一年を通して、神韻チケット販売に励む(三)
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文/米国イリノイ州の大法弟子

 明慧日本201284日】それから、私はナッシュビルから飛行機に乗ってマディソンに行きました。到着後、迎えに来てくれた協調人は私を見て「どうしてこのようにやつれているのですか?」と驚いた様子で聞きました。マディソンはアメリカの中北部に位置しており、冬はとても寒くて雪も多いです。到着後の翌日、大雪が降り始めました。協調人は自家用車を私に譲ってくれ、バスで通勤することにしました。私は協調人の車を運転し、資料を配りに出かけました。ここは修煉者が少ないため仕事の量が自然的に多くなり、いつも夜遅くまでやっていました。

 到着した数日後から、およそ1日おき1大雪が降るようになりました。積雪量が多くとても歩きにくいため、時間を節約しようと思い私は走って雪に覆われた道を進むことにしました。運動靴を履いていたため、雪がすぐに靴の中に入ってしまい、そしてまたすぐに解けてしまうのです。人を早く救おうと思い、夜になると、私は走るスピードをさらに上げました。雪が降る日は、喉が渇けば空から舞い降りてくる雪を口で受け止めたり、手で雪を掴んで食べたりして、夜遅くまでやっていました。後にある同修が「あなたはこのように雪の中で走ったり、足が氷水の中でずっと浸っていて、昼食も抜きで身体が持ちますか?」と聞いてきてました。私は「時間がないため、師父の加持に頼るしかありません」と答えました。このようにして3日後、私の左足の踵には凍傷で大きな傷口ができ、血を帯びて赤い色をしていました。走るとき、始めは傷口が閉じたり開たりして少し痛みを感じていましたが走っているうち、靴がまたすっかりと濡れて足感覚失いました。続いて右足も凍傷で数箇の傷口ができました。協調人はこれを見て、急いで私をつれて靴を買いに行きました。またある同修がスキースーツをくれたため、とても助かりました。それから2日後の夜、私は足を洗うとき、足にあったすべての傷口が治っていて、痕も残りませんでした。

 ある日の夕方、空が暗くなり始め、私は住宅地でパンフレットを配っている最中に事件が起こりました。私は少し開ていた家のドアの取っ手にパンフレットを掛けました。身体の向きを変えようとしたとき、一匹の大きな犬が家の中から私に飛び掛ってきました。私は腕で遮りましたが、犬の勢いが強く私は思いり雪の地面に倒されました。家の主人が慌てて「大丈夫ですか?」と話かけてきて、私は腕から血が流れているのを感じながらもすぐに「大丈夫です。心配しないでください」と答えました。そのとき、私には少しの恐怖心もなく、パンフレット配りを続けていました。私は衆生を救い済度する時間があまり残されておらず、急がないといけないと常に自分を戒めています。その日、多くの車は急な坂道を上るのに苦労して、坂道の下で止まったままでしたが、私の車は滑ることもなく無事に家辿り着くことができました。私は風呂に入って腕の血を洗い落としました。翌日、風呂で傷口を確かめると傷跡もなく完全に治りました。大雪のとき、車ごと雪の中に埋もれたことも度々ありましたが、なぜか私はいつも順調に自分の車を見つけることが出来ました。すべて師父に感謝しなければなりません。

 ある土曜日、協調人は私を連れて資料を配りに行きました。街の道路はすべて氷に覆われており、彼女はよく転んでいました。午後、彼女は電話を掛けてきて、膝が負傷して立つことが出来ないというので、それを聞いた私は急いで彼女を見つけ、車の中に入れてあげた後、安静にするように言いました。しかし彼女は、私が外で配っているのに自分だけが車の中にいるのは心苦しいから資料を配り続けたいと言いました。それから2日後、その街で、ある人が16枚のチケットを予約しました。努力した甲斐がありました。

