内に向けて探すことを学ぶ(二)
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文/シカゴの大法弟子

 【明慧日本2012年11月10日】

 二、トラブルの中で内に向けて探す

 2年前に、同修のBさんは私に職場での悩みを打ち明け、私は彼女のためにとても心配しました。当時、私は修煉を始めて1年しか経っておらず、聞いた事は自分に何か関係があるとは全然思わず、ただ彼女に「内に向けて探してみて」と助言しました。しかし彼女は自分には間違ったところはないと言い、仕方なく私は他の古い学習者に彼女と交流するように頼みました。ところが、「余計なお世話だ、どうして私があなたに話したことをまた第三者に言うのか」と彼女はとても怒りました。私は「ただ、あなたを助けたかっただけなのに」と思って、とても傷つきました。それから神韻宣伝をする中で、私は彼女と協調できずに対立して、彼女に対する観念と不満は日に日に深まりました。

 ある日の夜、私は地方から応援に来た同修のCさんと一緒にデパートに設置された神韻チケットの販売ブースを担当した時、チケットを選んだある客は、念のため帰って奥さんと相談してから、翌日の正午にお金を払いに来ると言って、我々に電話番号を教えました。しかし翌日はBさんがここのデパートを担当することになっており、私は別の場所を担当し、Cさんは地方に帰る予定でした。その客に順調にチケットを購入してもらうために、翌日も私はこのデパートの担当をしたほうが良いと思いました。私はすぐBさんに電話して、翌日の担当場所の交代について相談したかったのですが、Bさんは電話に出ませんでした。翌日、朝一番にBさんにまた電話をして、「今日、私にデパートの担当を引き続きさせてください。あなたは○○の場所に行ってくれませんか。私はデパートにしばらくいたので、お客さんも私をよく知っていて、チケットが売りやすいと思うのです」と言うと、Bさんは機嫌が悪くなって、「あなた、それはどういう意味ですか」と言ってきました。彼女を不機嫌にさせたくないので、私は「特別な意味はないです。代わってくれなくてもいいですよ」と言いました。

 彼女は「よいことはないでしょう、はっきり説明してください。今日も応援の人が来るので、私はデパートにも○○の場所にも、どこにも行かないのよ」と話しました。彼女が行かないと、○○の場所には一人もいないことになってしまいます。これで私も本気で怒りました。時間がないので、私は運転しながら電話で人員の配置をして、Bさんの協力しない態度にぷんぷんと怒りました。結局、デパートに着いて昼過ぎまで待っても、その客は現われず、電話にも出ませんでした。Bさんとの間のトラブルのせいで、邪悪に隙に乗じられ、その客を救う機会を失ったのです。私の気持ちはとても重くなったのですが、自分には非がないと思って、とても悔しかったのです。

 師父は『ヨーロッパ法会での説法』でこう説かれました。「周辺に起きるすべてのトラブルや、あなた達の間に現れたいざこざ、現れたすべてのことは恐らくあなたと関係があり、あなたに取り除くべきことがあるのです。この事があなたのせいであるか、また彼のせいであるかを問いません。あなたにこの心がありさえすれば、あらゆる方法を尽くして、いざこざに遭わせ、このまだ取り除かれていない心を認識させます。しかしあなた達はまだ言い合っており、これが私のせいではないとか、あるいは皆自分が法を守っているとでも思っていますが、彼も自分は法を守っていると思うのです。実のところ恐らく両方とも正しくないところがあったからこそ、いざこざが起きたのです」

 自分の執着を探さず、自我に固執すると、衆生を救い済度することの大きな妨げになると私は分かっています。私のごく当たり前のお願いに、どうしてBさんはそれほど大げさに反応したのかを一生懸命考えて、最後にやっと分かりました。私の「ごく普通」に見える言葉に強い執着を帯びていることが原因でした。まず、Bさんは会社で同僚との間にトラブルが起きた時、私は彼女に「内に向けて探してみて」とだけ提案して、その時に「内に向けて探す」だけでなく、「忍」と穏やかな心理状態を保つことも大切だと私は認識していませんでした。そして、Bさんが「余計なお世話だ」と言って私に怒った時、実は私に心性の関を設けて、私に「忍」と「口を修めること」ができるかどうかを試練していたのです。私は「忍」をやり遂げないばかりか、Bさんに恨みを抱いてしまい、それから毎回Bさんとの間に対立が発生した時、Bさんの不足だけを見て、いつも自分は彼女より良く修煉ができている、自分のほうが正しいと自惚れていました。顕示心、闘争心が湧いてきた時、私はそれを抑えるのでなく、自分の魔性を助長する一方で、また心性の関から逃避したいとも思いました。慈悲なる師父は私とBさんの間にトラブルを設けて、私に自分の執着を示してくださいました。自分の修煉者らしくない考えと行為を今でも恥かしく思います。その日の夜、私はBさんにお詫びのメールを送って、自分の過ちと執着を認めました。

 そのトラブルが過ぎてから、7月に神韻宣伝をした時、Bさんは当地区の同修らにとても協力して、何もトラブルを起こしませんでした。師父が『北米第一回法会での説法』で説かれたとおりです。「あなたがもし本当に自分を修煉者として見なすことができれば、何かの出来事、トラブル、あなたの機嫌を損なう出来事に遭った時、表面においてあなたが正しいかどうかに関わらず、自分の原因を探さなければならず、この問題において気づきにくいあの動機が間違ったのではないかという情況です。もし修煉者が表面では放下しているだけで、内心ではまだ何かを守り固守していて、自分の最も本質的な利益が傷つかれないようにしていれば、皆さんに教えますが、これは偽りの修煉です! 自分の心が動じなければ、少しも向上することができず、これは自らを騙しているのです。真に内心から向上することだけが、本当の向上なのです。ですから、皆さんくれぐれも覚えておいてください、どんな出来事や厄介なこと、不愉快なことに遭っても、または誰かとトラブルがあった場合、必ず自分を調べ、自分を探すべきです。このようにすれば、あなたは解決されないその問題の原因を見つけることができます。多くの人が以前の気功ブームの時に自分自身の場が外まで影響することができると知っていますが、実はそういうことではなく、自分が間違っており、宇宙の特性にそぐわなくなったから、周りの全てはあなたと協調しなくなったのです。このような関係です。自分でそれを調整し、協調できるようにすれば、全ては順調になります。こういうことです」

 (続く)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/10/27/264530.html)
 
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