明慧法会|正念を長く保ち、修煉の道を正しく歩む(二)
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2012912日】

 二、法をよく学んで、協調の仕事の中で修煉を向上する

 私は法を読んで修煉し始めて半年ぐらいの時に、一つ情況を見ました。たくさんの同修は法を学ぶことを重視していませんでした。特に農村では、多くの人は字が読めないので、本を読むことは難しく、法に対して理解がよくないため、本を読むと争いになり、誰もが他人の意見を聞きませんでした。この情況を見た私は「私は教師を担当し、知識を勉強したことがあり、たぶんこれは偶然のことではないだろう」と思いました。悟ったことをすぐやりました。そのことから、先ほど述べた不当な三つの罪が表れてきました。その時、邪悪は輔導站の同修を不法に捕まえていました。私は身を乗り出して、交流会を行い、何度も同修たちと法理を交流し、合意を得たため、100人ほどが北京へ請願に行くことになりました(同時に隣の県の交流会にも参加しました)。留置場から帰ってきてから、情勢はまだ厳しかったですが、私は相変わらず定期、不定期的に法会を行い、同修と交流をしました。同修から呼ばれると、どんな場合でも私はいつも行き、皆で一緒に法を学び、法理の認識を交換したり、学法の感想を交流していました。そのほかに、恐怖心があって出て来られない同修を助け、全体の向上が速くなりました。この数年間、私は我が県と同修がいる隣の県の村を全部回って来ました。

 協調の仕事をしているうちに、私は学法の重要性を深く感じました。法をよく学んだからこそ、協調の仕事ができたのです。交流や意見を交わす過程は、私に学法が第一だという考えを形成することを促進し、毎日学法と「明慧週刊」を継続して読みました。例えば、恩師のどの説法を見て、どう悟ったか、どうすれば向上するかなどを私は全部心の中で覚え、同時に正く法理を悟ることや心性の向上に助けがありました。例えば、交流の中で同修が法理について高く悟ったことや心性の向上が速いのを見て、これは私にとって極めて大きな励ましと促進になりました。例えば、同修の執着と人心を見たとき、私はいつも内に向けて探して、自らの執着と人心をすぐに表面化させて、自分を改め直しました。どうして同修同士の間の矛盾を私に見せたのでしょうか。私はようやく分かり、それは恩師が同修から私に「私はここに欠点や隙があり、あなたにもありますか」と気付かせているのです。私は早速内に向けて探し、法に基づいて向上し、執着心を取り除きました。

 この数年来、同修たちは協調の重要性を認識したため、元々協調の仕事をしていたのは1人か2人だったのが、今は10数人、あるいはもっと多くの人に増えてきて、さまざまな程度と状況において協調の仕事をしていました。そのほかに毎月協調人の交流会が行われ、区域に分かれて同修が三つのことをすることの感想を話し合う交流会も開きました。特に数年前に邪悪の迫害に遭った同修が家に帰った後、私たち協調人はそこを訪問し、同修と一緒に学法して正しい道に戻らせて、「厳正声明」を書くことを助け、再び修煉する道へ戻らせました。

 今まで我が県では、ある外地で仕事をしていた同修だけが、迫害を受けた後、他の宗教を習い変わってしまいました(同修を助けている途中のことでした)、ほかに邪悟の人はいませんでした。正しい環境は大法が創り、同修が修めてきたのです。2002年以後、同修たちは三つのことを良くやっていて、真相もよく伝えたので、素晴らしい形勢へと速やかに変化しました。同修たちは警官にも真相を伝え三退を勧めました。今では警官は同修が真相を伝えるのを見ても、見て見ぬふりをして隠れて行ってしまいました。本当に師父がおっしゃった法理「一正が百邪を圧することができる」(『転法輪』)でした。

 三、修煉と常人の生活の関係を正しくする

 修煉して以来、私はいつも学法を第一位として、そうしただけで人々を救い済度することがよくできたのです。学法はできるだけ時間を利用して、時間が少なければ少しでも学法して、多ければたくさんの学法をしました。畑の仕事をする時も習慣的にいつもポータブルプレイヤーを聞いて、二日間に一講の説法を聞き終わりました。畑の仕事は簡単で頭を使う必要がないので、ポータブルプレイヤーの内容に集中することができ、いくら仕事をしても疲れる感じはありませんでした。これは「俗世にいながらも、念はこの世にありません」(『二〇〇五年マンハッタン国際法会での説法』)の状態でした。

 師父は『転法輪』の第一講で、私たちにこの天機を教てくださいました「返本帰真することこそ、人間としての本当の目的です。したがって、ある人が修煉しようと思うと、佛性が現われて来たと認められます。この一念こそ最も貴重なものです。なぜならその人が返本帰真を願い、常人という次元から抜け出そうとしているからです」仏教の中で一世で修め終えられず、何世も修め続けなければならないことを私たちは知っていますが、この天機を知ったのだから何の言い訳や理由もないはずです。精進し、真に修煉して人々を救い済度しなければいけないでしょう。協調の仕事をしている時、私がよく話したのは「常人社会でいくら幸せと言っても、子供がたくさんいてお金持ちで、どれほど幸福でも、修煉に精進せず、三つのことを良くやらなければ、それは本業をちゃんとしてないのです」

 師父は『転法輪』で「自然に任せることを重んじるのです」、「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」という法理をおっしゃったことがあります。三つのことを実際によくやっていたら、家族の皆と子供たちも福を得ることができます。それは私の家だけではなくて、たくさんの同修の家も同じ情況でした。師父がおっしゃった法理を認識したら、現在の人々を救い済度する天象と、宇宙の特性に適い、幸福を得ることができます。反対に、一部の少ない学習者が利益のために外地へ行き、お金を儲けようとしても、お金を得られなかっただけではなく、かえって病気にかかって入院し、大金を失ってしまってからやっと悟りました。法理の交流を通してようやく目が覚めて、三つのことをよく行う道に戻ってきました。

 四、真に修めることから悟ったこと

 私たちは返本帰真を追及するする神の道を歩む修煉の人であり、師父を助けて人々を救い済度する大法弟子だと思います。修煉をし始めて法を学んで、法と同化するのは修煉の過程であり、師父を助けて人々を救い済度することこそ、私たちの修煉する道だと思います。私たちはどうして自分を緩めて、普通の生命になってしまうのですか。この数年間の修煉と大法の仕事を通して、私は一つの結論に達しました。「人心の執着が重ければ重いほど面倒なことが多くなります。本当に正念が持てれば、心の中に佛法があり、関門や困難を乗り越えられないことはありません」

 合掌。不適当な所があれば、同修に慈悲なるご指摘をお願いします。

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/17/249210.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/html/articles/2011/11/22/129631.html)
 
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