協調や歩調を合わせる中で確実に修煉する(一)
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文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2013年5月31日】

 尊敬する師父こんにちは

 同修の皆さんこんにちは

 私はカナダから参りました。本日、師父と同修の皆さんに、私が協調や歩調を合せる中で、自分のわずかな修煉体験を報告できますことを光栄に思います。どうそ、不適切なところを慈悲もってご指摘してください。

 ステンと転んでから得た教訓

 4月が過ぎ去ってまもなく、トロントの同修たちは、ニューヨーク州バッファロー市での最後の神韻公演を手伝っていました。この期間中に私は重々しくステンと転んでしまいました。同修の言葉で言いますと、「このように重々しく転んだことによって、私は目が覚めました。」

 トロントの同修は毎年、トロント、ミシサガ、ハミルトンの3つ都市の神韻の公演を担当しています。公演が終われば、続いてアメリカのロチェスター市、バッファロー市を手伝わなければなりません。今年の2月に、私たちが担当する3つの都市の公演を満場で大成功裏に終わらせたのですが、しかし恐る恐る動いてきたような気がしました。報道の仕事をまだ終わらせていないうちに、ロチェスターの同修から応援の要請がありました。やっとのことでロチェスターの応援が終わり、心の中でバッファロー市の同修から電話がなければ良いのにと考えました。しかしバッファロー市の同修からの電話が早速かかってきました。チケットの売れ行きがとても厳しいと言いました。どうしましょう。私は大紀元時報の営業から新唐人テレビの営業に移ったばかりで、仕事の圧力を重々しく感じている最中に、果してバッファローの同修の要請に協調する精力があるのだろうか? このとき歩調を合わせるとの文字が目の前に現れました。考えた末、私は応援の要請に応じることにしました。私たちの任務は、一週間以内に8万部の神韻の小冊子をドアからドアへとかけることでした。私は20台の車の配置や、四つの販売拠点の人員の送迎を協調することになりました。

 私たちは4月のある晴れ上がった週末に、バッファロー市にやってきました。皆が担当する地区を按排した後、私も資料をドアに掛けはじめました。三軒目にして突然。何か外在的な力が、私を縛り上げたように感じて身動きがとれなくなりました。そして重々しくコンクリートで舗装された地面にステンと転んでしまいました。血が流れ出し、危うく意識を失いそうになりました。私は心の中で絶えず叫びました。「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい、師父、加持してください!」

 このとき誰かに頭を持たれて強く地面に叩きつけられたような感じがしました。頭の痛みで意識を失いそうになりました。同修の呼びかけが聞こえ、師父のことを思い出しまし、師父を呼ぼうとしたのですが声が出ませんでした。心の中で同修の、師父を呼びなさい、必ず内心から師父を呼んでくださいとの声を聞こえてきましたので、私は心の中でゆっくりと「法輪大法は素晴らしい、真善忍は素晴らしい、師父、加持してください!」と叫びました。

 同修たちが師と法を信じて正念を持って支持して下さり、師父がご加護してくださったおかげで、私は立ち上がりました。同修たちに「大丈夫だから、歩きましょう!」と言われましたので、私は本当に歩けたのです。血が流れ続けました。同修たちは「気にしないでください。これは虚像であり、否定しましょう!」と話しました。私は少しためらい、同修に送ってもらい休んだほうが良いのではないか? と考えました。同修は私を無視して、続けて「歩きましょう、私はこちら側の家に資料を掛けるから、あなたはあちら側をやってください」と言いました。彼女は向こう側に行ってしまい、私は仕方なく歩き始めました。

 一軒一軒資料を掛けているうちに額、鼻、眼、両膝が腫れ上がっていると感じました。痛みがなかったので、私は何も考えないようにして、一日を終えました。私は鏡で自分の姿を見ようとしましたが、同修は「気にしないでください、面子や焦りを捨てましょう、鏡を見るのではなく、内に向けて見ましょう」と話してくれました。

 このような大怪我をして、これは旧勢力が私を死なせようとしたことは明らかです。師父は、私に少しばかりの正念があり、わたしにもう一度機会を与えてくださり、同修の固い決意の手助けの下で、私は短時間で今回の関門を乗り越えることができました。師父が私を救って下さったのは、引き続き自分の執着に執着し続けるのではなく、出来だけ早く自分の遅れを取り戻すためです。ですからどんなに苦しくても自分の執着心を見つけ出し取り除きます。

 そうですね、面子を求めたために、今は真っ赤に腫れ上がった鼻になり、面子を求めるのは栄光を求める心があり、今はピカピカと腫れ上がった額となりました。翌日の朝になって目が開きにくくなり、私は鏡を見ると、真っ赤に腫れ上がった二つの眼が面子のおかげで増えました。私は自分の恐ろしい顔を見て、嫉妬心、闘争心、不平の心・・・・・・顔に書いてありました。今回の転んだことを無駄にせず、この機会を捉え自分を高めることが根本です。

 今回の出来事を通して、難の中にいるときは、同修の正念による支持がどれほど必要なのかがわかりました。同修の皆さんに感謝いたします。

 不平の心を取り除き 慈悲を修める

 私の性格は明るく親切なのですが、同時に焦りと怨恨の心が存在しています。これは旧勢力の按排した要素が含まれ、自身の業力の要素も含まれています。親切と明るい性格により、自ずと同修たちが私に頼みごとをするようになり、同修たちは私のことを協調人と呼んでいます。私は自分のことを、同修に歩調を合わせて協調する協調人であると言っていました。しかし私には焦りや怨恨の心があったため、協調や歩調を合わせるに際して多くの魔難が現れました。この魔難を捉え乗り越えることができれば、自分を高める良い機会となるのです。

 もしかすると私はイライラするから、協調人にさせられたのかもしれません。去年の神韻公演の入場状況は三つの都市とも満員でした。しかし修煉を高める空間は多くあったように思いました。神韻の今年のニューヨーク公演が大成功裏に終了したと聞いて、同修たちはニューヨークの同修を迎えて育成訓練を行うことを決め、私が協調することになりました。トロント地区の同修は育成によって130数人がテストに合格しました。この同修たちは当地区での公演成功に大きな役割を果しました。もちろん当地の公演が成功裏に終えられたのはワシントンの同修の応援もがあったからです。この場をお借りして、ニューヨークの同修、ワシントンの同修の支援に対して感謝いたします。

 今回の育成やテストの協調過程において、同修の不理解から、テストに積極的に参加するようになるまでの過程で、私にとって多くの修煉の機会を得ました。自分の容量も大きくなりました。

 続いて、主流社会へのチケット販売のグループを立ち上げました。そのとき私は、これは私の仕事ではない、私の英語能力はあまり良くないからと思いました。以後、私はただ華人向けの団体チケットの販売を協調し、大紀元時報でのチケット販売も華人向けしかしていませんでした。しかし同修から、どうしても主流社会に関する協調をするよう求められ、あなた自身がやらなくてもいいので、皆が参加できるように協調するだけでいいですと言われました。そこまで言われると、私は歩調を合わせるしかありませんでした。このように私は再び主流社会をやらない、協調するだけの協調人になりました。そして私たちは当地の大企業やロータリークラブで80回以上のプレゼンテーションを行いました。

 後に、チケットの売れ行きが理想的ではなかったので、私は商業ビル、弁護士ビル、会計士ビルへの宣伝を協調することになりました。

 (続く)

 (2013年ニューヨーク法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/25/274413.html)
 
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