時間を大切にして着実に修煉し、人を救う(一)
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文/ミシガン州の大法弟子

 【明慧日本2014年9月18日】(次の文へ

 尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 法を得る

 私は2009年2月に法を得た新しい学習者です。いまの時期に大法を修煉する殊勝な機縁を得たことを思う度に、無比なる幸運を感じます。

 実際、私は十数年前に大法との縁がありました。たぶん1995年だと思いますが、当時私はまだ中国国内にいましたが、ある同僚が私に『法輪功』をくれました。私はその本がとても厚かったことを覚えています。私は幼い頃から人体科学や宇宙、UFOなどにとても興味があったため、その晩、寝ずにその本を読み終えました。しかし、当時気功に対して理解していませんでした。当時、私はまだ若く、気功は病弱な人が健康のためにやるものと思っていました。その同僚は毎日、夜明け前に公園に行って、煉功していました。私はそうする必要がないと思い、その書籍を彼女に返しました。当時、私は彼女に「私はずっと真・善・忍で自分に要求しています。煉功に参加する形を取る必要はありません」と言いました。自分でも、当時その書籍をどうやって読んだか、どうして、本の中の内容が分からなかったか、知り得ません。こうして、私は大法とすれ違いました。そして十数年が経ちました。今考えてみると、当時まだ縁を結ぶ時期に至ってなかったかと思います。

 今回は昔シカゴで一緒にMBAの勉強をしていたクラスメート(現在は同修)とミシガンで偶然に再開し、再度大法を紹介されました。『轉法輪』を持って家に帰る時、心地よく暖かい感覚を覚えました。それはとても特別な久しぶりの感覚でした。今は、私が家に帰る道を見つけた感覚であると知っています。それから、私は一気に読了しました。読み終えたら、師父の『轉法輪』で説かれたように「練功したことのない人もいます。ところが彼の一生の中に真理や、人生の真諦に対する追求があり、思索があります。そんな人はいったんわれわれの法輪大法を学んだら、人生の中で知りたくても答えが得られなかったたくさんの問題がたちどころに 分かるようになります。思想の昇華に伴って彼は非常に感激することになります。これは間違いのないところです。真に修煉する人は、大法の重みを知っているので、それを大切にすることが分かるに違いありません」でした。

 『轉法輪』の中で、師父は「そしてその時彼は全然怖くなかったというのです。このような状況に遭う人はみな怖いとは思いませんが、後になって怖くなるかも知れません」と説かれました。私は師父がずっと私を見守られていたと分かりました。2007年、私は右側の腎臓に3キロ弱の腫瘍が出来、大きな手術を受けました。手術の前、家族と友人たちが心配して、涙を流していましたが、私はかえって落ち着いて彼らに「大丈夫です、手術して切り取ったら、良くなるのではないですか?」と慰めました。医者は私に病状を説明した時、「正直に言って、腎臓の腫瘍は90%以上、悪性に決まっています」と言いました。私は笑いながら、「あなたの正直な説明に感謝します」と言いました。入院している8日間に、私はかってない苦を嘗め尽くしました。肉体の病気による苦痛以外、各種の医療プロセスによる苦しみ、手術後の採血ですが、何回も採血して、最後には血が採れなくなりました。看護士が「少し水を飲んでください、しばらくしてまた来ますから」と言っていたことを覚えています。最後に、退院したとき、私の体重は30キロくらいになっていました。しかし、私はずっととても楽観的で、我慢できました。しかし、退院してから数週間後、腫瘍専門家に診て貰ったところ、私の腫瘍は軽度の悪性だと言われ、一遍に怖くなり、苦しくなりました。しかし、すべてはとても速く過ぎました。現在、私は分かってきました。その時、私はとても多くの業を消し去ったため、十分な徳を持つようになり、そして大法を得ることができました。当時、友人らは皆「こんな大難を生き延びたからには、将来は必ず良いことがありますよ」と言ってくれました。しかし、その福がこれほど大きいとは思いつきませんでした。

 こうして私は法を得ました。はじめの1、2週間、毎朝目が覚めたら、最初に思い浮かべるのは「あ、私はすでにひとりの大法弟子だ、修煉者だ」ということでした。師父は私に新しい人生を与えてくださいました。

