文/黒竜江省大法弟子 天清
【明慧日本2012年9月8日】私が法輪大法を修煉し始めたころは、まだ天真爛漫な学生でした。師父の説法をすぐに聞き入れて、分かった部分を覚えて法理に従って行いました。新経文が発表されるたびに、煉功点の20数名修煉者が一緒に座って、ひとりずつ一回読んで、ほぼ皆が覚えられました。これは私によい習慣を養いました。新しい経文が発表されたら、私はまず暗記します。若いため、『転法輪』の内容もほぼ覚えました。今振り返ってみると、自分の雑念が少なかったためだと思います。
一 法理を理解し、迷いを克服
1999年7.20以前の経文を暗記したことは、当時の私にとってとても大きな励ましになりました。もともと毎日同修と一緒に煉功と学法をしていたものの、迫害が始まってから集団学法、煉功の環境を失いました。当時この迫害の真実自体も理解できず、毎日鬱憤の中でいつか迫害が終わることをひたすら待っていました。
1999年7.20前の経文『真性を見る』『位置』『根を掘る』『白日の下にさらけ出す』『洪吟』、私はこれらの経文を毎日読んで、暗記していました。師父の消息がなく、同修との連絡もなく、大変つらかったです。絶えず法を暗記して、師父から絶えず啓示されたため、私は人の殻を破って、理知的かつ冷静に北京へ大法を実証しに行きました。
北京へ行く前、私は丸一週間をかけて法の勉強をしました。毎晩学法しながら涙を溢し、人としての全てを捨てがたいが、法理において自分の決めたことは正しいと交互に考えました。絶えず『スイス法会での説法』を学法して、正念が絶えず強くなりました。それから師父は『道法』の法理を私に見せてくださって、法理がしっかり分かりました。それは、この世のすべては大法のために存在しており、警察とすべての大法弟子を阻止するものは、各自が今回、大法のために自分の位置を決めました。仕事はなくなったら再就職すればよいし、情も捨て去ることができますが、大法は捨てられません。人間世界のすべてはいりません。大法だけが私の宿願です。
北京へ大法を実証することは理性に従って、法理上で分かった上での行動なので、一つ一つ問題とぶつかるたびに法理が明晰になり、なぜ断食をして迫害に抵抗し、なぜ尋問されたときに姓名と住所を言わないのかなどが全部分かり、旧勢力の按排をすべて見破ることができました。当時、毎日同修と一緒にいて、執着心も皆一緒になくして、肝要な時に迷わず、正しく行えました。いまだに、個人修煉段階の環境に未練があり、集団煉功と学法、「比して学び比して修す」のことが忘れられません。
毎回難関が来るとき、たいていは事前に感じます。なぜかと言うと、学法を通じて、自分が今の段階に面している執着心が何であるかが見えます。嫉妬心があると嫉妬心に係ることがやって来ます。もし事前に師父の嫉妬心に関する法理を理解し、覚えるならば、その嫉妬心の考えが起こるとすぐに掴んでなくすことができます。次第に、その一念を掴んでその根源を掘ることができるようになりました。自分がその根源を探して分かった時点で、師父はすでに全部なくしてくださいました。
法理を明確にし、情の魔を排除
ある日私は出張で講習会に参加しました。同じクラスの中に、大学時代の友人と、もう一人のいつも一緒に遊んでいる男性がいました。長年会っていなかったため、話は自然と盛り上がりました。しかし、情の魔が動き始めました。その男性が私達を誘って、向かい側の丘で凧揚げしようと言いました。当時の私は寝室の中で座って、心の中に異様な動きが現れました。二つの思想が現れて、一つは冷静な自分で、もう一つ落ち着かなくてどうしようもない自分でした。私は冷静に、この自分ではない思想は一体何をしたいのかと見ました。その思想は気が狂ったようにその男性と一緒に遊びたいと思っていました。約十数分間動いて、徐々に弱まりました。学生時代にこの男性は私に好感を持っていましたが、今はすでに結婚していますので、私の理知的な一面は、あってはならない考えを捨てました。この自分ではない思想の演技を見て、旧勢力の無能さと邪悪さを一層認識しました。
以前、情が私の体中から外された時の風景を見たことがあります。当時心が痛くて、ナイフで切られたような感じでしたが、その後、情がなくなり、体はとても気持ちが良かったです。情は迷いの中で人を束縛して、情を無くして初めて慈悲が現れるとはっきり分かりました。
一時期、私はずっと同修の情に関する文章を読み続けて、大変進歩しました。いつも文章を読む最中に中断して、自分も同様の考えを持っているかどうかを見ました。同修の文を読んで同修の考えと同調し、その同修の境地まで連れて行かれました。特にある同修は文章の中で、情はピンク色の水だと言いました。私はただちに情は実に何でもない、三界の中で人を束縛する密度の高い水にすぎないと分かりました。この瞬間、私はこのピンクの水から出ることができ、二度と情の中に戻ろうとしませんでした。
(続く)