 2月中旬になると、シカゴの強調人が私に早く戻るように催促してきました。私はシカゴ南部に位置する小さ都市に住んでいます。急いでいたので、私は家に帰らず直接にシカゴに向かました。シカゴでは皆が努力していましたが、チケットが思うように売れず、空間の妨害を取り除いていないせいか、私はある種の圧力を常に感じていました。私は常にここが最後の公演地なので、師父と大法を固く信じ使命を遂行できるように、同修と一緒に最後まで頑張らなければと自分を戒めてきました。私は5日間で50軒の大手病院を訪れ、すべての病院の診察室を回りました。暫くすると、セントルイスの同修も応援に駆けつけてきたため、私達2人は夜遅くまで、市中心にある様々な企業を回りました。あのとき、自分すでに耐えられる限界に達したと感じました。これはもちろん自分学法煉功が追いついていなかったことが原因だと分かっています。私は弟子を加持してくださるように師父に助けを求めました。あの時、疲れていましたが、何故か私の口から自然に神韻の歌が流れ出し、最初は声が小さく段々と大きくなり、夜の帰宅中に気の済むまで歌いながら車を運転して帰りました。このような調子で10数日間も続いていました。歌は私の心の奥から流れ出し、使命を遂行できない重苦しい気持ちを吹飛ばしてくれたため、全身の細胞がかってないほど幸福感に包まれたと感じました。

 また暫くして、他の地方から応援に駆けつけてきた同修が増えるにつれて、私達は2回目、3回目の資料配りをやり遂げることができました。しかし、チケットの売れ行きは以前と変わらず、良くませんでした。それでも、私達はいつも師父が『世を済度する』の中でおっしゃった「良識を呼び戻せないはずはない」という言葉を何度も繰り返し暗唱し自分達を励ましました。

 4月の始め、マディソンの協調人が電話を掛けてきて、そこの公演がきっと超満員になるに間違いないと言って、私にも見に来て欲しいと誘ってきました。マディソンとシカゴは隣接しています。9カ月休むことなく神韻のプロジェクトに参加してきましたが、これまで神韻公演をまだ一回も見たことがありませんでした。しかしそのとき、シカゴ公演日が間近に迫っているのにチケットの売れ行きが思うように行かず、それでも皆は心動じずお互いに励ましていました。シカゴの最終公演日の朝、私はサンアントニオ公演の協調人に誘われて、サンアントニオに飛び立ったのです。飛行機を降りた途端、妻から電話が掛かってきて、シカゴの最終公演は超満員なったと教えてくれました。これも師父の力だと私は思いました。

 サンアントニでも私達は協調人から与えられた任務を順調にやり遂げました。ニューヨーク法会が終了した後、シカゴは7月の始めに神韻公演を2回行うことを決定しました。劇場の契約を取れてから公演日まで、わず6週間の宣伝時間しかありませんでした。この体験文をワシントンD.C.法会に投稿したとき、私はすでにシカゴの同修達と一緒に神韻公演のプロジェクトに励んでいるところだと思います。

 これまで歩んできた季節を振り返ってみると、自分は微力を尽くしたにすぎないのですが、毎日全力を尽くして大法の仕事に励んできたことを嬉しく思います。このように後悔を残さないようにという師父のご按配に感謝の気持ちしかありません。

 神韻のプロジェクトに参加することは、法を正す時期の大法弟子の修煉過程でもあると思います。この一年、私は絶えず自分の不足を発見しました。例えば、我慢する心が足りず、時には同修に文句を言ったりもします。これらの欠点は言うまでもなく、師父が法を正すことを助けることと衆生を救い済度することにマイナスの力となりました。絶えず法を学ぶにつれて、私はだんだんと同修を広い心で受け止めることができるようになり、同時に各種の名利心も取り除くこともできました。また、私達得たすべての成績は大法の威力のお陰で、師父が下さったものであります。私達が払った僅かな犠牲は衆生のためでもあり、私達自身のためでもあると悟りました。

 私達は一緒に『洪吟二』の中の「師徒の恩」の最後の二行を読みましょう。

 師徒は情を講ぜず 佛恩は天地を化す

 弟子正念足りれば 師は回天の力有り

 偉大な師父に感謝いたします! その御恩に感謝いたします!

 (完)

 2012年アメリカワシントンD.C.法会の交流文)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/7/17/260328.html)
 
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