間を大切にして着実に修煉し、人を救う』でした。私がこの方面でよくできているからではなく、私がずっとこの言葉で自戒してきたからです。ここで同修の皆さんとこの言葉で互いに励まし合います。私たちは、現在の時間が師父の巨大な忍耐によって伸ばされていると知っています。私は努力してしっかり法を学び、執着を取り除き、早く人を救い、三つのことをしっかり行って、やり残すことを少なくするようにしたいと思っています。

 師父の慈悲なる救い済度と加持に感謝します!

 以上の交流に不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご叱正を願います。

 師父、ありがとうございます! 皆さん、ありがとうございます!

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/5/295583.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/8/10/2447.html)
 
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