法を正す修煉において向上する
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文/日本の大法弟子 

 【明慧日本2014年7月22日】尊敬する師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは! これから私のここ数年の修煉情況を、皆さんと分かち合いたいと思います。 

 一、修煉のきっかけ 

あれは2005年の年初です。弟が『転法輪』を届けてきました。法輪功にはきっと少しは問題があり、そうでなければ弾圧されることはないと当時、私は思ったので、『転法輪』を読もうとしませんでした。しかし弟が「法輪功は中国共産党の言ったようなものでない」と言うので、それでは、この本を読んでみて、弾圧される理由を探し出そうと私は思いました。意外にも、読み終えると心はとても震撼して、法輪功はとても素晴しいと感じて、それから私は修煉の道に歩み始めました。 

 二、法を学ぶ 

 私は毎日多くの時間をかけて学法しています。数年前から『転法輪』の暗記を試みて、現在、6周目に入りました。経文は2、3回しか読んでいません。学法するにあたって量より質を保証しなければならず、弛まず頑張って、しっかり法を学ぶことは修煉の一歩一歩を着実に前に進むことの根本的な保証だと私は思っています。 

 三、心性を高める 

 修煉する前、自分はまあまあ良い人だと感じていましたが、大法の基準で評価すれば自分は「良い人」まではるかに距離があるとやっと分かりました。修煉を始めた当初、さまざまな執着心に気づくことができず、相手を傷つけても自分はまったく意識しませんでした。師父は私に意識させるため、苦心して機会を按排して私の執着心を暴露させてくださいました。そのように私は少しずつ執着を除去する努力をしていました。幾多の不平不満、幾多の悲し涙と喜怒哀楽はすべて大法の中で溶けて消えました。次に例を挙げて説明したいと思います。 

 1.深く隠れた執着心を探し出す 

 2010年10月、膣から流血が止まらなくて、そして腰に水ぶくれが現れて、腰回りの4分の3にもわたり水ぶくれが出て、激痛に伴って黄色の膿が染み出ていました。立ち上がっても坐っても落ち着かなくて、横たわる時はなおさらどんな姿勢で横たわるかも分かりませんでした、なぜかというと化膿した部位はどこと接触しても駄目で、その上流血もまたとてもひどかったのです。あの時、私はいろいろ考えました。修煉に精進しておらずこんな状態に陥って、師父に申し訳ないと思い、自分はどうして旧勢力に隙に乗じられたかも分かりませんでした。 

 同修Aさんと交流して、Aさんの言葉が私の内心で本当に執着したところに当たった時、私は話題を避けようとしました。あれは去年の神韻時期に起きた同修Bさんとの間の事で、今になっても私はまだ微かに気にして、時々悲しんで、来年当地区で神韻公演が成功できるかも疑いを抱えました。一種のとても微妙な心理で、自分でさえ意識していませんでした。 

 私はその事をずっと気にかけて、Bさんに嫉妬して、隔たりを作っていて、師父がなされている法を正すこと自体にまで自信を失っていました! ここまで自分の執着が分かった私は、涙が止まらなくなって、師父に合わせる顔がないと感じました。修煉者なら誰もが至らないところがあり、私はどうしてBさんの悪いところばかりに目を付けますか? そして肝心なのは誰が正しいか誰が間違ったかではなく、すべては私の心を試練するために起きたかもしれないという道理を、私はなぜ忘れたのでしょうか? 慈悲心を持って相手に寛容でなければならず、そしてその寛容には何か目的が伴うのでなく、内心からのとても自然な気持ちでないといけません。とても自然でつらい思いや悔しさなどがいっさい混ざっていない寛容です。ここまで悟って、私の心はとても穏やかになって、師父に対してこの上ない感謝をしました。しかし試練はここまでではありません。 

 激しい痛みのため一睡もしていなかった私は疲れ果てて、朝になると起きられないと感じました。会社の社長に電話をかけて、自分は病気で倒れて1日休みたいと言ったら、意外に社長は冷たく私を責める言葉をたくさん投げてきて、あなたの体調はどうでも良い、仕事に支障をきたすことは許せないという態度でした。仕方がなく同僚に電話をかけて、一日私の業務を代理してもらいたかったのですが、彼女は「駄目です。私は母に付き添って散歩しないといけないので」と言って、「ガチャン」と電話を切りました。私は考えを変えて、そもそも病気でもないのに、どうして病気になったように休養をしたいのか、と思うようになりました。そこで、すぐ社長に電話をして、通常とおりに出勤すると言いました。今思い出せば、どのようにベッドから起きたかも覚えておらず、ただ1秒の間に危篤病人の状態から正常に働ける人に変わりました。しかし、会社に着いて社長の顔を見た時、心にやはり少し嫌な感じがしました。家に帰って師父の肖像写真に向けて、私は感激して涙を流して、心の中はぱっと明るくなりました。「師父、申し訳ございません。私は社長に対して恨みを抱きかけるところでした」と呟きました。その後、私の体はとても早く回復しました。 

