神韻チケット販売とメディアの仕事に携わったことでの体得(二)
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文/ニューヨークの大法弟子

 【明慧日本2012年10月17日】

 英語版大紀元に携わる中での体得

 私が皆さんと分かち合いたい第2のことは、英語版大紀元に携わる中での体得です。

 私は英語版大紀元で1年間働きました。振り返ってみると、これは不思議な経験でした。1年前と今を比べても、私自身とセールス部門の変化はみなとても大きいものでした。私は多くのことをすべて話したいのですが、本日は最近の悟りを皆さんと分かち合いたいと思います。

 少し前、販売チームに私達と完全に違う事をするメンバーがいました。一人一人の販売員には毎日の販売ノルマがとても高い基準で設定してありました。毎日必ず一定数の電話あるいは訪問をしなければなりません。しかし、この同修は毎日の基準に達しないだけでなく、彼はその基準に到達するまであまりにかけ離れていました。そのため、私は彼に対してマイナスの見方をし始め、何度か心性上での摩擦を生じました。これらの摩擦が発生した時、私のどこに問題があるのかはわかりましたが、その修煉者が自分の問題に直面しないため、私も自分の不足に直面したくありませんでした。彼が先に直したら、私も直そうと思いました。最初、私は本当に彼を軽蔑し、批判ばかりしました。とにかく、事務室の中は圧力と緊迫感が充満していました。

 ある時、この修煉者の仕事に問題が現れ、その後、私達は事務室で待ち合わせることにしました。会っている間に私はかっとなって、私は日頃思っていた彼の間違いをすべて暴露しました。おもしろいことに、私がこれらの事を言う時、私が恨んで言った事は、実はすべて私自身の執着に根っこがあると分かったのです。その日、この修煉者はとても落ち着いて、善意で私と交流しました。

 交流を通じて、多くのトラブルの発生はただ、修煉者が物事のやり方に対して異なる理解を持っていて、他人の立場に立たずに問題を見ることが原因だと私は思いました。これは私にとって深い体得で、私は心から他人に対する批判と恨みを放下しました。交流を通じて、大法弟子として私達はすべて同じ法を学び、同じ師父を持っていると改めて認識しました。私は同修の意図を疑うべきでなく、誰も皆自分の理解した次元で最大の努力をしているので、違いがあっても構わないのです。

 私達はみな異なる次元にいるため、異なる角度から問題を見ています。私は一度ある修煉者と複眼に関する認識を分かち合ったときのことを思い出しました。師父は『転法輪』の中でこのように説かれました。「きわめて高い次元に達し、世間法の修煉が終わった後、さらに、複眼のような目が現われることもあります。 つまり、顔の上半分に大きな目ができ、中には無数の小さな目があります。非常に高い次元まで修煉した大覚者はたくさんの目を持っていて、顔いっぱいに目が付いています。すべての目がその大きい目を通して見ており、見たいものが何でも見られ、あらゆる次元のことが一目瞭然です」

 最後の「一目ですべての次元が見える」というところが、特別に私の目を引きました。人はそれぞれの次元から問題を見るので、すべての異なる方面を理解しなければならないと理解しました。法を正す時期の大法弟子として、私達は一体で複眼なのです。ある人はこの角度から問題を見て、もうひとりはほかの角度から同じ問題を見ます。私とあの修煉者が問題を見る角度は違っても、どちらも間違っておらず、ただ見る角度が違うだけです。そのため私達が自分の一方的な認識に固執しなければ、他人を理解することができます。これはより良い協力関係へと踏み出す重要な一歩です。

 このことが認識できた後、私は他の修煉者に対する慈悲と寛容がすぐに増したように感じました。ある方面から言えば、私が他の修煉者を疑い、あるいは軽蔑するのは師父を信じないことに等しいと認識しました。師父は私達すべての修煉者を見守り、私達の修煉の道を段取りし、私達が立ち向かうさまざまな魔難と関を設けられます。もし私がその他の修煉者を疑うなら、私は師父の段取りを疑うことになり、これは師父を信じないことに等しいのです。

 このことは改めて別の一点を強調しました。トラブルに遭遇した時、他人が間違ったかどうかに関わらず、私はただ無条件に内に向けて探し、自分を高めます。師父は『洪吟三』の「誰是誰非」で次のように説かれました。

 「修煉者は 自ら過ちを探し さまざまな人心を多く取り除き 大きな難関も小さな難関も避けられない 正しいのは他人 間違ったのは私 何を争う」

 私達が自分の考えを放棄し、複眼のように物事の各方面を見ることができれば、私達の協調はもっと良くなるのではありませんか? 私達の真相を伝えるプロジェクトは更に効果が良くなるのではありませんか?

