協調や歩調を合わせる中で確実に修煉する(三)
■ 印刷版
 

文/カナダの大法弟子

 【明慧日本2013年6月2日】バッファロー市からの帰りに、私は車内で新しい修煉者の修煉体験を静かに聴いていました。私は自分を恥ずかしく思いました。その新しい修煉者でさえも内に向けて探すことができるのに、私はどうでしょうか? こんなにひどく転んだのに、自分の内に向けて探しませんでした。

 私は家に戻り、2日間集中して大量に学法煉功発正念しましたので、収穫は多くありました。同修たちは心配してくれました。私が鼻や顔の回復ばかり心配して、内に向けて探すのを忘れたのではないかと思って電話を掛けてきました。「探しましたか?」「執着を見つけましたか?」「内に向けて深く探すんだよ」「執着を見つけるだけでは駄目だよ」「それを取り除けなければ、ステンと転んだことが無駄になるのではないでしょうか? 全ての執着を転んだことで吹っ飛ばしましょう。 わかったね?」

 私は同修に聞きました。「これらの話をなぜ以前は話してくれなかったのですか? なぜ今回は話してくれたのですか?」同修が答えるには、「何もなければ話す勇気はありません。今ならあなたは人の話を聞き入れてくれるでしょう」

 同修の促しの下で、私は苦しみながら一つ一つ内に向けて探しました。身体の痛みは師父が替わりに耐えてくださいました。心に痛みは自分で耐えなければなりません。今は同修の善なる行動に感謝しています。真に修めることの大切さを分からせてくださいました。

 私はやはり新唐人の市場に対して圧力を感じていました。ある日座禅していた時、私は自分に問いました。私の根本的な執着はどこにあるのか? このとき目の前に三文字が現れました。「求功徳」(功徳を求めること)、私は涙が止まらず流れました。精神的に楽になり、私は両手を合掌して、師父のご啓示に感謝しました。

 幸運にも法を正す時期に師を手伝うことができ、この過程で努力したように見えますが、実はどれだけの不純な人心が混入したことでしょう。自己を実証する心、功徳を求める心を取り除きます。全ては師父が行っており、私たちは心配することがあるのでしょうか? ここまで考えたとき、全ての圧力や不安が消え去り、私はすぐにでも新唐人の仕事を始めたいと思いました。しかし腫れ上がった顔を見ると、口実を探しました。新唐人の同修から、以前のように学法、煉功、発正念に参加するよう誘われました。私は顔が良くなってからにしましょうと断ろうとしました。同修は「私たちの前では面子という問題が存在しないでしょう。私たちが見なければ良いでしょう」と、励ましてくれました。そして私は以前の修煉環境に戻り、仕事も再スタートすることができました。初日の煉功が終え、学法しているとき、顔が熱く痒く感じました。私は触ってみると顔の皮膚が剥げ落ち始めました。一講を学法し終えてから顔の皮膚がきれいに剥げ落ちました。私は今年で50歳です。美容をしなくても顔の皮膚が剥れ落ち綺麗になりました。師父は私の顔を正常に戻してくださり、お客様と接して営業できるようにしてくださいました。私も全ての執着を取除いて師父に直面し、決して師父の慈悲なる済度に背きません。

 ここで大紀元の同修に10年来の私に対する支持や援助に感謝いたします。毎年、私が神韻公演に忙しく協調している時、私のグループの皆さんは私が担当するお客様が離れないように担当してくださいました。そして私は安定した収入を得られ、安心して神韻の活動に専念することができました。今、私は新唐人に替わったにもかかわらず、同修の皆さんは以前の取引先と、それによる歩合給を分かち合ってくださいます。私が新唐人で初めて手にした仕事は、彼らの協力があって成功しました。私たちは一体であり、必ず世界一のマスコミになれると確信しています。

 師父に感謝いたします! 同修の皆さんに感謝します!

 (完)

 (2013ニューヨーク法会での発言原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2013/5/25/274413.html)
 
関連文章