 私の不足を指摘したAさんに感謝して、私の心性を高めてくれたBさんにもっと感謝します。それから私はBさんに電話をかけてお詫びをしました。また、社長と同僚にも感謝します。幸いにも、社長と同僚は私に病気休暇の機会をくれなかったのです。そうでなければ、倒れたのは私の体だけでなく、修煉者としての意志もきっと崩壊してしまったかもしれません。社長は友達を連れて翌年の神韻を観に行きました。これらの事を通して、師父がおっしゃった、修煉者が出会ったいかなる事も良い事だとの言葉に、更に深い感銘を感じました。 

 2.情の渦中から昇華する 

 数年前のことですが、中学生の息子はスポーツをやったために筋肉痛になり、シップを貼ったら両足が腫れ上がって、たくさんの水ぶくれができて化膿して、膝以下の部分がめちゃくちゃになりました。息子はまだ完全に修煉に入った状態ではなくて、大法の法理をまだあまり理解しておらず、大法弟子の基準で息子を要求するのはまだ早いです。一方、修煉者である私は病院と病気治療の関係を知っていて、息子を病院に連れて行くのは本当に不本意です。病院に行って手当てを受けて、表面上「病気」を治せましたが、実は根本原因の業力を体に押し込むだけです。その道理を分からない息子は病院が彼の病気を完全に治したと思うと、今後彼が修煉に入ることの妨げになるかもしれません。 

 そのため、ぐずぐずして病院に行っていません。数日後、事態はますます悪化して、息子は立ち上がれなくなって学校にも通えませんでした。担任先生は「治療費がそんなに高くないので、病院に行きましょう」と電話をかけてきました。息子も泣いて、「私を病院に連れて行かないなんて、うちはどんな家庭なのか? 切断手術をしなければならないかもしれないと教頭先生は言った」と私に訴えました。このまま病院にいかないと、もし本当に手遅れの状態までなるとどうしよう、と私の心にまるで雑草が生えたように、とても複雑な心境になりました。しかし息子の足がどうなるかは私の一存によって決められるものではないと思うと、一瞬、心が落ち着きました。私は強い自信をもって息子に「あなたはこの家庭に生まれたかぎり、2本の足どころか、貴方の命でも師父は守ってくれています。師父を信じましょう」と言いました。話し終わった時、自分の内心はとても穏やかになって、このことの責任を私は取らないといけないという怖さとか、学校の先生たちに笑われたらどうしようとか、いっさい考えなくなりました。息子も急に落ち着いて、私にどのように修煉に入ったかを聞き始めました。その日の夜、息子の足はうみが出なくなり、翌日腫れが引き始めて、全快した後に傷跡を一つも残していません。このことは大法の不思議な力を再度証明しました。 

 情といえば、私は時々両親や兄弟、親族のトラブルに知らず知らずに首を突っ込んで、自分は修煉者であることを忘れて言うべきでないことを話したことがあります。後日口内炎になって喋ることも食事をすることもできなくなるほど痛くなりました。その経験から、俗世間のことに心を動かされずに、すべては大法で測らないといけないことを覚えました。 

 修煉の中、捨てることはとても苦痛なことですが、とても神聖で幸せなことでもあります。自分にはまだこんなに多くの執着があるので、学法を弛まずにしています。師父は『洪吟二』「精進正悟」で「学法を怠らざれば変は其の中に在り」と私たちに教えられたからです。 

 四、大法を実証する 

 最初、どのように真相を伝えるかが分からなくて、当地区の2人の同修が市長と議員に真相を伝える時に、私はそばで見ていました。2人の同修は流暢な日本語を喋って、スーツを着ていましたが、私はジーパンとジャケットを着て、2人が話す時にそばで居眠りをしていました。今思い出すと、2人の同修は優しく私を包んでくれていました。それから、できるだけ多くの大法プロジェクトに参加しました。以下に、神韻宣伝に携わる中での少しの体得をみんなに報告したいと思います。 

 2009年、私ははじめて神韻宣伝に携わりました。その時みんなは主に宣伝チラシを配り、ポスターを貼り、チラシのポスティングをしていました。宣伝チラシを配る仕事は主に年配の同修たちが担当して、疲れを少しも恐れない姿勢は皆を感動させました。私は主に企業に電話をかけて真相を伝えて神韻を宣伝して、時間があればポスターを貼ったり宣伝チラシを配ったりしました。自分の日本語レベルはそれほど高くないので、電話をかけることはとても苦手です。私は学法をしてから発正念をして、自分の状態を調整してから電話をかけ、なんとか最後まで続けてきました。 