 当時、私は毎日大量に学法しました。本を読んだり、師父の説法ビデオを見たり、同修である子供をつれて、『洪吟』を暗記したりしました。私は常に朝4時、5時まで学法しました。翌朝、主人が起き出勤する時、私が睡眠をとっていないと思う程でした。そして、私は1時間ちょっと寝てから、彼が出勤したあと、煉功と学法を続けました。その時、たくさんの不思議な体験をしました。例えば、灌頂です。薄々としたエネルギーが螺旋状に上へ伸び、金色のコードが螺旋状で頭上から頭に入り、身体に被っていた布団が一緒に上へ舞いあがるなどの経験をしました。

 学法をすればするほど、時間が足りないと感じました。後になって、古い修煉者と交流すると、彼女らは法を得た当初の個人修煉から、迫害が始まって以降、いかに法を正す進展に追いついていたか、異なるプロジェクトの中で精進し、着実に修めたかなどを言いました。私たち、後になって法を得た新しい修煉者は、一旦法を得たら三つのことをしっかり行い、また法をいっぱい学んで、師父の法を正す進展についていかないといけませんでした。

 神韻のプロジェクトのなかで鍛え、成熟する

 師父は今年ニューヨーク法会での『世界法輪大法デーの説法』で、「大法弟子とは何でしょうか? 師父の弟子は大法弟子の皆さんです。皆さんをきれいに洗い上げ、成熟するまで鍛え、衆生を救い済度することができるようにしています。これが大法弟子です」と説かれました。

 まもなくして、私は神韻のホットラインの受け付けをはじめ、ショッピングセンターのブースでのチケット販売に参加しました。その後、同修と協調して、コミュニティにいき、神韻の特別号を配置し、コミュニティの活動に参加してチケット販売活動をしました。

 非常に不思議な体験

 法を得てから、常に大法の不思議さを感じていました。神韻のチケット販売の中で、その時、私は子供を出産してからは仕事をしていませんでした。昼間には大量の時間を使って、ショッピングセンターの神韻ブースでチケット販売をしました。ある日、午後になった時、人の流れが非常に少なくなりました。私たちのブースの位置はとても良く、人が皆通る所で、その日は休日でした。私たちのブースと繋がっているショッピングセンターのすべての入り口に向けて発正念しました。ほかの空間の入り口には、真・善・忍は素晴らしいという文字を置き、いかなる要素も衆生が神韻のブースに来ることを阻むことを禁じました。私はこのショッピングセンターに来る衆生の大多数は縁があって、神韻の情報を見ることができる衆生だと思っていました。彼らがここに来て、神韻の情報を知り、チケットを購入するようにしようと私は続けて発正念しました。一瞬、映画でシーンが変わるように人の流れが一気に賑やかになりました。私自身も彼らが何処から来たのか、一瞬反応できませんでした。

 また一回、神韻がすでに私たちの地区に来ていた時のことです。私は、まだ神韻の情報を伝えていない、縁のある人はいないかと思っていました。ある日の午後、私はショッピングセンターの神韻ブースにいました。平日で人がとても少なく、2人のお母さんと数人の子供に神韻を紹介して、彼らがブースを離れて行った時、私は突然、神韻写真集の上に名刺が一枚置かれていることに気づきました。どなたの名刺だろう? 私は名刺を持って、さっきブースにいた二人のお母さんに追いつきました。彼女は自分たちのではないと答えました。ではこの名刺は何処から来たのか? 私はすぐ分かりました。これは縁のある人の名刺だ、私は名刺の持ち主を探しに行かないといけないと思いました。私は名刺の内容をあまりに読まず、ただ住所がこの都市であることだけ確認し、GPSに住所を入力し、出発しました。目的地に着いたら、私には分かってきました。その名刺は昨年2回会ったある海軍の徴兵事務室の士官のものでした。一回目は、同修が神韻宣伝品を配布する時、彼に会いました。二回目は彼がもう二人の士官を連れてショッピングセンターで神韻のブースを通る時、また会いました。当時、彼は自らその二人の士官に神韻を紹介していました。なるほど、彼か。彼は私に会うと、すぐ「そのパフォーマンス(神韻)はまた来ますか? 私は昨年用事があっていけませんでした」と言いました。私は持っていた神韻のパンフレットを彼に渡し、見終わったら、周りの軍人にも紹介してくれるようお願いしました。また一部のパンフレットを隣のいくつかのオフィスに配布しました。そこから出て、車に乗ると、感激して涙が溢れました。師父は、私が縁のある人を一人も残したくないという思いを、その願いを実現させてくださいました。本当に不思議なことでした! 心の中で絶えず師父に感謝しました。

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/8/5/295583.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/8/10/2447.html)
 
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