 私が分かち合いたい3つ目の体得

 私が分かち合いたい最後の体得も英語版大紀元と関係があります

 私たち大法弟子の作ったマスコミが良性循環に乗ることはずっと最大の課題でした。ニューヨーク英語版大紀元も同じです。去年私たちの毎月の収入はまさにジェットコスターのようでした。私たちは顕著な変化をたくさん経験しました。

 本当に希望がないと感じる時もあり、私たちのチームはバラバラになっていくと感じました。

 私たちはセールスのやり方を反省しました。私たちは強引な営業手段に慣れており、お客さんに私たちがやってほしい広告を強引に薦めました。営業のアポに行く度に、私はいつも戦っているかのように感じました、広告受注のために戦っていました。しかも一部のことに対して、私はあまり誠実ではありませんでした、セールスのやり方について、一部のことは間違っていると思います、私たちの収益はこの点を反映したようです。

 数カ月前、私たちに本当の危機が迫り、会社は改革を余儀なくさせられました。私たちは発行策略を変える他に、常人からトレーニングを受けることに投資しました。この方は有名な広告プロデューサーで、新聞の顧問を16年も担当していました。彼は全世界の400社あまりの新聞社で働いたことがあります。彼はニューヨークに来て、私たちに週末の訓練を一回行いました。それ以降、私たちはずっと彼のやり方を採用しました。

 彼のやり方は確かに良かったのです。しかし最も私が驚いたのは、彼のセールスの全過程はとても正直かつ誠実で、大法の原則に合致していたことです。彼はこう強調しました。自分の期待をいつまでも論争してはならず、コンサルティングの過程を通して他人に認識してもらいます。また彼は、本当に顧客に収益をもたらす広告をどのように提出できるかについて語ってくれました。とにかく、彼は本当に顧客の需要を大事にすることの重要性を強調しました。まず顧客にとって一番良いことは何かを考えます、しかし以前の私たちは、自分たちの需要にしか関心を持たず、またどうすればもっと儲かるかについて関心があるだけでした。

 訓練を経て、私たちのチームは今やっている仕事に対する自信を取り戻し、事務所の雰囲気は完全に変わりました。取引を成功させることから、お客さんを獲得することに方針が変わりました。セールスのトレーニングの他に、私たちはずっと内に向けて探し、どうすればもっとうまく協力できるかを交流しました。圧力や競争がある時に、チームメンバーや顧客に対して、より多くの善や誠実、心を込めた思いやりに満ちていました。

 面白いことに、私は『転法輪』の中で、セールスに関するくだりを何回も何回も読んでいましたが、今になってやっと本当に理解することができました。師父は『転法輪』でこう説かれました。「心を正しくもち、公平に取引をすれば、多く働くだけ多く稼ぐのは当然のことです」

 最近、この一言がよく浮かんできます。心がまっすぐとは何か、誠実とは何か、公平に取引するとはどういうことか、広告の顧客や私たち自身にとって公平であるか、なぜ大幅に値下げしてはいけないのか、私はどうすれば多く貢献できるのか、これらはすべて私が思いついた問題です。

 私の理解としては、私たちが法を正す時期にうまくやれるかどうかは、どれほど師父に教えられた法に従って、やるかにかかっていると思います。もし私たちが法に従わなければ、必要のない各種の魔難や挑戦に遭遇してしまいます。今回の経験を通して、私は師父の話を真剣に考え、心で実践すべきだと分かりました。

 とにかく私たちは正しい軌道に戻ったと思います、私たちの未来は自信でいっぱいです。師父が以前教えてくださったように「実は大紀元は既に世界最大のマスコミになりました。大紀元は多くの国で発行され、全米に広まっています」(『2004年ニューヨーク国際法会での講法』)師父に感謝します。私は師父が法を正されることを手伝い、衆生を済度する中で一層うまくできるように努力します。

 師父、有難うございます、

 同修の皆さん、ありがとうございます。

 (完)

 (2012年米国ワシントンD.C.法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/7/15260264.html)
 
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