 街頭で大量に宣伝チラシを配るやり方は日本社会に合わないと思い、2010年から当地区はそれを止めて、年配の同修はポスティングと発正念を主に行いました。その年に私たちはショッピングモールにチケット販売拠点を設けて、私はそこの協調を担当しました。神韻ブランドの高級さを保つため、販売拠点にできるだけ日本語が上手で外観も良い人を使うと私は考えました。しばらく実行してから、交流する時、販売拠点のスタッフを選ぶ基準が厳しく、私の話す態度が良くないと同修たちは指摘してくれました。私は喜んで皆さんの意見を受け入れて、自我を放下して総協調人の取り決めに従いました。チケット販売拠点に来た同修たちは、発正念の時間以外、部屋に入って休憩することも惜しんで、ずっとテレビの横に立っていました。私も修煉者としての良好な状態を保つように努力して、家事などの雑念をすべて排除して、疲れているとしても、修煉者としての心構えを保っていました。そして販売状況に左右されずに平穏な心理状態を保っていました。管理面では、自分の言行に気をつけて、決して遅刻はしません。東広島市から応援に来た同修は1時間以上バスを乗って来ましたが、同じく遅れずに来ています。みんなの努力と協力のおかげで、チケット販売拠点で約300枚のチケットを販売することができ、場所を貸してくれた側にとても良い印象を残しました。 

 3年目の2011年、大地震が発生したために日本の神韻公演は全て中止されました。2009年と2010年ともに、私は仕事を辞めて全身全霊で神韻宣伝に身を投じましたが、2011年に私は「すでに連続2年も一生懸命に頑張ったのだから、家の事情もあるし今年は仕事をしながら神韻宣伝に携わろう」と考えました。当然、問題は仕事を辞めるかどうかでなく、自分が少しだけ神韻の仕事をしてすぐ満足してしまうという、この考え方は恐ろしいものです。本当の修煉者であれば、きっと大法の栄辱を自分の栄辱のように思って、常に衆生を救い済度することを自分の務めにします。私はまだそのレベルに達していません。  

 2012年、当地区の学習者は師父が賜ってくださった機会を大切にし、神韻公演を満席にしようと決心して、私は再度仕事を辞めました。しかし、2012年から主流社会を打開することを要求されました。宣伝チラシを配らない、チケット販売拠点も設けないなら、自分はどのように神韻宣伝をするのかと、私は何回も自分に聞きました。答えは「自分を突破する」しかありません。ある日交流する時、自分も主流社会に行って神韻を宣伝したいと私は言ったら、ある同修は「あなたはたくさんの人を知っているのか」と聞いて、私は「いいえ、知らない」と答えました。「では、あなたに神韻に関連する人脈があるのか」と聞かれ、私は「いいえ、ありません」と答えました。「それなら何をもって主流社会を打開するのか」と聞かれ、私は「今の私にはこの心しかない」と答えました。将来になって後悔しないために、たとえ天が崩壊し地が陥没しても内に向けて探して、一生懸命努力しないといけないと、私はひそかに自分に誓いました。 

 ある日、参加者が100人以上の某夕食会の情報を知って、他の同修が忙しくて参加できないため、私は行ってみようと思いました。申し込みの電話をかける時、部屋で何回もうろうろして、ぐずぐずして電話を持ち上げられませんでした。その時、師父が『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』でおっしゃった「本当に多く気遣う必要はなく、正々堂々と行なえばいいのです」「どうしても正念がないのです」を思い出して、決心して電話を取り上げました。その夕食会で私は歯科医師と音楽家と知り合って、後日それぞれ彼らに会って神韻を紹介しました。歯科医師は家族を連れて観に来たほか、ほかの医師をも紹介してくれて、結局その医師も家族を連れて公演を観にきました。音楽家は彼の小型コンサートで私達に神韻を紹介させてくれ、そこで知った女性は後日また私達を学友会に誘ってくれました。学友会で彼女たちはその場で10枚のチケットを購入しました。学友会を通じて、私はある医師夫人を知って、親切な夫人は私たちを自宅に誘って、彼女を通じて他の夫人にも神韻を紹介することができ、結局10数人の夫人が公演を観に来ました。そのようにどんどん多くの個人と団体と接触して、チケットもどんどん売り出されていきました。 

 このように努力している中で、自分の執着心、例えば自分の日本語がまだ上達していないと思うコンプレックス、自信がないなどが現れました。落ち込む時、疲れる時、無数の衆生の期待を思うとすぐに立ち直ります。同修たちも心を一つにして、みんなが常人と接触する方法を探って常人の活動に参加して、互いに協力して一刻も休みません。 

 自分の修煉を振り返ってみると、精進している同修に比べれば、まだたくさんの距離が離れています。以前のよくできていない部分を思い付くと、とても後悔しますが、過ぎた時間は戻ってきません。毎回の機会が二度と訪れることはなく、毎回の向上は貴いものです。今後の一歩一歩を着実に邁進するには、着実に自分を修めるしかありません。  

 (2014年アジア地区法輪大法修煉体験交流会)

 
 
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